「面白くなかった」家業を退社

 大松運輸は、仲松さんの父親で現会長の政義さんが、1972年に創業しました。メーカーからシステムキッチンを受け取り、問屋、工務店、建築現場に運ぶ業務が中心でした。取り扱う量は次第に増え、ドライバーを10人ほど雇うまでに、事業を拡大しました。

 仲松さんは子どもの頃は、トラックの荷台で遊んだり、荷積みを手伝ったりしました。父が運転するトラックに同乗し、遠方へ荷物を届けるなど、仕事ぶりを間近に見て成長します。しかし、後を継ぐ気は全くありませんでした。

 「仕事量が多いのに従業員が少ない。そのために、みんな夜遅くまで働いていました。にもかかわらず、給与はそれほど高くなく、つらい仕事にしか思えませんでした」

 馬好きだった仲松さんは那須高原の牧場に就職しましたが、薄給に加え休日も少なく、一生続ける仕事とは思えませんでした。

 父から「手伝ってくれないか」と頼まれ、21歳のときに家業に入りました。しかし、厳しい現実が待っていました。「まったく面白くなかったですね。家族のために、ただ働いているだけ。はっきり言ってやりたくない仕事でした」。4年間我慢しましたが、結局、家業を去ることになります。

家業に出戻った理由

 その後、ペット商材を扱う大手企業から建具メーカーに転職し、設計や施工管理の仕事を手がけました。妻の実家があった埼玉県飯能市でマイホームも購入し、仕事も楽しく、このまま定年退職まで勤めると思っていました。

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