目次

  1. ものづくりへの思いが根底に
  2. 「自営業は大変すぎる」と敬遠
  3. 「親孝行したい」と思い始め
  4. 一から覚えたミシンの技術
  5. 作品や修理の過程をブログに
  6. ミシンの楽しさを伝えるイベント

 弘前ブラザーは戦後間もないころから、70年以上もミシンを核に経営を続けています。ブラザー販売株式会社の特約店として、家庭用や業務用ミシンの販売・修理に加え、洋裁教室の運営、一般顧客からの刺繡の請負などを手がけています。

 その根底にあるのはものづくりへの思いです。会社のホームページにはものづくりの楽しさや幸せを伝える言葉が並び、作り手に寄り添う姿勢を前面に打ち出しています。

 久保田さんは2018年に父親から経営を引き継ぎ、ミシンで作った作品を毎日のようにブログやインスタグラムにアップしています。刺繍やオリジナルラベル、花びらの形の中に文字を切り抜いたフェルトなど、作品は多種多様です。

ミシンで刺繡した「ねぷた」

 ミシンの修理も担当。自社で扱うものはもちろん、他社で販売したものや40年前のミシンも使えるように直し、ものづくりを支えています。

 思い入れのあるミシンを修理できたお客さんから感謝されることも多くなり、ミシンのプロフェッショナルとして遠方から指名される機会も増えてきました。

 そんな久保田さんですが、若いころは「絶対に後は継がない」と決め、家業に入るまでミシンを触ったこともなかったそうです。

 弘前ブラザーは久保田さんの祖父が創業しました。久保田さんが幼いころ、両親は朝から晩まで飛び回るように働いていました。

 妹も含めた家族4人で出かけた記憶はあまりありません。家族旅行も「オリンピックの周期くらい」珍しいイベントで、同級生が長期休みに思い出をたくさん作っているのを、うらやましく感じたこともありました。

 忙しいだけでなく、日々の浮き沈みがある商売の影響を受ける両親を見て、「自営業は大変すぎる。家業を継ぐよりサラリーマンになった方が良い人生になる」という思いが強くなりました。

 大学は実家から離れた新潟県を選び、学部も商売とは関係がない人文学部を選びました。就職活動も新潟で行い、内定も得て県外で働くことを決めていました。

 両親から表立っては反対されませんでしたが、忙しかった両親に代わってよく面倒を見てくれた祖母から、「後継ぎとして戻ってきてほしい」と懇願されました。

 久保田さんは「久保田家の後継ぎにはなるけれど、弘前ブラザーの後継ぎにはならない」と宣言し、条件付きで故郷に戻りました。

 地元の百貨店に就職し、家業とはまったく違う道を歩み始めます。婦人服の営業担当として、管理職を務めるまでに成長しました。仕事に邁進する日々で、家業への関わりはまったくなく、日々の充実感も得られていました。

 忙しく働いていた2011年、久保田さんに大きな転機が訪れました。右腕の力こぶのあたりが大きくなり、しばらく様子を見ても腫れがひきません。

 どこかにぶつけたせいか、と考えていたものの、腫れは日がたつごとに大きくなり、だんだんしびれを感じるようになりました。ついには字がうまく書けなくなってしまったころ、専門病院でようやく結果が判明します。悪性の腫瘍ですぐに手術が必要との診断でした。

 手術を終えて抗がん剤の治療を受け、入院期間は半年近くに及びました。ベッドにいる時間が長くなるうち、自然に自分の人生について考えるようになりました。

 「弱い体に生んでしまってごめんね」と謝る母親を見るうち、忙しく働いていた両親の衰えを強く感じました。そして、自分自身がミシン販売によって育てられたこと、両親が家業を残したいと思っていることを改めて感じたのです。

 退院した久保田さんには、「親孝行をしたい」という素直な気持ちが芽生えました。

 それまでミシンを触ったこともありませんでしたが、小さいころから事業を継いでほしいという両親の期待は強く感じていました。復職して百貨店の仕事に従事しながらも、後を継ぐ思いは日増しに強くなりました。

 39歳になった久保田さんはついに百貨店を退職。これまで拒否し続けていた家業に入ることを選びました。

弘前ブラザーは地域に根ざした経営を続けています

 後継ぎになることを覚悟したものの、順風満帆な道筋は見えません。

 青森県は少子高齢化が全国トップの速度で進み、消費人口の減少は目に見えています。洋服の大量生産も一般化し、創業時に比べるとミシン需要も落ちました。

 加えて、ショッピングモールや家電量販店には安価なミシンが並びます。専門店である弘前ブラザーは、消費者目線で見てもとても入りにくい店になっているように感じました。

 久保田さんは百貨店で婦人服の販売に長く携わってきましたが、「営業向きの性格ではない」そうです。

 初対面の人と話したり、知らない人に囲まれたりすることはあまり得意ではなく、どちらかといえば、家でのんびりするのが好きなタイプです。

 それに比べると、先代の父親はパワフルです。ミシンを抱えて行商に飛び回り、誰よりも売り上げを稼いできました。その姿を幼少から見ていて「同じやり方では絶対に超えられない」と感じていました。

弘前ブラザーが開いている洋裁教室

 「家業を100年企業にする」。これが後を継ぐにあたって、久保田さんが立てた目標です。そのために考えた戦略は「ものづくりの楽しさをオンラインとオフラインで発信し続けること」でした。

 人に会うことが得意ではない代わりに、久保田さんには「一人での作業が苦にならない」という強みがありました。

 仕事を覚えながら、日々ミシンの修理や刺繍、作品制作に取り組み、入社から数年でミシンの使い方はもちろん、故障品の修理全般を行えるまでの技術を身に付けました。

 ミシンに触ったことはなく、特段手先が器用でもありませんでしたが、作業を毎日繰り返し、失敗を重ねながら徐々にミシンの使い方や構造を覚えていきました。

 中小企業約9千社の経営者を対象にしたアンケート「大同生命サーベイ」によると、「新規顧客・販路の開拓」にあたっての課題として「商品・サービス力の強化」を挙げた企業が最も多い28%となりました。そんな中、家業を継いだ久保田さんは知恵を絞り、地道に自社のサービスの強化に努めています。

 久保田さんはホームページの改修に着手。ものづくりを支える姿勢を明確にすると、ブログでの発信を始めます。作った作品、修理したミシンの記録、イベントの告知など、項目ごとに記事を分け、最低でも2日に1回は記事を発信するようにしました。

 家業に入ってから現在まで、コンスタントに発信を続けており、ミシンの修理記事は1カ月に5回以上更新することもあります。

 同社に修理に持ち込まれるミシンは、新しいものから古いものまで様々です。それぞれ愛情を込めて使われてきたミシンを分解、清掃、部品交換、試運転をして、再び活躍できるようにして手元に返しています。

 修理の過程は写真付きでブログにアップし、どこが壊れていたのか、どのように直したのかがわかるようにしました。丁寧な作業をしていることが伝わり、ミシンを大切に扱う姿勢が愛好家に評価され、青森県だけでなく遠方からの修理依頼も相次いでいるそうです。

弘前ねぷたのペーパークラフト

 ハサミやカッターを使わずに、紙や布をカットできる「スキャンカット」という機械が発売された際は、ハロウィーンの装飾や郷土のまつりである「弘前ねぷた」のミニチュア作品を作成して公開し、反響を呼びました。

 ネットでの発信に力を入れたことで、作品を見た人にものづくりの楽しさが伝わり、県外からミシンを購入したいという問い合わせが増えたといいます。遠く離れた広島県や沖縄県などから注文を受けるケースもあります。

 ミシンの楽しさを地元でも共有するため、地域のハンドメイド作家との交流や、ショッピングモールでの刺繍イベントも始めました。広くものづくりの楽しさを伝えていくことが、家業を続けるために欠かせないと考えています。

 久保田さんは「まだまだ道半ばです」とはいうものの、「弘前ブラザーからミシンを買いたい」というお客さんが増えていることに、少しずつ手ごたえを感じています。

弘前ブラザーの技術を生かし、りんごに精密な模様を浮かび上がらせました

 近隣の地域でどの世代からも「ミシンといえば弘前ブラザー」と言われるくらいの認知度を得られることが次なる目標だそうです。

 たくさんの人にものづくりの楽しさを共有する日を目指して、久保田さんの発信は続きます。

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