下請けから強みを生かし研究開発型へ 顧客を3桁に増やした由紀精密3代目
人工衛星や航空機、医療器具など。高精度で耐久性を求められる金属部品の精密加工を手がけているのが、神奈川県茅ヶ崎市にある由紀精密です。大手計測機器メーカー数社からの依頼に応える下請けの町工場でしたが、3代目の大坪正人さんは積極的に新規顧客を開拓し、顧客数は1桁から3桁に、売上を4倍にまで伸ばしています。
人工衛星や航空機、医療器具など。高精度で耐久性を求められる金属部品の精密加工を手がけているのが、神奈川県茅ヶ崎市にある由紀精密です。大手計測機器メーカー数社からの依頼に応える下請けの町工場でしたが、3代目の大坪正人さんは積極的に新規顧客を開拓し、顧客数は1桁から3桁に、売上を4倍にまで伸ばしています。
目次
由紀精密は大坪さんの祖父、金属加工職人であった大坪三郎さんが、1961年に独立するかたちで創業します。当時は大坪螺子製作所という社名で、社名のとおりネジを中心とした金属部品の加工を、祖母と数人のパートさんで細々と作る、いわゆる下請けの町工場でした。
ところが、大坪さんが3歳のときに祖父が他界。26歳で現会長である父親の大坪由男さんが家業を継ぎます。祖父と同じように両親共働きで、事業を粛々と続けていきました。
「自宅と工場が近かったこと、機械が好きだったこともあり、幼稚園の頃から工場には出入りしていました。工作機械は危ないので触らせてもらえませんでしたが、加工が済んだ製品のバリ取りなどを、手伝っていましたね」
中学生になると学校やバンド活動に夢中になり、工場に足を運ぶ機会は減っていきます。
「進路や将来について両親からあれこれ言われたことは一度もありません。逆に、自分にとってはそのようなコミュニケーションが心地よく、自由に、好きなことに没頭していました。ただ祖母からは、いい大学に入って大企業に就職しなさい、と言われていましたが(笑)」
実際、大坪さんは東京大学で機械工学を専攻、大学院にも進み3次元積層造形技術の研究に没頭します。
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放任主義であったのは家業の業績が芳しくなかったことも、関係していたようです。当時の取引先は数社のみ、大手計測機器メーカーから公衆電話の部品などを受託していましたが、携帯電話の普及と共に、受注が激減していたからです。
新たな取引先を探し出し、光ファイバーのコネクタ部品の受注などを得ますが、こちらもしばらくすると生産が海外に移り、受注は減っていきました。
大坪さんは大学生になると、会社のホームページを作成するなど、営業活動でサポートします。ただメイン事業の落ち込みを補うまでの受注には、至りませんでした。
大企業の推薦枠もありましたが、ベンチャー気質も持ち合わせていた大坪さんは、当時、3次元プリンタで国内最大級のサービスを展開していたインクス(現ソライズ)への入社を決めます。
インクスはデジタル化の波にも乗り、急成長していきます。大坪さんはハードウェア部門の責任者として、世界最高速度で金型を作る工場を立ち上げ、携帯電話試作金型のシェア約3割を獲得するまでに、事業を成長させます。
対照的に家業は悪化する一方でした。父親の体調が芳しくないこともあり、売上高を借り入れが大きく上回るという自転車創業の状態。個人保証をしていたこともあり、このままでは会社だけでなく両親も最悪の状況になってしまうと、大坪さんは家業に入ることを決めます。
顧客先にアンケートを取り、由紀精密の魅力をヒアリングするところから、改革は始まりました。すると、安定した高い品質、難しい案件にも真摯に応じてくれるなど、職人の技術力や人柄が信頼されているとの強みが分かりました。
開発部門を設けることで設計段階からの提案もできるようにし、加工技術を伝える切削サンプルなどを製作し、展示会に出展することを決めます。
「製造業において大切なことは、技術力があると口で伝えるだけなく、実際の製品を作り、見せることです。どこの領域で勝負するかも重要だと考えました」
難しい金属加工を必要としている領域、かつ、会社の規模が大きくないため大量生産品ではなくニッチ、少量部品や製作物を求めている領域を模索していきます。
浮かんだのは、航空宇宙、医療、ロボット、工作機械、時計などの分野でした。各分野でまさに、由紀精密の技術力を認知してもらえるよう取り組んでいきます。
耐熱性が高いため航空宇宙分野でよく用いられるが加工が難しい材料、インコネルを複雑な形状にしたデモ品を製作。航空宇宙展に出展すると反響があり、受注に至ります。
医療分野では、脊椎に疾患を持つ人の体に埋め込む医療器具「脊椎インプラント」の開発段階から携わりました。同領域における日本製の製品として高いシェアを誇るまでに事業を伸ばします。
複雑機構の「Tourbillon(トゥールビヨン)」を搭載した腕時計を、独立時計師の浅岡肇氏とコラボレーションし、全パーツを製作。銀座の百貨店、和光で販売されています。スイス最大の精密機械・金属加工の展示会に出展するなどして話題を呼び、海外の時計メーカーや時計師から受注を得ます。
「技術力は高かったですが工作機械は一昔のものも多く、職人の手仕事に頼り過ぎている感がありました。そこで前職で培ったデジタルエンジニアリングを活用すべく、3DCAD、CAM、最新のCNCなども導入します」
また、航空宇宙領域では高精度な製品に加え、仕入れ、生産工程、検査、納品といったトレーサビリティも求められました。そこで、2008年にISO9001、2010年にJIS Q 9100の取得と、品質管理体制を整備していきます。
自社技術の情報発信を積極的に行うことで、“得意とする分野の問い合わせを受ける”スタイルを意識していました。具体的には、Webサイトを「研究開発型町工場」として専門的な相談が気軽にできる内容に刷新しました。あわせて会社のロゴ、自社の特徴や強みであるCI(コーポレート・アイデンティティ)を設定するなど、ブランディングにも注力していきました。
ただ、大坪さんがすべての改革をやるには限界があります。特に、3人の社員のサポートが大きかったと振り返ります。
うち2人は前の会社の後輩でした。1人は、設計に明るく、加工技術にも詳しいエンジニア。もう1人は、UI/UXのデザインからコーディング、一般的なデザインまでも担う、今でいうデザインエンジニアでした。
もう1人は中学・高校の友人でした。大学院時代には航空機の複合材を研究し賞を受賞。大手メーカーでキャリアを重ねていたエンジニアでした。彼らはなぜ、20人ほどの町工場に就職したのでしょう。
「本人たちに直接聞いたわけではありませんが、高い技術力を持っていること。大企業では難しい、大きなチャレンジができる環境が心地よかったようです。まさに、私が家業に入ってから取り組んでいたことでもありました」
高い技術力ならびに自由に活かせる環境があれば、会社の規模に関係なく、優秀なエンジニアは魅力を感じるようです。「技術力はあるけれど……」と嘆く中小町工場の経営者には、重要なヒントではないでしょうか。
先述したとおり両親はあれこれ言うタイプではなかったため、大坪さんの取り組みに異を唱えることはありませんでした。長く働く従業員も与えられた仕事を黙々とこなすタイプが多く、反発もなかったと言います。
それでも大坪さんは、なぜ新たな取り組みをしているのか。理由を従業員に説明することが重要だと考え、その頃、毎週月曜日に全従業員とコミュニケーションする場を設けます。
「このまま下請業務を続けていたら間違いなく倒産することを、帳簿の数字とあわせて伝えました。一方で、高い技術力があることも説明し、技術力を活かした、まさにこれまで説明してきた研究開発型の町工場に変貌していこう。そうするしか生き残る道はないと、正直に話しました」
中でも大坪さんが配慮したのが、エース級の技術力を持つ従業員への対応でした。高い技術力をリスペクトとすると共に、他の従業員にその技術力を伝授するような場を設けたのです。大坪さん自身も、その技術者に学びを受けます。
さらに、週一のミーティングでは業績がどこまで改善しているのか。今週は新規顧客が何件増えたかなど。常に最新の情報を共有することで、従業員のモチベーションが高まっていくとともに、不安な気持ちも解消していったそうです。
新しい顧客は次第に増えていきましたが、従来の仕事の減り幅が大きく、なかなかV字回復とはいきませんでした。それでも新規顧客の開拓を続け、数年後には横ばい状態に。このまま立ち直っていくかと思われました。そんな矢先、2008年にリーマンショックが発生、受注は再び前年同期比75%まで激減してしまいます。
「営業をひたすら続けました。このときばかりは知り合いや交流のある企業など、自分の持つネットワークを最大限活用してアプローチを続けました」
並行して、展示会などへの出展も変わらず続けます。
銀行からも可能な限り借り入れを続け、何とかリーマンショックからの回復を目指します。次第に努力が奏功し、リーマンショックが落ち着いてからは一転、これまで種をまいてきた努力が開花。新たな顧客からの依頼が舞い込むようになりました。
売上は10%平均で伸び続け、2017年以降は30%以上の成長を達成、約1.3億円から2018年時点で5億円ほどと約4倍に。従業員は20人から40人に、取引先は1桁から3桁にまで増え、海外から仕事が舞い込むまでになりました。
現在では家業を継いだ際に従業員の前で公言したとおり、航空機や超小型人工衛星などの精密部品の売上が既存の電気業界向けよりも割合が大きくなる、研究開発型町工場に生まれ変わりました。
しかし、再び試練が訪れます。コロナショックです。航空分野の落ち込みは激しく、商談中の案件ほとんどがストップしたそうです。しかし今回の危機でも変わらず、大坪さんは粛々と前出のような取り組みを続けました。
そのひとつが、ハイエンドアナログレコードプレーヤーです。ごくわずかな振動が音質に大きく影響するレコードプレーヤーにおいて、その振動や動作のズレを徹底的になくす機械設計にこだわったことで、レコードでありながらクリアでピュアな音源を実現します。
筆者も試聴しましたが、目の前で生の演奏を聞いているような、澄んだ音質を感じました。レコードプレーヤーは、当時の事業部長のアイデアでした。
「社員の意見には反対しませんし、やりたいことはできるだけやろうというのが、当社の方針です。レコードプレーヤーはエンドユーザー向けですが、製品を見た音響機器メーカーなどから、OEMの依頼があるかもしれませんし、専用の部品を作ってもらいたいとの問い合わせがあるかもしれない。結果としてBtoB にもつながると期待しています」
家業の立て直しを成功させた大坪さんは、新たな取り組みに着手します。その内容は、後編の記事「町工場からニッチトップの集合体へ M&Aは救済ではなく成長支援」で紹介します。
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