「海外輸出はマスト案件」 タケサン4代目が着目したグルテンフリー醤油
香川県の小豆島でヤマロク醤油が立ち上げた「木桶職人復活プロジェクト」が島内の醤油メーカーにも波及し始めました。同じく小豆島で醤油を根幹にした事業を手がけるタケサンがヤマロク醤油で製作した木桶を使ってグルテンフリーの醤油を製造し始めました。国内の食品市場規模は縮小していくなか、タケサン4代目の武部興征さん(41)は海外輸出に力を入れています。
香川県の小豆島でヤマロク醤油が立ち上げた「木桶職人復活プロジェクト」が島内の醤油メーカーにも波及し始めました。同じく小豆島で醤油を根幹にした事業を手がけるタケサンがヤマロク醤油で製作した木桶を使ってグルテンフリーの醤油を製造し始めました。国内の食品市場規模は縮小していくなか、タケサン4代目の武部興征さん(41)は海外輸出に力を入れています。
目次
香川県の小豆島で醤油、調味料、惣菜、佃煮事業を手がけるタケサンは複数のグループ会社を持つ、島の産業を支える会社の一つです。1945年にタケサンの前身となる武部吉次商店を始めました。年商はグループで30億円弱、全体の従業員数は150人です。
タケサンは武部さんの祖父である吉次さんが創業しました。終戦直後の深刻な食糧難の時代に、小豆島の特産品である醤油を使った佃煮づくりに着目し、島内で栽培が盛んだったさつまいもの蔓を醤油で炊き上げました。
1945年から阪神地方への出荷をはじめ、これが小豆島の佃煮産業の始まりとなりました。
「祖父は別の醤油会社で専務をしていたのですが、戦後、佃煮を閃いて、新規事業として始めました。自分でも会社を興してスタートしたことがタケサングループの始まりです」
佃煮から始まり、食品問屋を始め、醤油を事業として立ち上げたのは1966年、吉次さんが65歳ごろのことでした。
武部さんが家業に戻るきっかけは2011年の東日本大震災でした。
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「被災してままならない4月ごろに南三陸町や陸前高田市へ1週間ほど、災害ボランティアに行ったんです。そこで、瓦礫となり町がない状況に衝撃を受け、自分の使命について考えました。三陸地域は津波で物理的に町がなくなっていたけど、小豆島の場合は経済的に町がなくなるパターンもある。荒廃した三陸の町の姿が目に焼きついていて、自分がこの生涯でやるべき仕事はなんだろうと考えた時に、島に帰ることなんじゃないかと思ったんです」
当時の職場の仕事にやりがいを感じていましたが、2011年に退職し、ビジネススクールで経営学を学んだ後、2014年、30歳のころに家業に入りました。
家業に戻り、事業の厳しさを痛感しました。
「思ったより現状を取り巻く環境が厳しかったんです。やらないといけないことがたくさんあり、何をどこまで手を入れないといけないのかわからない状況でした」
さらには、タケサングループは業務用の取引が多く、コロナ禍に大打撃を受けました。2020年4月単月の売上が2019年と比較して半分に落ち込みました。
「父である現会長ととにかく話し合うようになり、誰かがちゃんと新しい旗を振らないといけないと危機感を感じ、自然と事業承継の話になっていきました」
2022年に武部さんが事業承継しました。
それまでグループ各社の代表は別々にいましたが、同じ方向を向いていくために武部さんが各社の代表に就任しグループを一つにまとめていきました。
今まで各社バラバラに動いていましたが、別社にそれぞれいる調味料や惣菜の企画開発担当者のジョブローテーションを組んだことで、それぞれの事業内容を理解し、営業提案の幅を広げることができるようになりました。
今後の事業を思案していた武部さんは、海外輸出に力を入れることを考えていました。
「アメリカ人の知人家族と食事をしていた時に、お子さんが小麦アレルギーで、食材探しに苦労されていることを知りました。醤油でお助けできることはないかと思ったんです」
このことが後押しになり、海外輸出の施策の一つとしてグルテンフリーの醤油づくりに挑むことにしました。
日本は少子高齢化などを理由に、国内の食品市場規模は縮小していく見込みがあることから、農林水産省は農林水産物・食品の輸出額について、2030年までに5兆円とする目標を設定し、「農林水産物・食品の輸出拡大実行戦略」を掲げています。
「食品業界で海外輸出はマスト案件なんです」
武部さんは前職でアメリカ視察をしていたことがありました。
「アメリカで日本食が売れていくのを見て、実家に戻ってきた時に、海外で勝負してみたいという思いが強かったんです」
キッコーマンが開拓したことで、海外で醤油の裾野はすでに広がっていますが、低価格帯の醤油が多いので、付加価値があれば進出できる余地があります。特にアメリカではグルテンフリーの商品がスーパーマーケットにたくさん並んでいます。そこに目をつけました。
現在、アメリカやヨーロッパ主要国では、グルテンフリー・ダイエットを実践する人が増加しています。市場調査会社リサーチ・アンド・マーケットによると、グルテンフリー市場は年平均成長率(CAGR)は11.3%に上り、今後数年も力強い成長が見込まれると予測しています。
「醤油って発酵するのに時間がかかるから、商品開発がすぐできないんですよね」
開発に3年かかり、いよいよ本格的に製造していくという段階で、今まで使っていた木桶がグルテンが浸透してしまっていることに気づきました。そこで、武部さんはヤマロク醤油に新桶を依頼しました。
タケサンが海外輸出に力を入れ出したのは2019年ごろ。売れ行きが伸びてきたのはコロナ禍からと言います。タケサンでは醤油はタンクと木桶で仕込み、その割合は8:2です。輸出用は木桶で仕込んできました。
タンクで仕込んだ醤油も輸出していましたが、木桶で仕込んだ醤油の方が人気でした。「たまたま、好まれた商品が木桶仕込み醤油だったということかもしれませんが、商品ラベルに日本らしい紙巻きのデザインを採用したことは良かったのかもしれません」と武部さんは言います。
醤油を仕込んでみると、新しい木桶で一から醤油を作ることの難しさを感じました。オリが多く、取れ高の歩留まりが悪かったものの、さまざまな改良を加え2023年10月から販売を開始しました。
毎月どこかしらから木桶醤油を販売したいと連絡が来ると言います。今まで海外は10社ほどと取り引きしていましたが、メインを数社に絞りました。その分取引先と関係を深め、しっかり販売してもらいたいという思いからです。
「一部の方だけに手に取ってもらうのでなく、幅広く手に取っていただきたいという思いがあり、ハイエンドな売り場だけでなく、じっくりと売ってくれる量販店のような売り場を持つ企業と取り引きしたいと考えています」
2021年には、Amazonでのインターネット販売にも力を入れ始めました。ページ内に木桶や、商品ボトルに和紙のラベルを手で巻いているところ、島の風景などの写真を入れ、商品の世界観を伝える工夫をしました。
今ではAmazon内のランキングで安定的に上位にランクインしているといいます。商品の魅力を伝える工夫をしたことで、現在の海外輸出の売上は2019年と比較して約2倍になりました。
ヤマロク醤油の山本さんの呼びかけで始まった「木桶職人復活プロジェクト」により絶滅を取り止めた木桶の技術。山本さんたちが作った木桶を使って、武部さんは海外の市場へのチャレンジをさらに進めようとしています。
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