目次

  1. 親子仲が悪くなっても
  2. ベンチャー企業の受け皿に
  3. ベンチャーの世界で名が売れる
  4. 省エネで中小企業庁長官賞に
  5. オープンファクトリーを立ち上げ
  6. 機能性重視のオリジナル製品
  7. 人をつないで収益を生む

 かつてのミヨシの取引先は自動車業界が8割で、そのほとんどを二つの会社が占めていました。本格化する海外への産地移転の目にみえる影響はなかったものの、リーマン・ショックの直撃で倒産の二文字が頭をよぎるようになります。売り上げは1997年の3億6千万円をピークに下降線をたどり、2010年には1億円を切りました。

ミヨシはプラスチック製品の試作金型や射出成形を手がける工場です(同社提供)

 杉山さんは結婚し、家を買ったばかりでした。進退窮まった杉山さんは「代表権を譲ってほしい」と創業者の父・文夫さんに進言しました。

 「やるからには自分の土俵で戦わなければなりません。それはミヨシを築き上げた父のこれまでをことごとく否定するようなものであり、親子仲はかなり悪くなりました。摩擦が生じるのは織り込み済みでしたが、そんなけんのんな雰囲気に付き合わせてしまった社員には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。『けんかはぼくらがいないところでやってください』といわれたこともありましたね」

 家業入りして9年。2012年に社長に就任した杉山さんが選んだ土俵は、ベンチャー企業の開拓、サステイナブルな企業への脱皮、そして産地復興。企業理念に掲げたのは「捨てられないものづくり」と「人の役に立つものづくり」でした。

 「3Dプリンターの普及により、メイカーズムーブメントが到来していました。アイデアをかたちにするには量産化が求められます。ベンチャー企業の受け皿になる。これがひとつ目の目標でした」

ミヨシの行動指針は社員とともにつくりました(同社提供)

 さまざまな会合に顔を出すなか、機楽(東京都狛江市)代表の石渡昌太さんと知り合います。かれがあたためていたアイデアが「RAPIRO」でした。みずから組み立て、プログラミングもできるロボットキット、まだなじみのなかったクラウドファンディングを利用した資金集め……。どこをとっても画期的なアイデアでした。

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