山﨑さんは国立福井大学在学中、知人とともに居酒屋を開業すると大繁盛。現場のチーフとして働き続けていましたが、26歳になり関東で働きたいという思いから福井を離れ、テクノアの東京支店に就職します。そこで営業職として頭角を現し、2004年から毎年トップの成績を取り続けます。
部下70人を抱え「さあやるぞ!」と張り切っていた山﨑さんに、突然試練が訪れます。リーマンショックです。就任するまで右肩上がりだった業績は、一変。当時9億円だった事業部の売上高は2年で7億円にまで減少しました。
当時の大道等社長から別の事業部への異動を打診されましたが、山﨑さんは「もう1年だけTECHS事業部長をやらせてください!」と懇願しました。どうしてもやり遂げたかったことがあったのです。
それは、TECHSのビジネスモデルの変革です。大道社長と一緒に、従来の代理店販売からユーザー直販に転換を進めていました。直販なら不況下でも、自分たちの創意と工夫で乗り切ることができるのではと考えていたのです。
そこで営業担当者は岐阜本社に集められ、何度もロールプレイの特訓を受けました。ユーザー役を務めたのは、当時の大道社長です。その指導は厳しく、烈火のごとく叱られた社員もいました。
中には「社長はなぜこんなにも私たちをいじめるのですか?」と嘆く社員もいましたが、営業担当一人ひとりがTECHSの利用価値を伝えられない限り、未来はなかったのです。
この特訓の成果は、3年目から顕著に出始めました。そして、山﨑さんが事業部長を務めた7年間で会社の売上は3倍、経常利益は10倍に成長しました。
カリスマ創業者から「次の社長をやってくれないか」
2015年11月、創業者で社長だった大道さんが体調不良を訴え、病院で診察を受けました。ステージ4の腎臓がんでした。翌1月、がんが身体のあちこちに転移していることが見つかりました。
当時執行役員だった山﨑さんは病床に呼ばれ、大道さんから打診されます。「次の社長をやってくれないか」
突然の申し出に山﨑さんは驚きつつも「分かりました」と即答しました。
このとき、山﨑さんはただただ目の前にいる、大恩のある人を何としても安心させたい…。その一心で「託されたバトンを引き受けます」と応えたのです。
テクノアは2月決算です。2016年5月9日、株主総会が開かれました。ここで山﨑さんは取締役に就任します。そしてその場で、それまで社長だった大道さんが取締役会長に、山﨑さんが代表取締役社長に選任されました。
二人三脚経営 わずか16日で閉幕
こうして二人三脚経営がスタートしました。が、直後の5月25日の未明、大道さんは息を引き取りました。二人三脚経営はわずか16日間で幕を閉じたのです。
二人三脚経営中、山﨑さんは大道会長から厳しい指導を受けていました。何百万円の決済しなければならないとき、山﨑さんは大道会長の指示を仰ごうと病床に電話しました。すると「お前が社長だからお前が決めろ」と電話を切られてしまいました。
『大善は非情に似たり』といいます。死期を悟った大道会長の強烈な突き放しに、山﨑さんは自分がまだまだ大道さんに甘えていたことに気づきました。
しかし、これからは悩み事があっても、相談できる相手はもういません。新社長の山﨑さんは、いきなり崖っぷちに立たされました。
そんな中、山﨑社長は、生前、大道さんに「俺は今までガタガタ言ってはきたが、何もやっていない。やったのは君たちじゃないか。自信を持って行け!」と、繰り返し言われたことを思い返していました。
暗くなる社内 ムード変えた「負けられない戦い」
カリスマ創業者を失った社内はどんどん暗くなっていきました。仕事は手につかず、業績も低下していきました。
そこで山﨑さんは決算後の翌2017年3月に「お別れの会」を開くことを決めました。そして次のように語りかけました。
お別れの会の様子
「人の評価は未来の姿で変わる。もし俺たちが事業を継続できず、衰退していけば世間から『大道さんは人を育てていなかったね』と言われる。逆に大道さんがいなくても社会のお役に立ち、継続的に成長できたら『大道さんは人を育てた素晴らしい人だね』と言われる。だから、これは絶対に負けられない戦いなんだ」
この檄に社員たちは奮い立ち、翌2月の決算で見事予算を達成。社内にようやく以前の笑顔が戻ってきました。
創業者から受け継ぐ理念から3つの具体策へ
山﨑さんが、16日間の二人三脚経営の間に教えてもらったことはたったひとつだけでした。
「社長の仕事はただひとつ、社員を幸せにすること」
社長就任後、山﨑さんはその言葉を実践した代表的な取り組みを3つ紹介します。
創業者の言葉から掲げた経営理念
第1は経営理念です。テクノアという社名は「テクノロジー」と「ノアの方舟」の造語です。その基になった「文明(テクノロジー)と文化(ノア)の懸け橋を目指して」が、それまでの経営理念でした。が、「文明や文化という言葉が社員にはわかりにくいのでは?」と山﨑さんは考えました。
そこで、大道さんが語っていたことをまとめて「縁があった企業や人々を幸せにする」を経営理念としました。
大道さんは20歳の時、大病を患って8ヵ月間入院したことがありました。その間に哲学書や宗教書などを読み、「人は、ただ仕事ができるだけではダメで才能と人徳の双方を持ち合わせた才徳兼備でなくてはならない」と気づきました。
そこで役立ったのが『才徳兼備』な社員を育てるべく、毎週土曜日に自らが講師となった「方舟研修」です。1回10人程度の参加で、社員は年2回受講します。当然、山﨑さんも何度も方舟研修を受けました。そこでの学びを一行に凝縮して、この理念が出来上がりました。
会社への意見箱
第2は、匿名の社員アンケートの実施です。いわゆる「社員から会社への意見箱」です。
始めたきっかけは、山﨑さんが「自分には叱ってくれる人がいない」と気づいたことでした。このままでは自分は慢心してしまう…そう考え、組織の自浄作用の一環として、匿名の社員アンケートの実施を決めたのです。
アンケートの中には辛辣な意見もあります。が、山﨑さんはそうした意見を「テクノアをもっと良い会社にしたい。そう思っているからこそ、意見を書いてくれるのだ」と真摯に受け止めています。
ただ、たまたま起きた出来事を毎日起こっているかのように感じ、「みんなそうだろう」という思いから意見されるケースもあります。
たとえ「みんなが…」と書かれていてもそれは本当に社員全員の思いなのか、「みんなもそう思っているのではないか」という一人の意見なのか、匿名のアンケートは読み取る側の力量が問われます。山﨑さんはアンケートを、より良い社内環境づくりと自分の力量アップの糧にしているのです。
「税金のかからない資産の蓄積」というビジネスモデル
第3は、社員とユーザーがともに幸せになっていく自分たちのビジネスモデルを、簡潔なサイクルで示し、実践していることです。
システムを導入する会社は、例外なく自社のなりたい姿の実現を目指しています。
システムを導入後に、システム会社からの伴走支援があれば理想像に近づきます。ですが、「売って終わり」だと、仕組みをどのように変えればよいかに気づかず、結果的に「あのシステムは無駄だった」と言われる残念な結果を招きます。ただし、どこまで伴走支援するかはコストまたは利益率にも直結するため、システム会社の思想に大きく影響します。
カスタマーサポートの様子
テクノアでは、営業担当をはじめ、システムの導入を支援する中小企業診断士やITコーディネータを多数育成しています。2025年4月時点で、中小企業診断士は11人、ITコーディネータは122人います。
改善を支援すると、IT経営力大賞やDX大賞を受賞する会社が出てくるようになりました。
また、ユーザーのシステムの利活用の状況をクラウド上で把握しています。毎日ログインしていたのに一週間ログインしなかったり、急に毎日データのバックアップをしなくなったりしたときは、テクノアのサポートセンターから電話をして、異変がなかったか確認しています。中小企業ではシステムの担当者が離職してしまうと、そのままシステムが使われなくなることがあるためです。
こうしたサポート体制により、ユーザーからたくさんの「ありがとう」が届きます。「ありがとう」が社員のモチベーションを高めます。また「ありがとう」を言ってくれるユーザーは、新たな利用者を紹介してくれます。
こうしたビジネスモデルを「税金のかからない資産の蓄積」と命名したサイクルで表現しています。「税金のかからない資産」とは、ユーザーをサポートしていくために必要なスキルのこと。このサイクルは図表のような8段階で構成されています。
テクノアのビジネスモデル。このビジネスモデルが回って、2024年度のTECHSサポートセンターへの「ありがとう」の声が800件以上、テクノア社員の平均残業時間は12.8時間、離職率はIT産業としては異例の3.7%です。お客様と社員がwin-winの関係を築いていることが結果として表れています。
「社長の仕事の90%は伝えること」といわれます。会社が「社員が幸せに働ける環境」を構築し、社員が自分から進んで「税金のかからない資産」を蓄積する。それが双方の成長や豊かさにつながっていくのだといいます。
かなわなかった夢 次の世代へ
山﨑社長にはひとつの夢がありました。
それは社長に就任したら、会長になった大道さんと机を並べて一緒に仕事をすることでした。
その夢はついにかないませんでした。が、大道さんの机は昔のまま、今も山﨑さんの横に置かれたままです。その机があることで、今もオフィスには大道さんの気配が残っています。
山﨑社長は、NLP=Next Leader Programと命名した社長塾を立ち上げ、自らが講師となって次世代を担う11人の社員を育成しています。
動機は「自分は社長をやらせてもらって、とても勉強になったし、面白かった。それと同じ思いを、次世代を担う人に味わってもらいたい」から。早くも次の社長の育成に取り掛かっているのです。
そして、こうも付け加えました。
「いつしか次の人に社長を譲り、そして2人で机を並べて仕事をする。そのとき大道さんが言ったように『俺は今までガタガタ言ってはきたが、何もやっていない。やったのは君たちじゃないか。自信を持って行け!』と、新社長を応援したい」
未来がシーンとして描けている人は強いです。その夢の実現に向け、山﨑さんは今日も社員が幸せに働ける環境づくりに取り組んでいます。