宮城県仙台市から北へ70km、仙台駅からJR東北本線で約1時間。ワンマン電車が行きついたのは、渡り鳥の飛来地としてラムサール条約登録湿地として知られる伊豆沼がある無人駅・新田(にった)。駅からメイン通りを500mほど歩くと、にぎやかな声が聞こえてきます。
目指すべきは「付加価値をプラスして、農作物や家畜を人の口に入る食べものに変えていくこと」とし、それを「食業」と定義することにしました。
「豚がハムという加工品に。ハムをお皿に盛りつければ、加工品は料理になる。付加価値が利益につながる」と考えた伊藤さん。最大のポイントは人が集まるところへ出店するのではなく、仙台駅から約1時間かけて「わざわざ来てもらうこと」を重視したところです。
最初は都会への出店も考えたそうですが、産地から離れるほどに鮮度も落ちるので、感動するほどのおいしさを提供できないと判断。鮮度重視で、食べる人に現地に来てもらう方法をとりました。その思いが現在のにぎわいへとつながっていきます。
創業者の思いを引き継ぐ「よそ者」
創業者の伊藤さんの思いに共感したのが、現社長の妻で、「伊豆沼農産」取締役の佐藤裕美さんです。
佐藤さんは自身のことを「よそ者です」と紹介します。
秋田県秋田市に生まれ、小学生の時に父親の転勤に伴い、仙台に移り住みました。
大学時代に受けたグリーンツーリズムやエコツーリズムの講義をきっかけに、いつかは農業や地域振興に関わることがしたいと思ってはいましたが、一旦は東京都内に広告代理店で働きます。
忙しい都会の生活の中でも農業や農村への思いが消えることはなく、平日は都内で仕事に没頭し、休日は自然豊かな環境に身をおくようになっていました。
そんな裕美さんの心が大きく揺れ動いたのは、2011年3月11日の東日本大震災。
都心の帰宅困難な状況、人々の食料や水の買い占めなどを目の当たりにして、野菜やお米を育て、困っている時はご近所同士で助け合うという田舎の暮らしの良さを思い返します。
「今度こそ農業に関わる仕事がしたい」と、転職活動を開始。
農業法人のほとんどが生産部門の人材募集をしている中で、裕美さんは前職の経験が生かせそうな「企画職」の求人募集を目にします。それが伊豆沼農産でした。
それと同時に、小規模ながらも地域資源を付加価値化し、独自ブランドを構築しながら、1つの作物だけでなく、養豚や稲作の生産、加工、販売と多角化経営をしている点に興味を抱いた佐藤さん。
また地域住民と共に、自立した農村産業を実現したいという、創業者の伊藤さんの思いに心を動かされました。
わざわざ訪れたくなる 伊豆沼農産体験プログラム
佐藤さんが中心となり進めてきたのが「伊豆沼農産体験プログラム」です。地域住民が地域資源の良さを再発見し、それを誇りに思い、お客様を誘客するという考えのもとで実施しています。
これまで東京や仙台などの都市部の子どもたちに、ウインナーやピザ作りなどの手作り体験教室を通して、伊豆沼地域をまるごと体験してもらうパッケージツアーなどを企画。
社員だけではなく、地域住民にも講師になってもらい、体験プログラムの種類を増やしたり、子ども会中心だった体験利用者の層を広げ、企業・団体・旅行会社とも連携を図ったりするなど、広告代理店だった前職の経験を生かして、着実に集客人数は伸びてきたのです。
コロナ禍で「体験」を大打撃 よそ者仲間の意見が欲しい
しかし、新型コロナウィルスの感染拡大が直撃します。毎年体験教室には4000人が訪れていましたが、コロナ禍は1000人に減少しました。レストランも70%減の来店数となり、苦戦が続きます。
訪れてもらい食べる、体験するところに価値をおいたプログラムはお先真っ暗になりました。
裕美さんは、コロナ禍が終息した時のために、新たな一手を考えなければと焦ります。
でも、社内の意見だけではまとまらず、自分の中でモヤモヤとしたものを感じていたそうです。
「都内在住だった自分は、自然の癒しを求めて、都会と地方を行き来するような生活に魅力を覚えた。だからこそ、この土地の良さを再発見するために、自分のような外部の人の意見が欲しい」と強く感じ、生まれ育った環境も年齢も、職業もまた違う人に意見をもらう「外部人材(プロボノ)」という方法に挑戦することにしました。参加したのは、東北経済産業局主催のプロボノプロジェクトです。
農村の産業化をテーマにした伊豆沼農産には、大手損害保険会社勤務、自動車販売、コンサル系会社勤務など職業や年齢などもバラバラの7人が集まりました。
農業のイロハも、伊豆沼という土地もまったく知らない人たちです。
コロナ禍に自分一人ではできないことができた
裕美さんがプロボノメンバーにお願いしたのは「農村を産業化したいという創業者の思いを、コロナ禍でどうやったら具体化できるのか?」でした。
目指すべきゴールは理解しているが、明日どう動いたら良いのかは分かりませんでした。誰にも相談できないまま、モヤモヤばかりが大きくなるばかり。
正直な気持ちをメンバーに打ち明け、それをくみ取ったメンバー達は半年で10回もの打ち合わせを通して、裕美さんや創業者の思いを整理、言語化して、資料に落とし込みました。
またプロボノプロジェクトの最終着地点として「食農体験ソムリエというコーディネーターに興味を持ってもらうオンラインイベント」を企画・開催しました。
食農体験ソムリエは2015年にスタートした資格で、地域の資源および特性を生かした、複合的な体験が提案できるスキルを認定する制度です。全国では7ヶ所の認定施設がありますが、東北では伊豆沼農産ただ一つ。地域の魅力を理解し、都市農村交流をアシストする「つなぎ人」を増やすためのオンラインイベントで、農業や食の仕事に携わる人だけでなく、ITや金融、製造業などさまざまな職業の人が集いました。
新型コロナウィルスという未曽有のパンデミックを経験したからこそ「ソムリエになりたい!」「伊豆沼を訪問したい」「これからは地域とつながりをもっともちたい」など、これからの自身の生き方を見直すきっかけにして下さった人が多い印象を受けたとのこと。
裕美さんは当時を振り返り「コロナ禍でも新しい一歩が踏み出せた。自分1人ではできないことが、外部の力によってできた。」と柔らかな笑みを見せます。
「よそ者」の目線で生み出す新たな価値
プロジェクト終了から3年後のある日。
裕美さんは当時のメンバー3人に、都市企業向けの「伊豆沼農産流 食・農・体験型 チームづくり研修プログラム」のチラシを渡しました。
プロボノプロジェクトを通して、都市部の企業や企業人が悩んでいることがイメージできるようになり、またその悩みを解決するために伊豆沼農産がどんなことができるのかが具体化された経験を生かし、練りに練った企画です。
伊豆沼地域をフィールドに知識取得・見る・つくる・関係性構築・達成の5つの要素をパッケージ化したもので、参加者は農村の産業化という経営ビジョンの研修や工場見学、ものづくり体験、食農体験ソムリエ認定資格の取得などを通して、伊豆沼の良さを体感して頂くと共に、都市部の企業と農村の新規事業の創出なども考えることができる内容になっています。
今後はより一層、都市部の企業にも積極的な提案をしていくつもりです。
地域を知らない「よそ者」たちは、まるで自分のことのように嬉しく感じています。
チラシを手にしながら微笑むのは、伊豆沼農産のプロボノプロジェクトリーダーの佐藤伸剛さん。「新たな形になって世に送り出されているのは、たまらなく嬉しい」と話します。また「金銭的な報酬はなくても、出会い・ご縁・新たな興味など、非金銭的な報酬に溢れている」と語るメンバーも。
「よそ者ってあまりいい言葉ではないかもしれないけど、よそ者が地方には必要なんだ」と創業者の伊藤さん。「一人で孤独を抱えなくてよかった。社員ではない、でも本当に会社のことを考え、寄り添ってくれる仲間ができた」と、裕美さんも満面の笑みで話します。
伊豆沼農産だけが儲かっても仕方ない。地域全体で元気になっていきたい。
都市と農村をつなぐ人を増やし、訪れる人も迎える地域住民も、みんなが元気になるような伊豆沼モデルを、全国各地の農山漁村に広めていくのが目標です。
地域の人にとって当たり前のことが、「よそ者」の目線を通せば、新たな価値に生まれ変わる。外部のアイデアが水や肥料となり、伊豆沼の地に新しい農村の形を芽吹かせてくれました。