「当時は正直つまらないと感じた。実家に帰れば仕事があると思った」との理由で、わずか1年半で実家である気仙沼市にあるムラカミに戻ってきますが、21歳まではゆっくりのんびり、何となく働いていたそうです。
妻の実家があり、約40km内陸部に入った登米市に家族を避難させ、村上さんは一旦気仙沼に戻りますが、現社長(村上さんの父)から「会社はどうにかするから」と言われ、震災から1週間後に生まれ育った気仙沼を離れる決意を固めました。
「前回働いた時とは全く違う。震災ですべてを失った状態で、ここで何かを吸収しようという気持ちが強かった」と当時を振り返りながら、そこで出会った上司や先輩から、販売・経営・数字管理などたくさんのことを教えてもらったと、心から出会いに感謝しています。
そして5年後。28歳の時に、一度流された場所に新たに建てた、新生「ムラカミ」に戻りました。
創業者は「冒険家のような人」だったムラカミ
創業者は村上さんの祖父にあたる、村上力男さん。
「名前の通り力に満ちあふれ、なんでも自分で作り、新しいことにどんどん挑戦していく冒険家のような人でした」
創業時はわかめの養殖・加工・販売などすべてをしていたそうですが、その後は加工・販売に専念し、1997年に法人化しました。当時は主流であった「干わかめ」から、わかめのみずみずしさをダイレクトに感じられる「塩蔵(えんぞう)わかめ」への切り替えも、近隣の地区ではムラカミが先駆けです。
創業者は塩蔵わかめを始めると同時に、大工さんに教わりながら自宅に3坪ほどの冷蔵庫を自ら建設し、宮城県松島にある一軒のお土産屋さんに塩蔵わかめを片道2時間かけて毎日配達していました。
多い時には1日に2~3回も。
創業者の「お客さまに美味しいわかめを届けたい」という気持ちは代々受け継がれ、創業から50年経っても、塩蔵わかめやわかめの加工食品をメインに手がける海鮮問屋として、地元にしっかり根付いています。
創業からの主力商品は「塩蔵わかめ」です。しかし、塩蔵わかめは低迷期を迎えつつあります。
村上さんは「塩蔵わかめはみずみずしさが特徴で、わかめ本来のおいしさを味わえるのは間違いない。でも、現代のライフスタイルにはなかなか合わなくなってきた」と話します。
塩蔵わかめは一度水で塩を抜き、包丁で切って料理に使っていくのですが、子育てと仕事の両立、忙しい日々を送るなかで、そのひと手間を面倒に感じる方も増えてきたと感じているからです。
また塩蔵わかめを食べていた世代が、高齢になってきたこともあり、需要が減る一方で、売り上げを伸ばしているのは、手軽に使える乾燥わかめです。
しかし、ムラカミには、乾燥わかめを大量に製造する設備がありません。
今さら多額の設備投資をして、競合他社がいる乾燥わかめの事業を会社の柱にすべきなのか……と悩んだそうです。そんな時に、たまたま出会ったのが、とあるスーパーで売られていた「海藻のお味噌汁」でした。
そのインスタント味噌汁を食べた時に、社長をはじめとする家族全員が「これなら、うちは勝てる」と感じ、海藻屋のプライドに火がつき、唯一あった小型の乾燥機を駆使して、味噌汁の商品開発を始めます。
幾度に渡る試作品づくりや食材探しなど、試行錯誤の末、出来上がったのが2019年に発売されたインスタント味噌汁「MISO SOUP」です。
プライドと宮城県産の食材が詰まった「MISO SOUP」
現在、主力商品だった塩蔵わかめの低迷期を補っているのが、オール宮城県産の食材を贅沢にコラボレーションした「MISO SOUP」です。
最大の魅力は、三陸の栄養をたっぷり蓄えた海藻本来の味をしっかり感じられるところ。主役の海藻の良さを引き立てるのは、仙台味噌を使用した調味みそ、太平洋の海風をたっぷり浴びて甘みが増して柔らかい南三陸ねぎ、老舗お麩屋さんの焼麩など、オール宮城県産の食材たちです。
海藻屋のプライドがたっぷり詰まったお味噌汁は、作り手にとって大満足の一品になりました。
ヒットはした でも、家族だけの新商品開発に不安
MISO SOUPは自社の通販サイトでの販売だけではなく、地元の百貨店のギフト商品にもラインナップされ、予想以上に売り上げを伸ばしています。
村上さんも「おいしさを受け入れて頂けた。会社を支える柱の1つになっていくと期待している」と自信を覗かせる一方で、今後の新商品開発に不安を抱えていることもありました。
不安とは「24時間一緒に暮らし、同じ食事をしている家族だけで、新商品を開発してよいのだろうか」というものです。これまで「ムラカミ」は、現社長である父、母、妻、村上さんの4人で商品開発をしてきました。
しかし、今後さらなる販路拡大を目標にしていくときに、味覚や価値観が似ている家族だけでの意見だけで開発を進めていくことが、正解なのか分からなくなってしまったのです。
わかめを知らない人の意見が欲しい 外部人材活用
そこで、新しい取り組みを始めます。
「わかめのことをあまり詳しくない人の意見を聞きたい」と考えた村上さんは、生まれ育った環境も年齢も、職業もまた違う人に意見をもらう「プロボノ(pro bono publicoの略で各分野の専門家が自身の知識やスキルで社会貢献すること)」という方法に挑戦することを決意しました。
正直なところ、家族以外に自分の会社での悩みを、気軽に打ち明けられる人が欲しいとも感じていたので、相談できる人ができるのならという思いも強かったと言います。
参加したのは、東北経済産業局主催のプロボノプロジェクトです。
オンラインで複数社の事業者がプレゼンを行い、参加するプロボノメンバーたちは自ら興味のある事業者を選びます。新商品開発をテーマにした「ムラカミ」には、大手保険会社勤務、公務員、健康食品系の会社勤務、大学生など職業や年齢などもバラバラの7人が集まりました。
「最初は、自分の思いがメンバーにきちんと伝わるのか不安だった」と村上さんは、初めてメンバーと顔合わせした日を振り返ります。
「廃棄するなんてもったいない」から商品開発
村上さんがプロボノメンバーにお願いしたのは「子どもが欲しくてたまらなくなるような、わかめの新商品を作りたい」です。テーマ設定の背景には、わかめを取り巻く、ある事情もありました。
温暖化の影響で海水温が上がっているせいか、やっと成長したころには、わかめが色落ちするなどの事態が始まっていて、現在は70%くらいしか良質なわかめが採れていないと、感じていました。
村上さん曰く、良質というのは、味も見た目もバッチリな状態のこと。味は問題ないからこそ、やはり一番の問題は「色落ち」でした。
状況が良くなるのか誰にも分からないのなら100%まで届かない、むしろ廃棄しなければならない残り30%のわかめに、新しい命を吹き込んで商品にしたいと考えていたのです。
そこで、メンバーたちに、実際に色落ちしたわかめを送り、試食してもらいました。すると「これを廃棄するなんてもったいない」「むしろ廃棄の原因となっている色落ちを活かしてみたらどうだろう?」などと、村上さんが考えてもみなかった意見が続々と出てきました。
わかめのプロにとっては致命的な色落ちを、むしろプラスに転換していこうという斬新な発想に、すごく驚いたそうです。
家族でも社員でもない仲間ができた
村上さんは新商品の年内完成を目指し、現在は試作品づくりの真っ最中。詳細は、家族と従業員、メンバーしか知りません。
「この商品はみんなで作ったもの。自分1人で売っていくという感じはしない」と嬉しそうに話しています。
東京・神奈川など遠く離れた場所に暮らし、直接会ったのは1度だけ、友達でも、家族でも、社員でもないけれど、同じゴールに向かって進んでくれる仲間の存在は、これから後継ぎとして進んでいく村上さんの励みになっています。
プロボノプロジェクトリーダーの佐藤伸剛さんは「プロジェクト中に僕らはもちろん、健ちゃん(村上さん)もわかめの可能性にワクワクしている姿が印象的だった。メンバー全員で考えたアイディアをとても大切にし、また商品化に向けて1つ1つ前に進んでいることが本当に嬉しい」と話し、これからも村上さんを仲間としてサポートしていきたいと話します。
わかめの概念を変えていきたい
わかめの概念を越えていきたい。わかめで驚きをプレゼントしたいというのが、村上さんの目標です。
これまでは身近な地域の方々に受け入れられるように商品開発を進め、宮城県を中心に商売をしてきました。
でも外部人材活用により、宮城県以外の地域のライフスタイルやニーズなどが見えてきたこともあり、今後は首都圏を中心とした販路拡大を狙っています。
わかめのプロフェッショナルは、これから「わかめを知らない人達とだからこそ生まれた、斬新なアイディア」を武器に、新たな潮風を宮城県気仙沼市から、全国に吹かせていくことでしょう。