目次

  1. 実家に戻れば何とかなる 甘えは東日本大震災で流された
  2. 創業者は「冒険家のような人」だったムラカミ
  3. プライドと宮城県産の食材が詰まった「MISO SOUP」
  4. ヒットはした でも、家族だけの新商品開発に不安
  5. わかめを知らない人の意見が欲しい 外部人材活用
  6. 「廃棄するなんてもったいない」から商品開発
  7. 家族でも社員でもない仲間ができた
  8. わかめの概念を変えていきたい
ここにあった自宅は津波で流された

 村上さんは高校卒業後、18歳から大手スーパーの鮮魚部門(宮城県登米市の店舗)で働いていました。

 「当時は正直つまらないと感じた。実家に帰れば仕事があると思った」との理由で、わずか1年半で実家である気仙沼市にあるムラカミに戻ってきますが、21歳まではゆっくりのんびり、何となく働いていたそうです。

 その後、21歳の時に結婚。守るべき家族の存在が仕事への意欲を高めてくれた矢先、23歳の時に東日本大震災で被災。工場と自宅、すべてを失いました。

震災後の仮設事務所兼自宅

 妻の実家があり、約40km内陸部に入った登米市に家族を避難させ、村上さんは一旦気仙沼に戻りますが、現社長(村上さんの父)から「会社はどうにかするから」と言われ、震災から1週間後に生まれ育った気仙沼を離れる決意を固めました。

 生まれたばかりの我が子と、妻を守るための苦渋の決断です。

 その後は、以前働いていた大手スーパーの鮮魚部門で、もう一度働き始めます。

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