目次

  1. 創業以来74年 鋳造一筋 大阪から宮崎へ
  2. 兄は製版会社 弟は家業へ
  3. 「パソコンを使えば楽になるよ」とExcelで受注管理
  4. 鋳造や銅への興味から鍋やたこ焼きプレートを鋳造
  5. 「社長の決断がこんなにも重く難しいものとは」
  6. コロナ禍で受注激減 売上も4割減
  7. 子どもの「おいしい」 鋳物の鍋の商品化を後押し
  8. 蓄熱性と軽量化を両立「一度沸騰したらあとは弱火で」
  9. 「新規事業は自分たちの努力や工夫次第」

 宮崎県北東部に位置する日向市(ひゅうがし)にある「日向キャスティング」は、創業以来、銅合金やアルミニウム合金による鋳造業を営んできました。「鋳造」とは、木や樹脂の型を砂型に転写し、そこに溶けた金属を流し込んでさまざまな形状の製品をつくる技術です。

砂型をつくる様子

 「鋳造の良さは、複雑な形状であっても同じ物をたくさん安価でつくれること。原料の金属を機械加工で成形するより、時間もコストも抑えられます」

砂型に溶けた金属を流し込む。金属が冷えたら砂型を壊し、できた製品を機械加工で仕上げて製品が完成する(日向キャスティング提供)

 こう語るのは日向キャスティングの3代目、代表取締役の笹部直規さん(44)です。

 日向キャスティングの創業は、1949(昭和24)年。直規さんの祖父の太一郎(たいちろう)さんが兵庫県尼崎市で始めた「神崎合金」がその前身です。当時から船舶部品などを鋳造の技術によって製造していました。

 1991年からは直規さんの父、太三郎(だいさぶろう)さん(73)が妻の出身地である日向市に会社と工場を移転させて、鋳造業を続けることになりました。このときに社名が「日向キャスティング」に変わりました。当時、直規さんは中学1年生でした。

 「以前は工場ばかりだった地域にも住宅が建ち始め、週末や夜間の操業に制約が出てきたのが移転のきっかけになったと父から聞いています。鋳造業は砂を使うために砂ぼこりが立ちます。金属を溶かすのに火も使いますし、騒音も出ますから、住宅が近くにある環境で操業するのは難しいんです」

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