宮崎県北東部に位置する日向市(ひゅうがし)にある「日向キャスティング」は、創業以来、銅合金やアルミニウム合金による鋳造業を営んできました。「鋳造」とは、木や樹脂の型を砂型に転写し、そこに溶けた金属を流し込んでさまざまな形状の製品をつくる技術です。
日向キャスティングの創業は、1949(昭和24)年。直規さんの祖父の太一郎(たいちろう)さんが兵庫県尼崎市で始めた「神崎合金」がその前身です。当時から船舶部品などを鋳造の技術によって製造していました。
1991年からは直規さんの父、太三郎(だいさぶろう)さん(73)が妻の出身地である日向市に会社と工場を移転させて、鋳造業を続けることになりました。このときに社名が「日向キャスティング」に変わりました。当時、直規さんは中学1年生でした。
「以前は工場ばかりだった地域にも住宅が建ち始め、週末や夜間の操業に制約が出てきたのが移転のきっかけになったと父から聞いています。鋳造業は砂を使うために砂ぼこりが立ちます。金属を溶かすのに火も使いますし、騒音も出ますから、住宅が近くにある環境で操業するのは難しいんです」
2016年には太三郎さんが会長となり、直規さんが3代目社長に就任。弟の良司さん(42)が専務として工場を統括するようになりました。
日向キャスティングは役員4人、従業員10人。船のポンプに使用する銅合金の船舶部品を鋳造するほか、アルミニウム合金を使った鋳造、新規事業としての生活用品も手がけています。
兄は製版会社 弟は家業へ
3代目の直規さんはもともと、家業を継ぐことは考えていませんでした。そのため、高校卒業後は神戸電子専門学校(兵庫県神戸市)に入学してグラフィックデザインを専攻しました。
「高校の授業でたまたまPhotoshopに触れる機会がありました。そのとき、こんなに簡単に写真のレタッチ(加工や修正)ができるのかと衝撃を受けて、この分野をより深く学びたいと専門学校に進学しました」
一方、弟の良司さんは大学卒業後、すぐに日向キャスティングに入社します。その原体験は中学時代にありました。
「工場にマシニングセンタ(金属を加工する機械)を導入するにあたり、父が延岡のポリテクセンターに講習を受けにいくことになりました。当時中学生だった私も人数合わせで連れていかれたんです。そこでものづくりの面白さを知ったのが家業に入るきっかけになりました」(専務・良司さん)
こうして良司さんは兄の直規さんより先に入社します。直規さんは専門学校を卒業後、2000年から大阪の製版会社(印刷用の刷版(さっぱん)を製造する会社)で写真のレタッチを専門とするオペレーターとして働き始めました。
「パソコンを使えば楽になるよ」とExcelで受注管理
製版会社に勤務して6年ほど経ったころ、直規さんは父から思いがけない提案を受けます。日向キャスティングの事業が好調で人手が足りなくなったため、「よければ実家に戻って家業を手伝ってくれないか」と言われたのです。直規さんは迷いました。
「当時の印刷業界は深夜まで仕事をするのが当たり前でした。当時すでに結婚していましたが、夜中に帰宅して、朝起きて食事を済ませたら即出社という生活。家族と過ごす時間はほとんどなく、この生活を長く続けるのはきついなと思い始めていました。ただ、レタッチの仕事は好きでしたから、地元に帰るかどうかはかなり悩みました」
直規さんは1年ほど悩んだ末、帰郷し、2007年に日向キャスティングに入社しました。最初の数年は、鋳造した部品を加工して仕上げるプロセスを中心に担当しました。
中学生のころから部品のバリ(製造工程で生じた余計なギザギザや出っ張り部分)を機械で取り除く作業を手伝っていたため、仕事にはスムーズに馴染むことができました。
現場の仕事と並行して、業務の効率化や生産性向上のための社内改善にも力を入れました。入社して驚いたのは、会社にパソコンがなく、すべて手書きや記憶に頼っていたことです。受注の状況はすべて社長の太三郎さんの「頭の中」にあり、太三郎さんがいないと他の社員は何をどれだけつくればいいかもわからない状況でした。
そのため、直規さんは会社に初めてパソコンを導入しました。Excelで得意先や受注状況を管理して、経理もできるように仕組みづくりをしました。
「会社の業務は完全なアナログで驚きました。父も、頭の中ですべてを管理するのは大変だったと思います。『パソコンを使えばお父さんが管理する必要はなくなるんだよ。楽になるよ』と話をしたら『じゃあ、やってみよう』と乗り気になってくれたので、早速パソコンを導入しました」
鋳造や銅への興味から鍋やたこ焼きプレートを鋳造
日向キャスティングに入社後、直規さんは鋳造技術や材料としての銅に対する興味関心が高まり、鋳造の歴史、銅という素材の特徴を本やインターネットで熱心に調べるようになりました。
「鋳造の歴史が紀元前にまでさかのぼること、錆びに強く柔らかい銅の性質を活かして、古代から人類はさまざまな生活用品をつくってきたこと、奈良や鎌倉の大仏も鋳物であること、大仏の鋳造方法……。こうした知識を知れば知るほど、ますます鋳造や銅に対する興味関心が高まっていきました」
そのうち直規さんは、鍋、たこ焼きプレート、花瓶、掛け時計、絵など、身の回りの物を銅合金で鋳造し始めました。自分で使える物、欲しい物を鋳物でつくってみたくなったのです。
「うちの技術ならこんな物もつくれます、というPRにもなるかもしれないと思って始めました。大阪の展示会では鋳物のたこ焼きプレートを展示したところ、どんどん人が寄ってきました。けれども、販売しようとはまったく考えていませんでした」
「社長の決断がこんなにも重く難しいものとは」
2016年、父の太三郎さんが会長となり、直規さんは3代目社長に、弟の良司さんは専務に就任しました。社長になる前から社内の改善に取り組み、会社のお金の流れも見ていましたから仕事の中身が大きく変わったわけではありません。しかし、責任の重さは尋常ではなかったと言います。
「自分が社長になってみて、今までは父がいたから何でもできたんだな、随分好き勝手に言っていたな、と気づきました。『社長になっても今まで通り思い切りやればいいじゃないか』と思う一方で、『従業員もいるのに失敗したらどうしよう』と考えてしまう自分もいます。社長の決断がこんなにも重く、難しいものとは思いませんでした」
コロナ禍で受注激減 売上も4割減
日向キャスティングもコロナ禍では大きな打撃を受けました。最初に異変を感じたのは2020年3月。予定されていたベトナム視察が中止となったことでした。
「これまで視察が中止になったことはありませんでしたから、これはただごとではない、世の中がおかしくなる、受注も近いうちになくなると直感しました」
直規さんの悪い予感は的中します。世界中で物流が止まり、船の運航がストップします。2020年6月ごろには船舶部品の注文がほぼ途絶えました。それから約1年もの間、日向キャスティングは週休3日を余儀なくされ、2020年度の売上は4割も減少しました。
材料価格の高騰にも悩まされました。コロナ禍の影響で銅とアルミの価格が急落した後、今度は価格が約2倍に跳ね上がったのです。感染状況が落ち着いて世界中で経済活動が回復し始めていたことと、ロシアによるウクライナ侵攻が原因でした。
しかし、まだ日向キャスティングの受注は戻っておらず、値上げをすることもできませんでした。「この時期が一番きつかった」と直規さんは振り返ります。
子どもの「おいしい」 鋳物の鍋の商品化を後押し
そんな状況を手をこまぬいて見ていたわけではありません。直規さんはベトナム視察が中止になってすぐ「船舶部品以外の新しい事業を」と考え、新規事業の立ち上げに乗り出していたのです。
鋳造や銅について調べながら、身の回りの生活雑貨を銅合金製鋳物でつくっていたことがここで役に立ちました。鍋なら多くの人が手に取ってくれると考え、鍋の商品化を思いつきます。鋳物鍋で作ったカレーを直規さんが家族に振る舞ったところ、子どもが「おいしい、おいしい」と言っていつも以上に喜んで食べてくれたことも後押しになりました。
そこで直規さんは、自分でデザインした鍋のプロトタイプを持って日向市産業支援センター「ひむか-Biz」を訪ねました。日向キャスティングはBtoBの事業しか経験がなかったため、個人のお客さんにどう商品を訴求していくべきか、見当がつかなかったのです。
ひむか-Bizで商品パッケージのデザイナー、地元の料理研究家につないでもらい、商品化や販促用のレシピ集の作成を進めていきました。
蓄熱性と軽量化を両立「一度沸騰したらあとは弱火で」
鍋のブラッシュアップも進めました。銅は熱電伝導性と蓄熱性に優れていますが、鉄よりも比重の重い金属です。日常で使ってもらうにはなるべく軽いほうがいいのですが、鍋を薄くしすぎると蓄熱性が失われてしまいます。
そのため、試作を重ねて蓄熱性と軽量化のバランスを追求しました。油なじみをよくして焦げつきを防ぐために、鍋肌をあえてザラザラとした梨地に加工する工夫も施しました。
こうしてできあがったのが「imono」シリーズの最初の商品、「tefu-tefu(てふてふ)」です。銅と錫を9:1で混ぜた銅合金製の鋳物鍋は、錆びに強く、熱伝導性や蓄熱性に優れているのが特徴です。そのためtefu-tefuの熱伝導性は鉄製鍋の4〜5倍にもなります。
「一度沸騰したら、あとは弱火で調理できます。火から外してもしばらくはボコボコと沸いているほど蓄熱性が高いのが特徴です。弱火で調理できるから焦げつく心配がありませんし、省エネにもなる。料理に苦手意識がある人や初心者ほど使いやすい鍋だと思います」
2021年4月、一般発売を前にクラウドファンディングのMakuakeに出品することにしました。宮崎県産業振興機構が運営するみやざきフードビジネス相談ステーションから「宮崎県主催でMakuakeを活用して宮崎物産展をするので出店してはどうか」と提案があったのがきっかけでした。
クラウドファンディングが始まると、直規さんの予想を超える注文が入りました。最終的には目標額30万円の409%、120万円超を達成。勢いを得たtefu-tefuは6月に自社ECサイトや楽天市場での販売を始めます。
2022年3月にはMakuakeでimonoシリーズの第2弾、銅合金製たこ焼きプレート「takotto(たこっと)」も発売したところ、目標金額20万円の2120%、売上420万円超を達成しました。
2022年8月、RKB毎日放送「世界一の九州が始まる!」で日向キャスティングの取り組みが紹介されたときには、在庫が放送当日に完売しました。コロナ禍をきっかけとしたキャンプ需要の高まりも、鍋やたこ焼きプレートの人気を後押ししています。
「『料理がすごくおいしくできた』『これまで使っていたたこ焼きプレートよりカリッと焼けて感動した』という感想をお客様から直接いただけて驚きましたし、うれしかったですね。船舶部品は図面通りにつくって当たり前。お叱りを受けることはあっても、褒められることはまずありませんから(笑)」
2022年と2023年には雑誌『料理王国』主催で日本を代表する食の逸品100アイテムを選定する「料理王国100選」にtefu-tefuが2年連続入賞。2022年には上位10商品に与えられる優秀賞も受賞しました。料理界のトップシェフや食のバイヤーからも高く評価されたのです。
imonoシリーズの商品は、宮崎県内の百貨店、ホテル「シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート」、雑貨店で販売されています。2023年3月にはセレクトショップBEAMSが展開する日本の魅力を世界に発信するショップ「BEAMS JAPAN」で、従来より大きな直径20cmのtefu-tefuの専売がスタートしました。
「新規事業は自分たちの努力や工夫次第」
imonoシリーズの販売は順調です。船舶部品の注文も2022年9月ごろからコロナ禍前の水準に戻り、値上げもできました。目下の悩みは、船舶部品の受注が好調で、imonoシリーズの製造にまでなかなか手が回らないことです。
「今年中には製造部門の従業員を1人増やせないかと考えています。会社と工場が日向市の山間にあって車でなければ通勤できないこともあり、採用には苦労しています。ただ、会社の認知度が上がったおかげで、昨年は広報担当の従業員を採用できました。中途だけでなく、新卒にも募集を広げるつもりです」
imonoシリーズの良さをどのように訴求するかも課題です。銅合金製鋳物鍋の熱伝導性や蓄熱性の良さを、まだ実際に使ったことのない消費者に伝えるのは難しい、と直規さんは痛感しています。
「InstagramをはじめとするSNSで地道に情報発信をしながら、料理教室の開催やイベント出展を通してimonoシリーズの良さを直接伝えていこうと考えています。
鋳物業界は基本的に下請け業であり、社会情勢や景気に左右されやすい業界です。しかし新規事業は、自分たちの努力や工夫次第で売上を上げることができます。
お客様からスキレット(フライパンの一種)や卵焼き器をつくってほしいという要望もいただいていますから、少しずつお応えしていきたいです。今後2年間で認知度向上・売上増を実現して、新規事業の売上を全体の1割にまで伸ばすのが目標です」