目次

  1. 屋台から始まった「江戸政」 義父への親孝行と思い承継
  2. 残っていなかったレシピ それでも初日から焼き台に
  3. 創業者の手記からタレが完成
  4. 「江戸政 = 生肉の店」のイメージ広まる
  5. 閉店のお知らせを決めた理由
  6. 「危険を広めてしまった責任をとるための閉店」

 1924年に屋台から始まった江戸政を浜名さんが継ぐきっかけは、義父である先代の死去でした。それまで「継ぐことは考えていなかった」どころか、焼鳥屋をやっていることぐらいしか知らなかったといいます。

 義父の死に際し、義母に挨拶するときに自然と出た言葉が「継がせてください」でした。継ぐことが義父に対する親孝行だと、義父が眠る前で義母へ承継する意思を伝えました。

江戸政のたたきの焼

 2006年11月、女将である義母と、未経験の浜名さんとの二人三脚で、新生・江戸政が始まりました。皿洗いから始まると思っていたところ、「あなたは3代目でしょ?お父さんと同じとこに立つんだから胸張って。3代目として胸張らなきゃダメだよ」と言われ、浜名さんは初日から焼き台に立ちました。

 当時の江戸政は、先代の他界を知らない人を含め、常連客で埋まるお店でした。女将が仕込み、浜名さんが焼いていました。

 しかし、女将にもタレの作り方など伝承されていないことが多く、レシピもほぼ残っていませんでした。また、浜名さんの焼きの技術が先代には遠く及ばなかったため、みるみるうちにお客さんが減ったといいます。

 このままでは潰れてしまうと感じた浜名さんは、焼きや仕込みの技術を覚えるため外に修業に出ることにしました。しかし、1年半後、女将が体調を崩したため、修業が完全に終わらぬまま、浜名さんは江戸政に戻りました。浜名さんが名実ともに3代目店主となり、妻が新たに女将に就きました。

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