目次

  1. ジャンプ作品が大好きだった少年時代
  2. 留学で多様な価値観を受け入れる 
  3. 「自分がやりたい道」システムエンジニアに
  4. 「やっぱり継いでほしい」3カ月悩んで決意
  5. 体力勝負だった書店の現場
  6. 電子書籍を全社員に配る
  7. コロナ禍で社長に就任
  8. 老朽化で本店建て替えへ

――亀井さんは子どものころ、家業についてどう思っていましたか。

 神保町から電車で数駅のところに実家がありました。本店で働く父の帰宅は毎晩遅く、「お父さんはなぜこんなに家にいないのかな」と思っていました。当時は祖父も一緒に仕事をしており、仕事の方針をめぐって家庭内で議論することもしょっちゅうです。それを見ながら、「楽な仕事ではないのだな」と感じていました。

1881(明治14)年に古書店として創業して以来、ずっと神保町にある三省堂書店。写真は亀井さんが生まれたころの、1976年の様子(朝日新聞のデータベースから引用)

――神保町にはよく行ったのですか。

 神保町に行くのは年に数回でした。辞書や参考書を買うときぐらいです。当時は小型書店、いわゆる「まちの本屋さん」が実家の近所に数店あり、普段の買い物はそこでしていました。週刊少年ジャンプの全盛期で、毎週の発売日がとても楽しみでしたね。好きだったのは「キン肉マン」や「北斗の拳」です。両親からも特段「本を読みなさい」と言われることはありませんでした。

――高校で、シンガポールに留学したのですね。

 高校1年の夏休みに、サマースクールでシンガポールに1週間ほど滞在しました。私にとって初めての外国で、見るものすべてが新鮮で刺激を受けました。その後「もっと外国で学びたい」と、改めてシンガポールに2年間留学しました。

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