建て替え中も活字文化の火は消さない 三省堂書店5代目の決意
日本の活字文化の集積地、東京・神保町に本店を構える三省堂書店は、2021年に創業140年を迎えました。5代目社長の亀井崇雄さん(46)は、厳しい出版不況やコロナ禍において、将来を見据えた本店建て替えを指揮します。「本のまち神保町の火を消さない」と仮店舗での営業を続ける、思いのルーツをたずねました。
日本の活字文化の集積地、東京・神保町に本店を構える三省堂書店は、2021年に創業140年を迎えました。5代目社長の亀井崇雄さん(46)は、厳しい出版不況やコロナ禍において、将来を見据えた本店建て替えを指揮します。「本のまち神保町の火を消さない」と仮店舗での営業を続ける、思いのルーツをたずねました。
目次
――亀井さんは子どものころ、家業についてどう思っていましたか。
神保町から電車で数駅のところに実家がありました。本店で働く父の帰宅は毎晩遅く、「お父さんはなぜこんなに家にいないのかな」と思っていました。当時は祖父も一緒に仕事をしており、仕事の方針をめぐって家庭内で議論することもしょっちゅうです。それを見ながら、「楽な仕事ではないのだな」と感じていました。
――神保町にはよく行ったのですか。
神保町に行くのは年に数回でした。辞書や参考書を買うときぐらいです。当時は小型書店、いわゆる「まちの本屋さん」が実家の近所に数店あり、普段の買い物はそこでしていました。週刊少年ジャンプの全盛期で、毎週の発売日がとても楽しみでしたね。好きだったのは「キン肉マン」や「北斗の拳」です。両親からも特段「本を読みなさい」と言われることはありませんでした。
――高校で、シンガポールに留学したのですね。
高校1年の夏休みに、サマースクールでシンガポールに1週間ほど滞在しました。私にとって初めての外国で、見るものすべてが新鮮で刺激を受けました。その後「もっと外国で学びたい」と、改めてシンガポールに2年間留学しました。
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――留学生活はいかがでしたか。
カナダ系のインターナショナルスクールで学びました。授業は全て英語です。当時は台湾やインドネシアからの留学生が多く、日本人は少数派でした。私はそこで、できるだけ日本人以外の留学生と友達になろうとしました。
台湾やインドネシアからの留学生は、母国語で会話をする相手が多くいます。そこに、わざわざ英語でコミュニケーションをとらなければならない日本人の私が入っていくのは大変でした。自分という人間を認めてもらいながら多様な価値観を受け入れていくことで、自分の世界が広がったと感じました。
帰国後は明治学院大学国際学部に進学し、卒業後はシステムエンジニアになりました。
――家業に就職しなかったのはなぜですか。
自分のやりたい道に進みたかったからです。子どものころからコンピュータのプログラミングに関心がありました。父も当時は「家業を継いでほしい」とも言わず、私が進路の報告をしても「いいんじゃない」とあっさりした反応でした。
――どのような仕事を手掛けたのですか。
金融機関の管理システムのメンテナンスや設計を担当しました。ユーザーである金融機関のニーズを確認し、システム設計の見積もりを出して折衝し、プロジェクトを進める仕事です。ユーザーや社内の関連部門とコミュニケーションをとりながら進めていきました。
――2005年に、30歳で家業の三省堂書店に入社されました。きっかけは。
システムエンジニアの仕事が多忙で、一人暮らしの家事がままならなくなり、一時的に実家から通勤した時期がありました。すると、それまでは私に対して「自分の好きなことをやればいい」だった父の態度が変化していきました。
――後を継ぐよう、説得されたのですね。
ぐいぐいこられました。「やっぱり継いでほしい」「他に継ぐ人がいない」「どうしても継ぎたくなければ、親族全員が納得する説明をしてほしい」と言うのです。私が仕事で毎日へとへとになって帰宅するところに畳みかけてきました。父にしてみれば「今がチャンス」と考えたのかもしれません。
――すぐに入社を決めたのですか。
「後を継いでほしい」と言われてから、3カ月ほど悩みました。システムエンジニアというデジタルの仕事と、書店のアナログの仕事は全く違うと感じたからです。とても迷いましたが、最終的には親不孝者になりきれず、「自分なりに、家業に貢献できることを探していこう」と入社を決めました。
――入社して、最初に何を担当しましたか。
神保町本店の雑誌売り場を担当しました。具体的には雑誌の棚を管理しながら、売り上げを伸ばすにはどうしたらいいかを考える仕事です。出版社と話し合いながら、雑誌の展開のしかたを工夫していきました。
――なぜ最初の担当が雑誌売り場だったのですか。
現場の仕事がよくわかるからです。社内的にも、新入社員はまず雑誌売り場からキャリアをスタートする傾向がありました。商品として、雑誌や文庫本は「本の入り口」のようなポジションです。店内では雑誌が持つ情報が一番新しく、そこから本に続くという位置づけでした。実際の売り場も店舗の入り口のすぐそばにあります。そこから書店というものを見て、勉強するところから始めました。
――仕事は入社前にイメージしていた通りでしたか。
想像以上に忙しく、体力勝負だと感じました。毎日新しい雑誌が入荷するので、物量との戦いです。翌日の開店時間までに陳列しなければならない雑誌が、カゴ台車に満載されて入荷し、付録にひもをかけたりしながら並べていきます。加えて、出版社や取次の人たちとの打ち合わせやお客様からの問い合わせ対応、アルバイトへの指示出しなど、時間に追われる日々でした。
前職のシステムエンジニアは、プロジェクトの期日に合わせて、自分である程度仕事のペース配分ができました。ところが書店は違います。入荷する雑誌や来店するお客様に合わせていくのです。仕事の進め方が根本的に変化しました。子どものころ、父の帰宅が毎晩遅かった理由もよくわかりました。
――2010年に専務に就任。新規事業を担当されたそうですね。
電子書籍の導入を担当しました。社内でも「『紙の本』対『電子書籍』」の構図で取りざたされており、電子書籍を事業化するのが私のミッションでした。デジタル領域に詳しそうな社員を集めてプロジェクトチームを立ち上げ、凸版印刷のグループ会社で電子書籍配信を手がける「BookLive(ブックライブ)」さんとの事業提携を進めることになりました。
――なぜBookLiveだったのですか。
いくつかの電子書店との提携を検討するなかで、BookLiveがうちの強みを最も生かせると考えたからです。店頭で電子書籍が購入できる仕組みなど、リアル書店との相性のよさを感じました。
――社内の反応はいかがでしたか。
表立った反対意見はありませんでしたが、それよりも私が危惧したのは「反対はしないが、積極的に売ろうともしない」ことでした。企画倒れにならないよう、まずは電子書籍を理解してもらおうと、全社員に電子書籍リーダーを配布して使ってもらいました。
――手応えはありましたか。
紙の本が大好きな社員たちから「非常にいい」「電子書籍も意外と読める」という声が聞かれました。なかには電子書籍が気に入りすぎて、規定の容量を超える漫画をダウンロードし、「2台目を自費購入する」と言う社員もいたほどです。
実際に電子書籍を使ってみたことで、社内では「紙の本VS電子書籍」という対立構造ではなく、「紙の本もいいし、電子書籍もいい」という認識が広がりました。「本を求めるお客様の選択肢のひとつとして、リアル書店で電子書籍も紹介していこう」と、ベクトルが合っていきました。
――リアル書店に行かない人が、電子書籍を買うのだと思っていました。
うちでは、店頭で電子書籍を買うことができます。意外だったのは、BookLiveのプリペイドカードがよく売れたことです。当時(2010年代前半)はまだ、電子書籍をクレジットカード決済で買うのに抵抗を感じる人が一定数いて、そういった人が店頭で、プリペイドカードを現金で買っていきました。紙の本でも電子書籍でも、リアル書店にできることが、まだたくさんあるのではないかという手応えを感じました。
現在もBookLiveとの提携を続けるなかで、図書カードや電子書籍クーポンが当たる抽選会を行うなど、紙の本と電子書籍との相乗効果が生まれる方法を模索し続けています。
――2020年11月に社長に就任しました。なぜ、このタイミングだったのですか。
いくつかの要素が重なりました。ひとつは、2021年に創業140周年を控えていたことです。代替わりには区切りのいいタイミングでした。
もうひとつは、父の高齢化です。私から見ても、体力的に経営のスピードについていくのが大変なのではと感じていました。父も私に世代交代の話をするようになり、「そろそろかな」という意識はありました。そこに、コロナ禍というピンチが起きたのです。社長室に呼ばれて「おまえがやるしかないだろう」と告げられた時には、迷いもなく淡々と受け入れました。
――コロナ禍でピンチになったのですね。
出版業界全体では、コロナ禍の「巣ごもり需要」で本の役割が見直され、売り上げが伸びましたが、三省堂書店の売り上げは下がりました。都市部のビジネス街や駅ビルなど、人の往来が多い場所を中心に出店しているため、リモートワークの浸透が逆風になったのです。第2波以降、補償の対象になるような業種でもなく、2020年度の決算は赤字に転落しました。
――2022年5月に、内部が老朽化した本店を一時閉店。6月1日から仮店舗で営業を再開しました。建て替え中、仮店舗での営業を決めたのはなぜでしょうか。
本のまち神保町の、文化の火を消したくないからです。建て替えの間、思い切って本店を閉めるという案もありましたが、創業の地でお客様との接点をなくしたくないというのが本音でした。
※後編では、仮店舗移転までの舞台裏や、亀井さんの読書の仕方についてもうかがいます。
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