目次

  1. コロナ禍で売り上げ4分の1に
  2. 「自分が引き受けるしかない」
  3. ミシンを踏む以外は何でも
  4. 靴の開発で大切にしたこと
  5. OEMではできないことを
  6. 初挑戦のCFで達成率1330%
  7. 引き継ぐチャレンジ精神
  8. 「靴の産地・浅草」を広めたい
  9. 靴作りへの思いをエンジンに

 デコルテは1983年、佳李さんの父で現社長の正雄さん(70)が創業。ユナイテッドアローズやベイクルーズなど有力セレクトショップを展開するアパレルと直接取引を重ね、提案型のOEMで技術とセンスを磨きました。

 佳李さんがデコルテに入社したのは2012年。短大卒業後、大手アパレル企業の販売職などを経験しましたが、デコルテの経理担当者が高齢だったこともあり「手伝ってくれないか」と声がかかりました。

デコルテはファッション感度の高い靴作りを得意としています(同社提供)

 当時は継ぐつもりは全くなく、気軽な気持ちで引き受けたといいます。学生時代に工場で靴作りの一部を手伝うなど職人とも顔なじみで、抵抗はありませんでした。

 しかし、コロナ禍で事態は一転します。百貨店や商業施設の休業のあおりを受けてアパレルは販売不振に陥り、各企業は商品の生産量を絞るように。革靴の中高級品市場も停滞し、ピーク時の2014年には6万5千足あったデコルテの年間生産数は21年には2万5千足に減り、売上高も約4分の1となりました。

 「このままでは会社がなくなってしまうかも」。そんな危機感から、社員6人全員で今後を話し合うことになりました。

靴棚にはデコルテの靴作りの歴史が詰まっています

 正雄さんはまず、営業のキャリア30年以上の社員に「社長にならないか」と投げかけました。しかし「キャリアのある営業はできるけれど、経営は無理です」と断られます。

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