目次

  1. いかに納得して家業に入るか考えた
  2. アクセンチュアで学んだ2つのこと
  3. 同業の衣料品問屋を買収、再生に名乗り
  4. クリエイターの集うシェアオフィス開業
  5. 起業家と違う後継ぎの利点とは
  6. モノだけでなくヒトも流通する仕組みを

 東京都中央区の日本橋横山町と日本橋馬喰町の一帯は、古くからの繊維問屋街として知られます。丸太屋は1953(昭和28)年、武田さんの曽祖母・藤本ヒデさんが衣料品問屋として、この地に設立しました。小売事業者向けの衣料品卸事業のほか、周辺やタイで計4軒のホテルを運営しています。武田さんの父・洋さん(68)が社長を務め、従業員数は186人です。

衣料品卸事業などを営む丸太屋の本社。武田さんの父・洋さんが社長を務める。ログズ本社もこのビル内にある(ログズ提供)

 丸太屋の4代目にあたるのが、洋さんの長男である武田さんです。丸太屋が2014年に近くの衣料品問屋「ニューカネノ」を買収して子会社化した際、勤め先を辞めて社長に就きました。現在の社名は「ログズ」、従業員数は25人です。

 武田さんによると、創業者藤本ヒデさん以降、家系に生まれる子どもは女の子ばかりで、武田さんが初めての男の子だったそうです。娘婿として3代目社長になった洋さんから「将来はお前が継ぐんだぞ」と言われて育ったといいます。

 はっきり覚えているのは、小学校6年生の時のできごとです。当時習っていたピアノを辞め、中学受験のために塾通いするよう言われました。「ピアノを続けて音大に進んでも、社長になれるわけではない」というのが洋さんの言い分でした。

 「表立って親の考えに逆らうことはありませんでした。ただ、高校3年生くらいになると、後を継ぐという決められた道とどう折り合いをつけるか、どうすれば納得した上で家業に入れるか、を考えるようになりました」

 慶応大学在学中は、見聞を広めようと自転車で日本一周したり、バックパッカーとして世界70カ国以上を旅したりしました。やがて「レールを敷かれた人生、後を継ぐという宿命を背負った人生は、後継ぎにしか経験できない」と前向きに考えられるようになったといいます。

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