市街地に開いたツリーハウス 拓匠開発2代目の街づくりと組織改革
千葉市の不動産ディベロッパー「拓匠開発」は、千葉県内を中心に宅地開発や住宅販売を手がけています。2代目の工藤英之さん(48)は経営が傾いた時期に家業に入り、住民が気軽に立ち寄れるツリーハウスのあるカフェやベーカリーを経営するなど、街と一体化した開発を次々と仕掛けました。11プロジェクトでグッドデザイン賞を獲得。江戸幕府をモチーフに経営幹部と従業員をつなぐ組織体制も作り、従業員の発想による商業施設の運営も始めています。
千葉市の不動産ディベロッパー「拓匠開発」は、千葉県内を中心に宅地開発や住宅販売を手がけています。2代目の工藤英之さん(48)は経営が傾いた時期に家業に入り、住民が気軽に立ち寄れるツリーハウスのあるカフェやベーカリーを経営するなど、街と一体化した開発を次々と仕掛けました。11プロジェクトでグッドデザイン賞を獲得。江戸幕府をモチーフに経営幹部と従業員をつなぐ組織体制も作り、従業員の発想による商業施設の運営も始めています。
目次
拓匠開発は工藤さんの父・茂さんが1988年に創業しました。創業35年の今は社員123人(グループ会社を含む)を抱え、宅地建物取引士22人、1級建築士3人の体制です。年商は約63億円にのぼります。
創業時に中学生だった工藤さんから見た父は多くを語らず、いつも図面を描いていて、懸命に働いている印象でした。
当時の拓匠開発はボロボロのアパートの2階で、「社長という仕事はギラギラしているイメージだったけれど、現実はこういうものなのかと」と思ったといいます。
父から「後を継いでほしい」といった話は一切ありません。それでも、土木の勉強をしてほしいという気持ちは伝わり、工藤さんは日本大学生産工学部土木工学科に進学しました。
工藤さんは大学で音楽に熱中し、イギリスや南アフリカに1年滞在しながら音楽を楽しむ学生だったといいます。卒業後は千葉県内の工務店に就職し、主に現場監督を担いました。
28歳で結婚し、2002年に3年勤めた会社を辞め、新婚旅行で世界各地を回りました。このころの工藤さんは「戻ってきたら拓匠開発で父に雇ってもらおう」という軽い気持ちがあったといいます。
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しかし、帰国後、工藤さんは父と話をするためオフィスを訪れて驚きました。以前は20人ほどいた従業員が、父を含めて4人になっていたのです。ちょうど経営がうまくいっていないころでした。
工藤さんは父に「給料は払えない」と言われましたが、家業への入社を決めます。02年9月のことでした。
入社後に任されたのは、同県習志野市の宅地開発事業の設計業務でした。拓匠開発が購入した土地で道路や下水道などのライフライン、公園やごみ置き場などの配置を考えるのが仕事です。設計後は行政から開発許可を得て宅地を造り、完成した宅地を一括してディベロッパーやハウスメーカーなどに卸します。工藤さんにとって初めての設計でしたが、懸命にやり遂げました。この案件で得た利益で負債を返せたといいます。
しかし、人材育成では課題を抱えていました。採用しても定着せず、工藤さんの大学時代の恩師から新卒生を紹介してもらうなどして、従業員は家業に入った時から8人になりました。
そのころの工藤さんは、家業を辞めようと考えたことがありました。
父は過去の経営難から「大きなことを成すより、資金繰りが安定した今の規模で経営を続けたい」と思い、これ以上従業員を増やしたくない意向でした。
しかし、当時30歳だった工藤さんは「夢がない」と感じたのです。それでも「父への感謝と我慢が大事」と思い、会社にとどまりました。
その後、父から「土地の仕入れに回れ」と言われ、設計から配置転換。他にも経理以外の業務をすべて経験します。
工藤さんは「先代は言葉にはしなかったけれど、家業を継ぐのを見越して仕事の上流から下流まで見えるようになってほしい、という道しるべを示してくれたと思います。会社を渡した後、1~2年は事業がうまくいかなくてもやっていけるように資金や人材を準備してくれました」
34歳のとき、工藤さんは父から「後を継ぐ準備はできているか」と尋ねられ、09年7月に2代目社長に就任。先代は会長になりました。
2代目として取り組んだのは、住宅販売への参入です。
先代の父も建売住宅の販売を手がけたことがありました。しかし、宅地を開発してディベロッパーやハウスメーカーに売るBtoBは得意でしたが、個人客に家を売るBtoCの営業経験がなく、うまくいきませんでした。それが経営悪化にもつながったため、宅地開発に専念していたのです。
工藤さんは家業を継ぐ前後に豪州・メルボルンを視察。「街並みを作ってこそのまちづくり」と強く思うようになりました。街並みに統一感がないことが多い日本に比べ、海外の住宅は街並みと一体となっていました。
工藤さんは「Buy a house, Get a town(家を買うと街がついてくる)」というコンセプトで住宅販売の事業に再参入したのです。
街づくりの第一歩となったのは、木の上に建てるツリーハウスです。以前から作りたいという夢があり、14年に長野県の山林で、ツリーハウスを中心とした森を保全する取り組みに参画。グッドデザイン賞に輝きました。
同じころ、拓匠開発の本社近くに5区画分の土地を購入しました。JR千葉駅から徒歩9分ながら、大きなイチョウとカシの木がそびえ、工藤さんは「この木を切らずに生かしたい」と考えます。
この5区画に住宅を建てれば、確実に利益が出る土地だったといいます。しかし、工藤さんはかつて視察した米国・ポートランドで見た「住んでいる人が生き生きしていて、地域の人たちが集まれる場」を参考に、この土地をコミュニティースペースにすることに決めたのです。
そして15年10月、「椿森コムナ」という空間を開きました。二つのツリーハウスを中心に、カフェやキッチンカーを運営し、つり橋や天然木の展望デッキを兼ね備えています。建築現場の残材も有効活用しました。
椿森コムナの年間売り上げは3500万円ほどで、営業利益は1千万円出ており、営業利益率は約29%になります。開業から7年経ちますが、土地代やツリーハウス建設費などの初期コストを十分に回収できました。
目の前は千葉公園で、地域の人や観光客も気軽に訪れられる場所となりました。地域のシンボルとなった椿森コムナは16年にグッドデザイン賞に輝き、千葉市都市文化賞グランプリも受賞。様々なメディアでも紹介され、会社のブランディングに結びつきました。
拓匠開発は長年、企業向けのビジネスを展開しており、一般消費者への知名度アップが課題でした。
そのため、ブランディングの一つとして、椿森コムナ以外にもグッドデザイン賞に挑戦し続けています。14年に、前述した長野県の「ツリーハウスの街」と「平屋の街をつくる。」というプロジェクトでダブル受賞を果たしました。その後も分譲住宅やオフィスビルなどで実績を重ね、23年3月時点では計11プロジェクトで受賞しています。
ブランディングの成功で企業認知度が上がり、新卒採用では全国から、中途採用では大手企業経験者から応募が来るように。この10年は毎年5~10人の新卒を採用し、23年4月も5人が入社しました。住宅の購入者が増えたり、土地を販売してもらいやすくなったりする効果もありました。
工藤さんが家業を継いで10年。組織を見直したとき、従業員が増えているのに役員の数は一切変わらないことに気づきました。「ふとした会話がビジネスに結びつく。従業員の意見が(幹部に)上がってくることが大事」と考え、組織体制を見直します。
体制を一新し、20年7月に設けたのが「エンジェル制度」です。「エンジェル」という立場の従業員が、一般社員の意見を集約し、社長や執行役員に届けるというものです。しかし、従業員は「エンジェルが自分たちの側ではなく、社長や執行役員側ではないか」と信用してくれず、うまくいかなかったといいます。
そこで22年7月、エンジェル制度をアップデートしたのが「伍人衆」という仕組みです。江戸幕府をモチーフにしたもので、経営陣と従業員の間に「伍人衆」が入る形はエンジェル制度と同じですが、その下に「新鮮組」というグループを設けました。
「新鮮組」はさらに、新卒入社5年以内の5人でつくる「新組」と、中途入社の5人で構成する「鮮組」に分かれます。計10人が「伍人衆」のトップで「お頭」と呼ばれる従業員と連携。新しい事業のアイデアなどを一緒にブラッシュアップし、経営陣に提案できるようにしたのです。
「新組」と「鮮組」は定期的にメンバーを入れ替え、勉強会を行うなど、全従業員が経営に関わり意見ができる体制となっています。工藤さんは「色々な従業員の人生を生かせる風土が大事」と語ります。
新型コロナウイルスによるリモートワークの拡大で、駅から離れた物件も人気となり、拓匠開発は過去最高の売り上げを記録しました。コロナ禍でも、新しい事業に次々と取り組める背景には、工藤さんが進めた組織改革があります。
22年10月、千葉公園の目の前に商業施設兼オフィス「the RECORDS」を開業しました。元々はビジネスホテルだった建物で、拓匠開発は21年3月に購入しました。しかし、購入当初は何に使うかは決めておらず、従業員全員にアイデアを求めました。
拓匠開発には、化粧品やアパレルの元販売員、シェフ、利き酒師などユニークな経歴を持つ従業員がいます。様々な発想が交ざることで面白い企画が生まれると考え、各部署から従業員を集めました。現場の声を大事にしながら、2年かけて「the RECORDS」を形にしたのです。
1階にはカフェやベーカリー、バーがあり、2階にはテラス席のほか、拓匠開発の住宅を購入したオーナー向けのラウンジもあります。3階と4階は拓匠開発のオフィス、5階には会員制の料亭やバーがオープンしました。飲食店は拓匠開発のグループ会社が運営して収益を得ています。
「椿森コムナ」や「the RECORDS」が面する千葉公園は、千葉市の中心地にありながら、市民でも遠くから足を運ぶ人は少ない静かな場所でした。拓匠開発はこの地で、マウンテンバイクの全日本選手権や三輪自転車(ウォーキングバイシクル)のレンタル、夜間のアートフェスといったイベントなどを展開しています。
工藤さんは「売って終わりではなく、手がけた街を大事にしていきたい」と力を込めます。
工藤さんは拓匠開発の将来について「長く残る会社にしたいので、いずれは3代目に承継したい」と考えています。
「しかし、僕の息子を3代目にすることは考えていません。従業員の中からその時代に合った人に任せたい。創業者はすごいし、絶対にかなわない。同じ土俵に立つのではなく、先代から受け継いだものを僕の代で大きくして、3代目に承継するのが役割と思っています」
工藤さんは上場を考えたこともあるといいますが「長期的に考えて、上場するよりも人を育てること、そして会社の思いや考え、風土を承継していくことに注力したい」と語ります。
後を継ぐか迷っている人たちには、次のようなメッセージを送りました。
「社長になるにはエネルギーがいるし、継いでうまくいかなくても、先代が現役の年齢ならもう一度社長に戻ってきてもらえます。だから継ぐなら若く、できるだけ早い方がいいと思います」
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