目次

  1. 父に誘われ畑違いの家業に
  2. 突然の3代目就任
  3. 課題だった自社商品開発に着手
  4. 県のデザイン塾での出会い
  5. こいのぼりの新たな楽しみ方を
  6. 不要なポールを回収して製造
  7. 販促の両輪はSNSと展示会
  8. 不良率の低減が課題に
  9. 既存商品への問い合わせが増加

 三共は1961年、佐藤さんの祖父・林義博さんがアルミ製国旗竿の製造・販売会社として立ち上げました。旗竿製造で培った加工技術を生かしてこいのぼり用のアルミ伸縮ポールを開発し、矢車のようなこいのぼり関連製品も手がけ始めます。2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピックの国旗掲揚ポールに同社の旗竿が採用されました。

 従業員は現在11人。売り上げの9割近くを旗竿とこいのぼり関連用品が占めています。

三共のこいのぼり用ポールと矢車(三共提供)

 3人姉妹の長女の佐藤さんは大人になるまで、三共が何をしている会社なのか詳しく知らなかったといいます。

 実家に事務所があったものの、離れた場所にあった工場に行くことはほとんどなく、父で2代目社長の林博和さんから「後を継いでほしい」と言われたこともありませんでした。「子どものころは製品に触れることがなく、父や祖父が事務作業をしているところしか見たことがなかったです」

 三共の経営は家族ぐるみで、父親と祖父に加えて叔父と叔母も勤務。佐藤さんのいとこに継いでもらう選択肢もありました。

 佐藤さんは入社するまで動物病院で働いていましたが、08年に父から「(三共に)来ない?」と突然誘われました。その理由を父親は特に話さず、佐藤さんも聞きませんでした。

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