福永紙工は1963年の創業以来、紙製品やパッケージなどの印刷加工を手がけてきた、従業員40人ほどの会社です。2代目社長の山田さんはアパレル企業を経て、妻の実家が経営する福永紙工に入社しました。社長に就任したのは約15年前になります。福永さんはスタディーツアーで、自身のキャリアについて語り始めました。
「ファッションが好きで愛知県から上京し、アパレル企業に就職して妻と職場結婚しました。結婚がバブル崩壊のタイミングと重なり、義父である前社長から『福永紙工に就職しないか』と誘われて入社しました」
当時の福永紙工は、地元の多摩地区を中心としたクライアントからの注文を受け、お菓子の箱などのパッケージ印刷を手がけていました。山田さんは印刷の仕事をいちから学び、十数年間取り組む中で二つの課題を感じたといいます。
「一つは福永紙工の『下請け体質』です。クライアントからは送られる版下から印刷加工して納期通りに納めることだけが求められ、その要求に応える日々でした。うちには箔押しや型抜きといった加工技術に優れ、制作物の品質も高いのに、言われるままで立場が弱いと感じていました。デジタル化やペーパーレスで印刷需要が減る中、同業他社との価格競争やパイの奪い合いに巻き込まれるのは時間の問題でした」
「もう一つは私自身のモチベーションです。もともとファッションやアートといったクリエイティブなことが好きなのに、当時の仕事にはその要素がほぼありません。自分の『好きなこと』が無い仕事を、長くは続けられないと思いました。デザインを仕事に取り入れれば、他社との差別化になるかもしれないとも考えました」
山田さんが2006年、福永紙工の工場の片隅で、ひっそりとスタートしたプロジェクトが「かみの工作所」です。紙を加工・印刷することで道具の新たな可能性を求める企画で、メンバーには山田さんが声をかけた社外のデザイナーが加わりました。「部活みたいな感じでしたね」と振り返り、こう続けます。
「デザイナーたちにうちの工場を見学してもらい、『この設備で何か新しいものを作りませんか』と呼びかけました。当時は町工場でのデザイン活動が珍しく、皆さん面白がってくれました。『こんなのが作れたら楽しいよね』と工場で試作品を作り、展示会でお披露目すると反響が大きく、手応えを感じました」
当時、印刷会社が参加する展示会といえば、機材展などの印刷業界向けがほとんどでした。
一方、「かみの工作所」が出展したのは、国際的なデザインの見本市です。09年の「インテリアライフスタイル」でブレークし、世界の名だたる美術館のミュージアムショップから引き合いが来たと山田さんは振り返ります。
「かみの工作所」の代表的な商品のひとつが「空気の器」です。トラフ建築設計事務所とのコラボから生まれました。「1枚の紙に型抜きの切り込みを細かく入れて、うつわ状に立ち上げる仕組みです」
「空気の器」はトラフ建築設計事務所とのコラボから生まれました
福永紙工のホームページでは、小物を入れるトレー、花瓶の装飾、ワインのギフト包装といった活用例を示していますが、山田さんは「用途を聞かれることが多いのですが、自由に使ってもらえれば」と笑います。
「日本のプロダクトは用途が明確でないと売りにくいと言われますが、『空気の器』はそれを飛び越えてヒットしました。累計で60万セットほど売れています」
建築家の寺田尚樹さんとのコラボから生まれた「テラダモケイ」も代表的な商品です。
「レーザーカッターで細かくカットした紙を組み立てる、紙のプラモデルのようなものですね。アニメ作品や鉄道会社シリーズもあり、100を超えるアイテムを発表しています」
「テラダモケイ」は建築家の寺田尚樹さんとのコラボから生まれました
「かみの工作所」は、福永紙工に元々あった設備や技術にデザインを掛け合わせて生まれた商品の数々です。商品にデザイナーの名前をクレジットして、商品コンセプトを前面に出すことで、デザイナーと福永紙工双方の知名度が上がったと山田さんはいいます。
「これまでに50人以上のデザイナーとコラボしてきました。デザイナーとの信頼関係を大切にし、楽しく仕事ができています」
設備の3分の1を手放し資源集中
ここでスタディーツアーは工場見学に入ります。参加者からは、実際に商品が作られていく様子に驚きの声が上がりました。
工場内は建屋の広さの割に設備が少なく広々とした印象です。それには理由がありました。
広々とした福永紙工の工場内部
「19年に、下請けの仕事を設備と従業員ごと東京の老舗紙製品メーカーに譲渡しました。ピーク時はうちの売り上げの7割を占める仕事でしたが、3年かけて従業員に説明し、納得してもらいました。会社の設備の3分の1を手放した形です」
「クライアントにはとてもお世話になりましたが、注文が減り続けるなかで設備と雇用を維持するのが厳しくなっていたのも事実です。型抜きなど、うちの得意領域は残して、下請けではなく自社オリジナルの仕事に集中したいと考えました」
キャッシュポイントが増えた理由
下請け仕事を手放してクリエイティブにかじを切った福永紙工。注文が減っていたとはいえ、大きな経営判断でした。勝算はあったのでしょうか。
「それは半々でした。デザイナーとのコラボに手応えを感じる一方で、ずっと続いてきた仕事を手放すのは無謀だとも思いました」
思い切ってクリエイティブに特化したことで、仕事の企画段階から参加できるようになったと山田さんは話します。
「キャッシュポイント(対価を得る機会)が増えたと感じます。うちで対応できない印刷でも、外部の協力会社に委託してプロデュースや進行管理に関わることができますし、うちがデザイナーと協力会社の製造工場との間に立って、クリエイティブ領域の翻訳作業をすることもあります。やってみてわかったのですが、競合がほぼおらず、日本中のクリエイティブな印刷の仕事が集まってきました」
下請け仕事を手放した後も、従業員数はずっと40人ほどで推移しているといいます。
「製造部門は減りましたが、デザインや営業部門が増えました。採用は新卒が増えましたね。現在デザイン設計を任せている従業員は、美大を卒業後に入社して3年目です。美大から印刷会社を、それもうちしか受験しなかったと聞いて驚きました」
地元で紙製品の直営店をオープン
スタディーツアーは福永紙工の直営店「SUPER PAPER MARKET」へ向かいます。22年4月、JR立川駅から徒歩約8分の複合施設内にオープンした店には、福永紙工の商品のほか、さまざまな素材の紙を用いた文具や、特殊印刷技術が使われたプロダクトや画材、紙にまつわる書籍など、国内外からセレクトした約5400点の商品が並びます。
「SUPER PAPER MARKET」の店内
店舗面積は約480平方メートル。書籍「デザインのひきだし」創刊編集長の津田淳子さんが、陳列商品のコーディネートを引き受けてくれたといいます。
「うちの取引先の商品も多く、産地や制作者がわかるようにディスプレーしています。最近では商品を持ち込んでくれる会社も増えました。お客さんには、手に取ってわかる紙の魅力を感じてもらえたらと思います」
三男が立ち上げた新プロジェクト
スタディーツアーには、山田さんの三男の十維さんも加わりました。十維さんは、武蔵野美術大学出身の4人によるクリエイターズコミューン「NEW」の代表を務めながら、「箱」に特化したプロジェクト「UNBOX(アンボックス)」を21年に福永紙工と共同で発表しています。
「箱を、再発明する」をテーマに、箱の機能と美しさを提案するUNBOXは、22年のグッドデザイン賞を受賞しました。
ツアーで説明する山田十維さん(右)
「UNBOXを立ち上げたのは、父が抱える課題がきっかけでした。福永紙工はクリエイティブにかじを切り、名だたるファッションブランドや企業からのパッケージの難題に応えていく中で、特殊な紙の構造を数多く生み出してきました。でもその意匠はあくまでもクライアントのもので、福永紙工には残りません。福永紙工で技術が蓄えられないという課題がありました」
そこで福永紙工の無形文化遺産とも言える「紙の設計構造力」を可視化するために始めたのがUNBOXでした。
UNBOXではパン屋や花屋といったように、顧客の用途に合わせた紙の箱を開発しています。
例えば「パン屋のためのアンボックス」は、店舗でパンを選ぶときはトレーに、 持ち帰るときにはショップバックに、 自宅ではシェアするときはお皿というように、変幻自在の形状が特徴です。
パン屋のためのアンボックス
「花屋のためのアンボックス」は、買った花を持ち帰る手提げと、自宅のコップを花瓶のように見せるカバーの両方で使えるようになっています。
プロダクトには「UNマーク」を付与し、福永紙工の確かな技術が用いられた認証マークとすることで、UNBOXのブランディングももくろんでいます。
UNBOXは様々な用途に活用できます
「デジタル化によるペーパーレスや、サステナビリティーを意識した大量消費を控える動きにはあらがえません。でも、世の中の全ての紙がなくなるわけではなく、数が減るからこそ価値があるものだけが残ります。これからの社会にUNBOXが技術とデザインの力でクオリティーの高いものを提供することで、福永紙工が生き残るためのプロジェクトでもあります」
次代に継いでほしいことは
現在28歳の十維さんは、法人化したクリエイターズコミューン「NEW」を率いながらも、いずれは福永紙工に入社すると決めています。
「父から『後を継いでほしい』と言われたことはありませんが、ゆくゆくは継ぐことになるのだと思います。そのためにも今、UNBOXで福永紙工の設計部のブランディングを進めて、企画や設計段階で対価が得られるような仕組みを確かなものにしていきたいです」
山田明良さん(左)と十維さん
下請け仕事を手放し、クリエイティブで自社の構造設計力のブランディングを進める福永紙工。山田さんは十維さんに何を継承したいと考えているのでしょうか。
「自由にやってほしいですね。うちで継承していきたいのは、強みを生かした健全な会社の姿です。規模に合った仕事を、価値を理解してくれる人たちと楽しくやっていきたい。それは少数精鋭だからできるのかもしれません」
ツアー参加者に与えた気づき
スタディーツアーの参加者に感想を聞きました。
岐阜県から参加したアパレル企業・ヒロタ専務の廣田孝太郎さん(39)は「社外とのコラボの大切さを感じました。福永紙工も、設計力を可視化するというポイントは、社内だけでは気がつかなかったのかもしれません。自分たちにとっては当たり前のことに価値があるという気づきを、経営につなげた点が参考になりました」と話しました。
スタディーツアーには中小企業の後継ぎ経営者らが集いました
名古屋市から参加した津田硝子社長の津田慎介さん(33)は「背中を押された気がします。ガラス工事業界も低迷しており、そのなかでどういう価値をつけていけばいいのか、とても参考になりました」。
ロフトワークは「デザイン経営スタディーツアー」の2回目を、ファミリア(神戸市)で開く予定です。