目次

  1. 経営者として感じた二つの課題
  2. 「部活みたい」から始まった企画
  3. 設備の3分の1を手放し資源集中
  4. キャッシュポイントが増えた理由
  5. 地元で紙製品の直営店をオープン
  6. 三男が立ち上げた新プロジェクト
  7. 次代に継いでほしいことは
  8. ツアー参加者に与えた気づき

 福永紙工は1963年の創業以来、紙製品やパッケージなどの印刷加工を手がけてきた、従業員40人ほどの会社です。2代目社長の山田さんはアパレル企業を経て、妻の実家が経営する福永紙工に入社しました。社長に就任したのは約15年前になります。福永さんはスタディーツアーで、自身のキャリアについて語り始めました。 

ツアーで話をする福永紙工社長の山田明良さん

 「ファッションが好きで愛知県から上京し、アパレル企業に就職して妻と職場結婚しました。結婚がバブル崩壊のタイミングと重なり、義父である前社長から『福永紙工に就職しないか』と誘われて入社しました」

 当時の福永紙工は、地元の多摩地区を中心としたクライアントからの注文を受け、お菓子の箱などのパッケージ印刷を手がけていました。山田さんは印刷の仕事をいちから学び、十数年間取り組む中で二つの課題を感じたといいます。

 「一つは福永紙工の『下請け体質』です。クライアントからは送られる版下から印刷加工して納期通りに納めることだけが求められ、その要求に応える日々でした。うちには箔押しや型抜きといった加工技術に優れ、制作物の品質も高いのに、言われるままで立場が弱いと感じていました。デジタル化やペーパーレスで印刷需要が減る中、同業他社との価格競争やパイの奪い合いに巻き込まれるのは時間の問題でした」

 「もう一つは私自身のモチベーションです。もともとファッションやアートといったクリエイティブなことが好きなのに、当時の仕事にはその要素がほぼありません。自分の『好きなこと』が無い仕事を、長くは続けられないと思いました。デザインを仕事に取り入れれば、他社との差別化になるかもしれないとも考えました」

福永紙工の社屋

 山田さんが2006年、福永紙工の工場の片隅で、ひっそりとスタートしたプロジェクトが「かみの工作所」です。紙を加工・印刷することで道具の新たな可能性を求める企画で、メンバーには山田さんが声をかけた社外のデザイナーが加わりました。「部活みたいな感じでしたね」と振り返り、こう続けます。

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