目次

  1. 自然と調和したショップ
  2. 100年後に花開く店舗に
  3. 「自然に学ぶ」をテーマに
  4. コロナ禍の休業で見つめ直したもの
  5. 農家と一緒に収穫する意義
  6. 伝統とは続けることである
  7. 「ラ コリーナ」が生き方に
  8. 「本物であり続ける」を答えに
  9. 「意志や美学が感じ取れた」

 スタディーツアーは、企業のデザイン経営導入を支援するロフトワークが企画。約30人の参加者は「ラ コリーナ近江八幡」の敷地内をめぐり、山本さんのスピーチを聞きながら、1872(明治5)年に創業した、たねやグループの企業姿勢の根幹などに触れました。

草に覆われた「ラ コリーナ近江八幡」のメインショップ

 「ラ コリーナ近江八幡」は、「自然に学ぶ」をテーマに、近江八幡の里山の原風景を再現しています。敷地内は和洋菓子のショップやカフェを構えつつ、田んぼや畑、回廊、ショップの屋根にいたるまで、見渡すかぎり植物に覆われています。メインショップや本社施設などは、自然と調和した建築スタイルで知られる建築家・建築史家の藤森照信氏が設計しました。

「ラ コリーナ」の中を見学する参加者たち(ロフトワーク提供)

 ツアーは、敷地内に点在するショップの見学から始まりました。最初に訪れたメインショップには、たねやグループの根幹を担う和菓子や、滋賀県の文化を彷彿とさせるアイテムが飾られています。例えば、たねやが和菓子製造で使っていた木型や、かつて地元近江八幡の水郷で航行に使われた船の廃材がオブジェになっています。ガイドの話に耳を傾けながら、興味津々にアイテムを撮影する見学者もいました。

 来店客に季節の移ろいを感じてもらおうと、同社は全国の各店舗に山野草を飾り、週に1度植え替えています。450~500にものぼる山野草はすべて「ラ コリーナ近江八幡」の一角にある「キャンディーファーム」で、スタッフによって丁寧に育てられています。

店舗ごとに山野草の種類を変えています。写真は「たねや 名古屋松坂屋店」の鉢

 ショップなどを見学した後、たねやグループCEOの山本さんによるキーノートスピーチが行われ、「ラ コリーナ近江八幡」誕生の経緯や狙い、自然との共生を掲げる理由、後継ぎ経営者としての心構えなどが語られました。山本さんはまず、15年に「ラ コリーナ近江八幡」がどうして生まれたのかを、振り返りました。

 色々な地域に行って「近江八幡の良さ」ってよく言われますが、私には近江八幡の悪いところがよく見えてきます。私はそこが大事やと思っています。

 「ラ コリーナ」の始まりは、もとをたどれば先代の父が、「えっ」と驚くような、地方の一菓子屋が手を出すような規模ではない広い土地を手に入れていたことです。父も色々な案を考えていましたが、その途中で社長が私に交代しました。

 で、「さあどうしよう」と。私はここで生まれ育ちましたが、近江八幡の悪い面ほどよく目に入ります。けれど、やはり好きな気持ちもあって、この町をなんとかよくしていきたい。そして将来も山本家がたねやを引き継いでいけたらいいと考えていました。

 そのためには、私の代で成果を出すのではなく“点”になることを考えました。代々の当主が点をつなぎ100年後、200年後に花ひらく。そんな店舗を作りたいという思いがありました。

「ラ コリーナ近江八幡」について語る山本さん

 「ラ コリーナ」全体の監修は、デザイン界の巨匠として知られるイタリアの建築家、ミケーレ・デ・ルッキ氏が手がけ、「ラ コリーナ」という名前の生みの親になりました。山本さんはこう振り返ります。

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