デザイン経営パーラーは、デザインの力を事業成長や組織改革に生かしている中小企業の後継ぎ経営者を招き、実践例を伝えるイベントです。2024年1月の東京開催に続き、2回目となります。
中村製作所は1969年に創業しました。「空気以外は何でも削る」という理念を掲げ、1000分の1ミリ単位の切削加工技術が強みです。H3ロケットや潜水艦、人気テーマパークのアトラクションに至るまで多様な精密部品を扱っています。1977年生まれの山添さんは、急逝した父の後を継ぎ、24歳で社長になりました。
横山興業は1951年に創業。高い金属加工技術を生かし、シートの背もたれ、腰掛け、ひじのフレームといった自動車部品と、住宅の屋根材や壁材などの建材が柱です。横山さんはウェブデザイナーなどを経て家業に入りました。現在は兄が社長を務め、横山さんは建材事業と新ブランドを担当しています。
東海地方を代表する工業地域にある両社は、高い技術力を背景に成長曲線を描きました。しかし、2008年のリーマン・ショックや2011年の東日本大震災などを境に、経営は大きな曲がり角を迎えます。
意識したのは「くまモン」
中村製作所は長年、特定の1社との取引に依存していました。しかし、リーマン・ショックで、その取引先から契約を打ち切られ、売り上げの90%を失います。
山添さんは「取引先から『悔しかったらメーカーになってみろ』と言われ、お客さんとの関係を考え直しました。もう1回お客さんを創造するため、『待ち工場』から攻めの工場にマインドチェンジしたのです」
強みの切削技術を生かし、山添さんが立ち上げたのが「MOLATURA」(モラトゥーラ)という新ブランドです。「モラトゥーラはイタリア語で『削りだし』を意味します。空気以外何でも削ることで、価値を生み出す会社になろうと考えました」
ブレークのきっかけは、ベストポットという無水鍋です。四日市の伝統工芸の萬古焼と中村製作所の切削技術を組み合わせ、隙間のないふたを作って蓄熱効果を高め、調理時間を短縮しました。
山添さんはモラトゥーラを広めるため、展示会出展とメディアへの露出に注力しました。意識したのは、熊本県の人気キャラクター「くまモン」です。「くまモンを通じて熊本のことが広まるように、モラトゥーラの商材が中村製作所のカタログとして、事業のことを説明する商材になればと思いました」
工程の棚卸しから生まれた発想
横山興業は、大手自動車メーカーの2次、3次下請けとして部品を提供しています。2011年に東日本大震災が起きたときは、東北や海外への生産拠点のシフトや、技術のコモディティー化による価格消耗戦に直面しました。売り上げも下降し、このまま推移すると赤字転落の危機もよぎったといいます。
「すでに出来上がった図面が送られる自動車部品を製造していたため、開発部門もなく、会社として新しいものを作るという機能がありませんでした。(横山興業の)工場があるタイの若者たちは製造業に前向きだった一方、日本は『70年続いている会社だから大丈夫だろう』というマインドで、危機感を持ちました」
横山さんは工場内を歩き回り、工程の棚卸しを行いました。その中で、リューターの先端に研磨剤を付けて金型を磨く緻密な技術に活路を見いだしました。「『機械ではなく人間でないとできないんですよ』とキラキラした目で語る従業員を見て、きっと何かストーリーになると思ったのです」
横山さんは2012年から新製品の開発に着手。住宅の防犯フェンスや、日本酒のタンブラーなどの試作を経て、バーテンダー向けのカクテルシェーカーにたどり着きます。
「研磨する前と後のシェーカーでカクテルを飲み比べたら、研磨した後の方が圧倒的に味がまろやかになりました。ステンレスの表面は、ミクロレベルでは剣山のようにとがった状態で、液体にえぐみや雑味を生みます。表面になだらかな凹凸を残しながら研磨することで、泡立ちを生み、テクスチャーのいいカクテルが作れるようになりました」
120ページほどの企画書を書いて社内を説得し、2013年に立ち上げたのが「BIRDY.」というオリジナルブランドです。カクテルシェーカーはその看板になりました。
鍋やシェーカーの市場開拓
デザイン経営パーラーでは、2人やロフトワークの二本栁友彦さん(ゆえんユニットリーダー)らを交えたパネルディスカッションで、デザイン経営のポイントをさらに深掘りしました。
二本柳さんからは「市場をどのように開拓しましたか」という質問がありました。
山添さんは、Makuake(マクアケ)を活用してモラトゥーラを広めました。例えば、ベストポットとレンジスターという土鍋ご飯は、マクアケを通じて2千万円を売り上げたといいます。
「マクアケを使う目的は、プロモーションとマーケティングリサーチです。地方で新製品を開発しようとすると、『こんなの絶対に売れない』と言われ、卵の状態で握りつぶされがちです。そこで、東京、大阪など違う市場に出すことで、テストマーケティングを行いました。メディアにも取り上げられ、百貨店や家電量販店などに販路が広がりました」
山添さんは2023年には、自社製品に触れられる場所としてオープンファクトリーも開き、プロモーションを加速させています。
横山さんがカクテルシェーカーを広めるため、重視したのは「まずはトップのバーテンダーに使ってもらうこと」でした。
「高級レストランと違って、バーは数千円払えばトップバーテンダーと目の前で話せます。全国を回ってトップからアプローチしていきました。トップの方にカクテルシェーカーを使ってもらえれば、その人たちにあこがれる若手や一般の人も使い始めます。そうやって広げていきました」
プロのバーテンダーにヒアリングしながら、さらに商品のブラッシュアップを重ね、評判が広まっていきました。
失敗や挫折の乗り越え方は
2人は、自社ブランドを進める過程での失敗や挫折も明らかにしました。
中村製作所はベストポットを開発する前、チタン製の印鑑「SAMURA-IN」を開発しましたが、全く売れなかったといいます。山添さんは「当時は完全にプロダクトアウトの発想でした」。
そこでベストポットを開発するときは、人気のホーロー鍋ブランド「バーミキュラ」をベンチマークにしました。「バーミキュラがどういう理念で生まれているのかを考えたうえで、我々も土鍋を開発しました。すると、有名料理人の道場六三郎さんにほめていただき、自信がつきました。我々もトップの料理人が認めてくれたという評価を得たうえで、マーケットに出しました」
横山興業の「BIRDY.」は発売当初は順調でした。しかし、横山さんは「イノベーターとアーリーアダプターは買ってくれましたが、半年で動きが止まってしまいました。2014年に経済産業省の補助金を活用し、早い段階でカクテルの本場の世界市場に挑みました」と振り返ります。
戦略転換が功を奏して、「BIRDY.」の評判は海外にも知れ渡り、英国の有名ホテルのバーテンダーとの共同開発にもつながって、今では22の国と地域に販路が広がっています。
「ドラクエ的な人材活用」
リソースが限られる中小企業でデザイン経営を成功させるには、組織もデザインし直す必要があります。特に、社内外の仲間をいかに巻き込むか、社員の行動変容をどう促すかが大きなハードルです。
山添さんは自社の人材戦略を人気RPGに例え、「ドラクエ的な人材活用」と称しました。
「デザインはデザイナーさん、プロモーションは外部、本業のテレアポも沖縄の会社にお願いしています。自社のリソースだけだとプロジェクトの立ち上げが遅くなる。BtoCに挑むことで、柔らかく変化に対応できる会社になりました」
社員との向き合い方には、山添さん自身、「今なお悩んでいる」と明かします。
「チタン製の印鑑を作った時は、社長の道楽じゃないのかと言われ、何人かの社員にストライキを起こされたこともありました。いくら自分のビジョンを話したところで結果で示さないと、社員は納得しません。トップが牽引し、情熱と力で乗り切っています」
出来ないことは前向きに諦める
横山さんも「BIRDY.」を広めるために、「出来ないことを前向きに諦める」という方針です。コア技術である、シェーカーの内側の研磨は横山興業が担う一方、デザイン、プレス成型、外側の研磨、脱脂・洗浄は外部委託しています。
「全部横山興業でやったほうがいいという人もいました。しかし、大切なのは、お客様のために、レベルの高いものをどう作るかという体制ではないでしょうか」
「BIRDY.」を立ち上げた2013年当初、兼任やサポートを含めて8人体制だった事業部は現在、専任だけで11人の組織になりました。横山さん以外は「BIRDY.」のために採用した人材といいます。
「新しいことが好きな人を巻き込むのが重要です。組織は生き物。来るもの拒まず、去るもの追わずを愚直に繰り返すことで良い循環が生まれ、魅力的な会社になると思います」
交流会でも弾んだ会話
パネルディスカッション終了後には、交流会も開かれました。
会場に展示されたベストポットやカクテルシェーカーなどを手に取りながら、参加者たちは山添さん、横山さんとの会話を弾ませました。