「津波で住めない地区に作ることに意味」 温泉と食の施設を開いた深松組
仙台市の建設会社・深松組3代目社長の深松努さん(59)は、東日本大震災発生直後、仙台市内のがれき撤去責任者を務め、地域の復興に奔走しました。2022年には、津波で人が住めなくなった仙台市の沿岸地域に約36億円を投じて、温泉と食がテーマの複合施設「アクアイグニス仙台」をオープン。建設業の枠にとどまらない発想で、オープンから2年で累計70万人を呼び込み、復興のシンボルとしてにぎわいを生み出そうとしています。
仙台市の建設会社・深松組3代目社長の深松努さん(59)は、東日本大震災発生直後、仙台市内のがれき撤去責任者を務め、地域の復興に奔走しました。2022年には、津波で人が住めなくなった仙台市の沿岸地域に約36億円を投じて、温泉と食がテーマの複合施設「アクアイグニス仙台」をオープン。建設業の枠にとどまらない発想で、オープンから2年で累計70万人を呼び込み、復興のシンボルとしてにぎわいを生み出そうとしています。
深松組の創業は1925年。初代の祖父が、富山県朝日町で水力発電所の土木工事から始めました。その後、仙台市に本社を移して建設業に携わり、現在は建設・土木のほか、不動産賃貸、太陽光発電、関連会社で障害者向けグループホームの建設・運営などを展開しています。夢メッセみやぎや宮城県立図書館など大型公共施設の施工にも関わり、従業員は155人、年商は約100億円にのぼります。
深松さんが子どものころ、自宅の目の前が会社の資材置き場で、家業を身近に感じたといいます。「父からは家業を継ぐ、継がないという話をされませんでしたが、母には『後を継ぐんだ』と言われ、私もいずれ継ぐと思っていました」
大学卒業後の87年、修業のため別の建設会社に就職。東京で建設現場の仕事を担いました。「地下30メートルのところで、直径6メートルの下水道を掘っていました。想定外のトラブルもあった命がけの現場で、あらゆる工法を学びました」
深松さんは92年、深松組に入り、取締役社長室付として主に営業などを担いました。
公共需要拡大で、2001年ごろまで業績が上向きでしたが、以降は少しずつ悪化。05年に発覚した耐震偽装問題の影響で、建設許可が下りるまでに半年もかかるようになりました。「そのころ、父から『来年社長を譲る』と言われ、1年かけて準備を進めました」
深松さんは08年春、社長に就任し、半年後の9月にリーマン・ショックが起きます。賃貸マンションの建設許可が下りたばかりのタイミングでした。「この事業で4億円が入るはずが、3億円しか回収できませんでした」
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公共投資の予算は下げられ、土木や建築の仕事もなく、会社は億単位の赤字を抱えます。それでも、不動産の家賃収入がある限りリストラはしないと決めます。父からは「不動産事業があるのだから建設業をやめてもいい」と言われましたが、深松さんは「やれるところまでやらせてほしい」と答えました。
「祖父が作った『信用を重んじ建設事業を通じ地域社会の繁栄に奉仕する』という、社是がありましたから。とはいえ、不動産収入で耐えるしかない状況でした」
11年3月、東日本大震災が発生したとき、深松さんは仕事で東京にいました。夕方までには家族や社員の無事を確認できましたが、津波で家が流された社員もいました。
「ホテルに戻ってテレビをつけたら、仙台空港を津波が襲い、名取市には黒い津波が炎と共に押し寄せている映像が出ていました。大変なことが起きたと」。翌日、知り合いの車に同乗し、18時間半かけて仙台まで戻りました。
深松さんは仙台市との災害協定に基づき、市全体のがれき撤去の責任者として、建設会社81社の陣頭指揮をとることになりました。
「津波に襲われた場所は凄惨な光景が360度広がり、ご遺体の一部も残っていて、初めて現場に入った時は涙があふれました。でも、がれきがなくならないと捜索に入れない場所がたくさんあり、絶対に片づけようと思いました」
撤去作業は約1年続きました。顧客を優先していたため、被災した社屋の修繕も震災から1年後まで行えませんでした。その後も損壊した家を数多く撤去したほか、学校の改修や道路整備など、次々に仕事の依頼が入りました。
請け負う工事の規模も、震災前は1件あたり1億円ほどが主流でしたが、13年ごろには15億円~20億円になったといいます。「過酷な状況で従業員も本当に大変でした。でも、それまで仕事がなかったわけですから、人の役に立つ仕事ができてやりがいも感じていたと思います」
土木・建設事業の利益が見込めるようになったのも、父が育てた不動産収入の支えがあったからと、深松さんは感じていました。多角化を加速させ、14年に太陽光発電事業に参入したほか、ミャンマーでの賃貸マンション、沖縄・宮古島でのホテル・賃貸マンションなどを手がけました。
そして、震災復興のシンボルとなる事業へと動き出します。
深松さんは18年10月、三重県菰野町で温泉や食をテーマにした大型施設「アクアイグニス」を運営する立花哲也さんの講演を聴く機会がありました。深松さんは復興が進むにつれ、宮城県のにぎわいを取り戻したいという思いを深め、旧知の仲だった立花さんの協力のもと、仙台市に相談しました。
市からは約3万3千平方メートルの津波跡地利活用事業を紹介されます。その場所は、深松組が震災当日に築堤工事をしていた若林区藤塚地区でした。
「地震のあと、従業員は住民に津波から逃げるように言いながらすぐに避難しました。ただ、それでも逃げなかった方々がいて犠牲になったんです」
人が住めなくなった藤塚に作ることに意味があるーー。そう感じた深松さんは、温泉や食が楽しめる複合施設の建設に乗り出します。
温泉を作ろうと地面を掘り進めましたが、なかなか湧き出ず、「地下800メートルを超えたあたりからかなり焦りました」。地下1千メートル地点で43度の温泉が湧き出ましたが、地上に出すと温度が下がるため、加温する必要がありました。
温泉棟の地下1650平方メートルにコイルを敷き、地中熱を回収するシステムを導入。温泉廃水熱、ボイラー廃熱・浴室排気熱も、温泉の加温や床暖房などに活用するよう設計しました。「こうしたシステムの導入は、当時東北では初めてでした。省エネで二酸化炭素排出量も削減できる『エネルギーの地産地消』システムです」
県や環境省の補助金、固定資産税免除などの税制も活用しつつ、深松組はこの事業に約36億円を投資しました。
深松組としては大きな出費ですが、深松さんには強い覚悟がありました。「災害大国日本で完全なる復興を遂げた街は数少ないと思います。100万都市で初めて津波を経験した仙台市が、民間の力で持続可能な復興を遂げることが未来への指針につながります」
深松組の経営に変化があった際のリスクヘッジのため、19年8月に運営会社・仙台rebornを設立。深松組とアクアイグニス、飼肥料や農産物の販売などを手がける福田商会(仙台市)が出資し、深松さんが社長に就任しました。
深松組は商業施設の運営は初めてで、オープン時は中途採用の経験者を集めました。老舗の宴会場・仙台勝山館が21年6月に営業終了するというニュースが出るとすぐに連絡し、同館のシェフを10人採用しました。接客や運営のノウハウは、アクアイグニスの三重県の施設担当者の指導を仰ぎました。
22年4月、「治する・食する・育む」がコンセプトの複合施設・アクアイグニス仙台がオープンしました。
温泉のほか、被災地支援を続ける有名シェフが手がける、スイーツやベーカリーショップ、レストランなども併設し、東北の旬の食材を使った料理などを楽しめます。
マルシェには、藤塚で取れたひとめぼれを使ったオリジナル日本酒も並びます。敷地内の農業ハウスでは東北大学などと、化石燃料を一切使わず、太陽光蓄熱システム・温泉廃熱・地中熱を活用してトマトを栽培し、マルシェで販売しています。
震災前の住民たちの「藤塚の名前を残してほしい」という想いを受け、温泉には「藤塚の湯」と名付けました。建物前の通路の屋根は藤棚で、花のない時期には藤の花をイメージした紫色のLEDでライトアップも行い、藤塚を思い起こせるようにしました。
「震災前は仙台でもあまり知られていなかった藤塚に立派なものを作ってくれたと、地元の方にも喜んでいただけました」
本館の屋上は地上約15メートルの高さに設計し、東日本大震災レベルの津波にも堪えうる高さを維持し、約500人が収容可能です。避難経路を案内する地図も各所に掲示しています。
温泉棟の温度調整システムが評価され、23年11月、深松組は「気候変動アクション環境大臣表彰」を受賞しました。「アクアイグニス仙台は会社の代表的な実績として挙げられ、社員もモチベーションを上げたようでした。外部からの視察も増えました」
アクアイグニス仙台の入場者数は累計約70万人(24年2月)。コロナ禍の影響を受けながらも、売り上げは前年比同等で推移しています。「ただ黒字にはなっていないので、イベントを増やそうと、従業員と意見を出し合っています」
深松さんの取り組みは、創業の地で今も北陸支店がある富山県朝日町の集落の水道事業にも広がりました。
同町笹川地区の水道管は、老朽化で度々破裂していましたが、自治振興会で作る組合が水道を管理・運営していたため、設備交換費用の捻出が難しい状況でした。
「入れ替え費用は3億円。高齢化した105世帯で負担できるわけがありません。このままでは集落がつぶれてしまう危機でした」
深松さんは町を流れる笹川を利用した小水力発電事業を思いつき、旧知の仲で小水力発電事業の経験が豊富な、すみれ地域信託(岐阜県)社長の井上正さんに相談します。
両社は水道の改修費と発電所の建設費の計8億円を、国の再生可能エネルギー固定価格買い取り制度による売電収入などで、20年かけて賄う計画を立てました。
深松組の経営に左右されないよう、国内で初めて信託方式を採用しました。深松組が約1億7千万円を信託金として拠出し、発電設備の所有権はすみれ地域信託に移します。代わりに、深松組は収益の配当を受け取る権利を持つことで、住民は深松組の経営状況に関係なく水道を使い続けられる体制を作りました。
23年6月末、笹川小水力発電所は運転を開始。深松組の利益はほとんどありませんが、深松さんは「ふるさとを守りたい一心だった」と話します。「高齢化社会に対応するシステムは世界に売ることもできる。ピンチを逆手にとるんです」
アクアイグニス仙台の周辺では、24年春から海岸公園の整備も始まります。「アクアイグニス仙台は大人向けの施設なので、周辺施設と協力して、地域一体を3世代が来られる場所にしたいです」
深松さんを突き動かすのは、地域を今より良くしたいという想いです。「日本は資源がない分、技術力で戦って発展するしかない。目に見えるもの全てを作るのが建設業です。技術で貢献すれば、将来ピンチが来ても必ず海外の人たちが助けてくれると思います」
3代目は、津波に襲われた地に再び人を呼び込み、地域課題のさらなる解決へ汗をかき続けます。
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