目次

  1. 大型公共施設も施工
  2. リーマン・ショックで億単位の赤字
  3. 震災でがれき撤去の責任者に
  4. 津波被災地に温泉と食の施設を
  5. 被災した元住民も誇れる施設に
  6. 創業の地に立ち上げた小水力発電
  7. 3世代が集う場所を目指して

 深松組の創業は1925年。初代の祖父が、富山県朝日町で水力発電所の土木工事から始めました。その後、仙台市に本社を移して建設業に携わり、現在は建設・土木のほか、不動産賃貸、太陽光発電、関連会社で障害者向けグループホームの建設・運営などを展開しています。夢メッセみやぎや宮城県立図書館など大型公共施設の施工にも関わり、従業員は155人、年商は約100億円にのぼります。

震災後に建て直した深松組の社屋(同社提供)

 深松さんが子どものころ、自宅の目の前が会社の資材置き場で、家業を身近に感じたといいます。「父からは家業を継ぐ、継がないという話をされませんでしたが、母には『後を継ぐんだ』と言われ、私もいずれ継ぐと思っていました」

 大学卒業後の87年、修業のため別の建設会社に就職。東京で建設現場の仕事を担いました。「地下30メートルのところで、直径6メートルの下水道を掘っていました。想定外のトラブルもあった命がけの現場で、あらゆる工法を学びました」

深松組が施工したみやぎ登米農業協同組合本店・なかだ支店新築工事は、21年度のサステナブル建築物等先導事業(木造先導型)になりました(同社提供)

 深松さんは92年、深松組に入り、取締役社長室付として主に営業などを担いました。

 公共需要拡大で、2001年ごろまで業績が上向きでしたが、以降は少しずつ悪化。05年に発覚した耐震偽装問題の影響で、建設許可が下りるまでに半年もかかるようになりました。「そのころ、父から『来年社長を譲る』と言われ、1年かけて準備を進めました」

 深松さんは08年春、社長に就任し、半年後の9月にリーマン・ショックが起きます。賃貸マンションの建設許可が下りたばかりのタイミングでした。「この事業で4億円が入るはずが、3億円しか回収できませんでした」

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