畑を開く前からファンを獲得 きゅうり専門農家が壊す消費者との壁
三重県四日市市の「しなやかファーム」はきゅうり専門の農園です。代表の阿部俊樹さん(41)は、36歳のときに実家の水田の一部を畑に変え、未経験から農家に転身しました。見た目の悪さで敬遠されていた「ブルームきゅうり」の生産に挑み、今では年40トンを収穫。県の「安心食材」にも認定されました。広告会社勤務やエステサロン運営の経験を生かした発信力で、畑を開く前からファンをつかみ、生産者と消費者との壁を壊そうとしています。
三重県四日市市の「しなやかファーム」はきゅうり専門の農園です。代表の阿部俊樹さん(41)は、36歳のときに実家の水田の一部を畑に変え、未経験から農家に転身しました。見た目の悪さで敬遠されていた「ブルームきゅうり」の生産に挑み、今では年40トンを収穫。県の「安心食材」にも認定されました。広告会社勤務やエステサロン運営の経験を生かした発信力で、畑を開く前からファンをつかみ、生産者と消費者との壁を壊そうとしています。
目次
工業都市のイメージが強い四日市は農業も盛んで、阿部家も代々続く米農家です。「恐らく4代目」と言う阿部さんは2017年に「しなやかファーム」を開業しました。
それまで農業経験はゼロでしたが、きゅうり一本に絞り徐々に規模を拡大。現在は作付面積2100平方メートル、5連のビニールハウス2棟で年間収穫量40トンの規模になりました。
若いころの阿部さんは、兼業農家だった父親を見て「大変で全然楽しそうに見えず、たまに手伝うのも嫌でした。田舎にも農業にもマイナスイメージしかなく、とにかく外に出たかった」と振り返ります。
高校卒業後、名古屋市の大学を2年で中退。親の反対を押し切り、20歳から「自分探しのフリーター生活」に入りました。
様々なアルバイトで、特に印象に残ったのは書店のスタッフでした。「担当売り場の売り上げがよく、仕事の楽しさを感じました。POPを描いたり、見栄えよく配置したりするスキルは、きゅうりの販売にも生きています」
そのころから就職活動を始め、広告会社の営業職に。25歳で結婚して33歳のときに転職し、エステサロン事業の経営責任者を任されました。名古屋市にマンションを購入し、子宝にも恵まれ、暮らしの基盤は固まりつつありました。
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阿部さんはエステサロンで勉強を深めるうちに「三面美容」という言葉を知ります。「外面・内面・精神面」の三つから美はつくられるというもので、外見や精神面の美しさの基礎は内面、つまり健康にあると感じました。「健康をつかさどる食は誰がつくっているか」という思いから、遠ざけてきた農家の尊さに気づいたといいます。
「食べ物を作る人がいなければいくら稼いでも意味がない。田舎や農業を避けていた自分が恥ずかしく、父や祖父への思いも変わりました」
阿部さんは農業についてネットや本で調べ始め、農業フェアに顔を出し、地元四日市の生産者のもとにも足を運びました。「プライドを持って農業に関わる人もたくさんいます。でも、自分がそうだったように、生産者の本当の姿は消費者からは見えていません。その壁を壊し、生産者の存在を発信したいという思いが強くなりました」
阿部さんは実家で農業をしようと決意しましたが、「妻に話したら反対というか、あきれられました」。
農業経験はゼロに等しく、自宅マンションのローンも残っていました。阿部さんは「家族にとっては不安要素しかなかったので何度も話し合い、最後は通いでも農業をやってみたいと言いました。最終的に家族がバラバラに暮らすのはおかしいと、妻も折れてくれました」
長男の決断を両親は歓迎しました。阿部さんには実家の広い土地や、それまで培った営業力と経営ノウハウがありましたが、農業のスキルはゼロ。そこで頼ったのが、三重県の相談窓口「農業改良普及センター」でした。
センターからは、四日市で生産農家が多いトマトやイチゴの栽培を勧められました。しかし、その分競争率は高くなります。「素人の僕が勝負できるまで何年もかかる。誰も手をつけていない作物の方が有利なのでは」と考え、周辺で生産者が少なかったきゅうりに注目します。
きゅうりは成長が早く、1年を通して食卓に並びます。「安定的にニーズがある割に、生産者や産地、品質の差を気にする人は少ないと思いました。ここを極めれば、差別化できるし伸びしろもあるのでは…」と、商機を見いだします。
相談窓口で希望を伝えると「きゅうりは指導できる人がいないうえ、病気になりやすく、虫もつきやすい。成長が早くて収穫作業も大変」と説明されたといいます。
阿部さんは「当時は経験が無さ過ぎて、大変さが分からなかったので実行に移せたのだと思います」と笑います。
阿部さんは17年7月の開業を目指し、日本政策金融公庫の新規農業者向け融資で1300万円を借り入れ、岐阜県のきゅうり農家のもとで半年間の研修に入ります。
「しなやかファーム」という名前やロゴデザイン、ホームページなどを整えたのは、初年度の栽培を始める前でした。SNSでは、研修の様子や田んぼを畑にする準備、農業を始めるための手続きの様子、ロゴデザインの発表などを積極的に発信しました。
すると栽培もしていないのに、会ったこともない人から「阿部さんのきゅうりはどこで買えますか?」と問い合わせが入るようになったのです。
「スーパーで買うより、家庭菜園で自分がつくった野菜のほうがおいしく感じることがあります。それは野菜ができるまでの背景を知っているからだと思うんです。準備段階からきゅうりを買いたい人が現れたことで、情報発信の重要性を改めて感じました」
広告業界にいた阿部さんは、ブランディングやプロモーションの知見がありました。自分自身をアイコン化するため、丸メガネ、オーバーオール、ハットを身に付けて農作業することに決め、SNSにはできるだけ自身の姿を出すようにしました。
栽培品目をきゅうりに絞ったのも、差別化をはかる狙いからです。「専門農家と言えば、それだけでこだわっている感じが伝わりますよね。実際、僕と妻の2人で育てるので、品目を絞った方が作業効率がよく、手をかけて管理もできます」
しかし、いざ栽培をはじめると相談員から言われた「大変さ」を実感しました。
「しなやかファーム」のきゅうりはビニールハウスで温度管理し、春と秋の年2回栽培します。シーズンは朝夕2回の収穫に合わせて整枝や肥料散布などを管理する必要があります。
「初年度は病気や虫の発生、木は枯れるといったトラブルのケアにも手が回りませんでした。成長が早くて次々収穫しなければならず、朝方までヘロヘロになりながらの作業が何日も続きました。けれども、毎日が刺激的でワクワクしました」
岐阜県の研修先や三重県の指導員、SNSでつながった生産者から親身なアドバイスももらいました。自分でも土づくりや水のまき方、堆肥などの基本を必死で勉強し、トラクターの扱いも父親に教わりました。
鈴鹿山麓の伏流水をくみ上げて毎日たっぷりときゅうりに与え、定期的に土壌診断を行い、栄養素の過不足をデータで分析して肥料を加えました。収穫時にはコンテナではなく、鮮度保持パックに入れて水分の蒸散を防ぐ工夫もしています。
しなやかファームが手がけるのは希少な「ブルームきゅうり」という品種で、表面にブルームという白い粉のようなものが付いているのが特徴です。阿部さんはたまたま読んだ農業マンガで存在を知りました。
阿部さんによると、四十数年前までは流通しているきゅうりのほとんどが「ブルームきゅうり」でした。しかし「見た目が悪い」、「農薬がついているように見える」などの理由で品種改良がなされ、市場に流通するきゅうりの多くがブルームレスきゅうりになっているといいます。
「ブルームは栄養素のケイ酸を主体として糖やカルシウムで構成され、きゅうりの実を守る大切なもので、もちろん人体には無害です。昔ながらのブルームきゅうりは皮が薄くて柔らかく、歯切れの良い濃厚な果肉で、えぐみや苦みもほとんどないことが分かりました」
しなやかファームの販路の半分を占める仲卸業者や、直接卸しているスーパーなどに相談すると、昔ながらのブルームきゅうりのおいしさを知る人たちから復活を望む声があがりました。
阿部さんは「見た目だけの問題ならきちんと情報発信すれば、求める人は絶対いる」と栽培に踏み切ります。
ブルームきゅうりの希少性や特徴、ブルームが何でできているかを、自社ホームページやSNSで発信。売り場のポップを制作し、みずみずしさやパリッとした食感が伝わる動画も作成しました。そのかいもあり、メディアへの露出も増えて売り上げが伸び、22年にはハウスを増設。22年度の売り上げは初年度と比べて2.5倍に伸びました。
「リピーターも多く、ブルームきゅうりを指名して買ってもらえるようになりました。品質の向上に力を注げるのも専門農家の強みです」
阿部さんは未経験で農業を始めたからこそ、枠にとらわれず、生産者と消費者の壁を壊す企画に挑んできました。
栽培初年度から、採れたてのきゅうりを味わいながら音楽を楽しめる「しなやかフェス」というイベントを企画しました。DJやダンスなどのステージパフォーマンス、ワークショップ、トラクター乗車体験、バーベキューなどを詰め込みました。SNSでの呼びかけだけにもかかわらず、四日市の畑に全国から約100人が集い、「ものすごく感動しました」と言います。
コロナ禍の21年からは農家によるオンライン音楽イベント「農家バンドフェス」をツイッター上で開催し、トレンドワード入りしました。
22年からは、ポッドキャスト番組「三重おもろい食堂」を始めました。パーソナリティーは阿部さんのほか、県内のアスパラ農家と飲食店経営者を合わせた3人で、人気コンテンツになっています。
「声だけだと人となりが出て、身近に感じてくれる人が多いと思います。ポッドキャストは日本でも市場が広がる熱い分野。発信力のあるメディアを使い、三重から仕掛けたいです」
こうした取り組みは「売り上げに直結するというより、三重県の食や生産者に親しみを持ってもらうきっかけや横のつながり、メディア露出という間接的な効果につながっています」。
阿部さんのきゅうりは県から「みえの安心食材」として認定され、一般社団法人日本野菜ソムリエ協会の「野菜ソムリエサミット」では、22年、23年と連続で銀賞に輝きました。
現在の販路はスーパーなどに卸す分が90%で、残りが直売、飲食店、オンラインショップです。ブルームきゅうりへの指名も多く、四日市の小学校での給食にも使われています。
阿部さんは、若い担い手の事業継承についてこう語ります。
「自分の肩書は『百姓=百の姓(名)を持つもの』と思っています。状況や環境に応じて変化し、枠にとらわれず挑戦したい。農業に限らず、やっている人が魅力的に見えれば、どんな仕事もやりたいと思えるのはないでしょうか。農業を心から楽しんでいる姿を見せたいです」
阿部さんは22年にがんが見つかり、手術を受けました。この経験でますます食と健康への想いは強くなったといいます。「今後は若手農家が健康診断を仕事の一部として受ける仕組みを作っていきたい。今そのために動いています」と挑戦を続けます。
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