琴平バス3代目が説く「空振りのススメ」 窮地を救った社員発のツアー
タクシーやバス、旅行事業を展開する「琴平バス」(香川県琴平町)は、3代目社長の楠木泰二朗さん(45)が、小回りの良さを生かした経営を進めています。大手と価格競争せず、同じ社員が旅行プラン策定から添乗まで担って顧客との関係を深めることで、ユニークな企画を次々と生みだしています。社員には「空振りのススメ」を説き、アイデアが生まれやすい土壌を醸成。コロナ禍の窮地で、社員から生まれたオンラインバスツアーをヒットさせました。
タクシーやバス、旅行事業を展開する「琴平バス」(香川県琴平町)は、3代目社長の楠木泰二朗さん(45)が、小回りの良さを生かした経営を進めています。大手と価格競争せず、同じ社員が旅行プラン策定から添乗まで担って顧客との関係を深めることで、ユニークな企画を次々と生みだしています。社員には「空振りのススメ」を説き、アイデアが生まれやすい土壌を醸成。コロナ禍の窮地で、社員から生まれたオンラインバスツアーをヒットさせました。
目次
琴平バスは1956年、楠木さんの祖父・正晴さんが興した前身の琴平タクシーがルーツです。バス43台を保有し、コロナ禍前の2019年の年商は約12億円。従業員数は100人になります。
楠木さんが子どものころ、琴平バスの旅行部門の責任者だった父・哲雄さんが独立し、84年に旅行会社の新日本ツーリストを設立。両社は全く別の会社として存在していました。
学生時代に父から「会社を継ぐように」と言われたことはなく、楠木さん自身も後継ぎとしての意識はありませんでした。
とはいえ「いずれは経営者になりたい」と思い、就職活動をしていたそうです。大学の文化祭実行委員会で代表を務めてイベント企画が好きになり、結婚式のプランニング会社から内定を得ました。
父から「話がある」と呼び出されたのは、大学4年の夏でした。
「経営者を目指すなら最短距離を走った方がいい。新日本ツーリストで経営を学んで独立したらどうか」と持ちかけられたのです。
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楠木さんは2000年、父の会社に入りました。当時の社員数は7人。即戦力として活躍します。
最初に担当したのは、全国的ブームになっていた「四国八十八ヶ所 遍路の旅」のツアーです。貸し切りタクシーでめぐる企画を立てました。それまで社員旅行などの団体旅行がメインでしたが、バブル崩壊後は需要が激減し、新たな柱としてお遍路ツアーを打ち立てたのです。
「経験がない中で試行錯誤を繰り返しました。まだインターネットは主流ではなく、紙のパンフレットを持って取引先を回りました」
02年、新日本ツーリストは琴平バスに合流し、2社はグループ会社になります。琴平バスの代表を兼任した父に代わり、楠木さんは新日本ツーリストの事業を推し進めました。
スキーツアーや歩き遍路ツアー、愛知万博直行バスなど、次々と新事業に挑戦。05年には、今も柱になっている四国4県と東京・名古屋・福岡などを結ぶ高速バス「コトバスエクスプレス」を始めました。実績を重ねた楠木さんは07年、29歳で新日本ツーリスト代表に就任しました。
高速バス事業は順調でしたが、楠木さんは課題を感じていました。
「何万人もの方が高速バスに乗ってくれますが、お客様の顔が見えないんです。リピーターはいても、それが誰だか分からない。もっと顔が見えるビジネスをやりたかった」
そんな思いから、11年に始めたのが「コトバスツアー」です。「お客様にファンになっていただき、次回も選んでもらえるサービスを作りたい」と、企画から添乗まで1人のプランナーが担当するツアーを設計しました。
これは業界では異例の取り組みといいます。旅行ツアーは分業化が進み、多くの旅行会社では企画、チラシ制作、添乗の担当者が分かれていました。しかし、企画者とツアーに同行する添乗員が違うため、企画に込めた思いはなかなかユーザーには伝わりません。
その結果、どの会社も似たような企画を打ち出し、価格勝負となるケースが多かったといいます。しかし、琴平バスが大企業に価格で挑むのは得策ではありません。
楠木さんは「そこ(価格)では戦わない」と、コトバスツアーをつくりました。「企画に込めた思いを直接届け、『あなたが企画したなら買うよ』と言っていただける世界をつくりたいと思って取り組んでいます」
社員は自由な発想でコトバスツアーの企画を考案。その中で代表的な企画となったのが「朔日餅&朔日粥と伊勢神宮両参り」です。
毎月1日に早起きして三重県の伊勢神宮にお参りする「朔日(ついたち)参り」という習わしを体験。毎月1日限定で提供される伊勢名物の赤福餅やおかゆも楽しめるツアーです。
他にも、現役京大生がキャンパスを案内する「知恩寺手作り市と京大キャンパスツアー」や、秘湯を巡る「温泉同好会」などの企画が生まれました。
コトバスツアーの立ち上げメンバーは、新卒で入社したばかりの若手がほとんど。ツアー客一人ひとりに手書きのメッセージカードを渡すなどして顔を覚えてもらえるようになり、次回のツアーで出会うと会話が弾むようになりました。やがてプランナー個人のファンになり、コトバスツアーのリピーターとなるのです。
時には「テレビでこんな番組を放送していたけど、今度企画してもらえない?」といった参加者の生の声を、企画に反映させることもあるとか。
企画から添乗まで1人で担当するのは負担が大きい分、社員の成長にもつながりました。「ツアー終了後に拍手をもらえたり、自分のファンができたりというのは、社員の大きなモチベーションになっています」
楠木さんは13年、琴平バスの社長に就任しました。経営者として大切にするのが、会社のコアバリュー「Something New!」です。「バス業界は変化のスピードがあまり速くない。その中で、変化を恐れず時代の要請に応え続けることが武器になります」
「Something New」の精神は代々受け継がれてきたものです。
祖父・正晴さんは四国で初めて2階建てバスを導入し、応接間付きの貸し切りバスを開発。2代目の父・哲雄さんも「四国八十八ヶ所 遍路の旅」ツアーや、専門知識を持つドライバーがうんちくを語りながらうどん店を案内する「うどんタクシー」など、常識にとらわれない試みを実践しました。
「祖父も父も人がやらないことに挑戦し続けていました。それは会社のDNAです」
コロナ禍では旅行業界が苦しめられ、琴平バスも例外ではありませんでした。20年3、4月の月間売り上げは前年同月比99%減という状況に追い込まれました。
「普通だったら会社はなくなっていると思います。それでも社内にはじっとしていられない人が多く、前に進もうというエネルギーがありました」
逆襲の一手が、20年4月末の企画会議で社員から提案されたオンラインバスツアーです。企画開発部にいたその社員は、多くて月4回も参加していたようなバスツアーのなじみ客と会えなくなり、オンラインならとアイデアを出したそうです。楠木さんはすぐに採用し、翌5月にはスタートしました。
初回は石見神楽を鑑賞するオンラインツアーを実施。地元の琴平で「中野うどん学校」でうどん打ち体験をオンラインで見てもらうツアーや、自社のVtuber(バーチャルユーチューバー)「海杜こと」が名所を案内するツアーなどを実施しました。
初めての試みは慣れないことばかりでしたが、改善を繰り返すうちにオンラインバスツアーはたちまち人気を集めるようになりました。今では約50コースにのぼり、計1万人以上の参加者を集めています。
あらゆる業界がオンライン事業に手を出す中、琴平バスのオンラインバスツアーはなぜヒットしたのでしょうか。
成功のポイントは大きく三つありました。一つ目は有料で企画したことといいます。4千円程度でスタートし、現在は5千円〜1万円の価格帯です。
「当時、『オンライン◯◯』のほとんどが無料またはワンコインで参加でき、あくまで一時的なサービスという位置づけでした。しかし、コロナがいつまで続くか分からない状況だったので、継続的な企画にするためにしっかりとお金をいただこうと決めました」
それでも、ただ観光スポットを映像で紹介するだけではユーチューブと変わりません。ポイントの二つ目は、有料ツアーに参加する価値を生み出すため、双方向性のあるコンテンツにしたことでした。
まずはツアー客全員に自己紹介の時間を設け、話しやすい雰囲気をつくりました。
「実際のバスツアーに参加している」という世界観にも浸ってもらうため、事前に送った紙製のシートベルトをツアー客に付けてもらったり、全員で合唱したりといった演出も行いました。
「『今からバスに乗るのでシートベルトを着用してください』と言ったら、みんなシートベルトをかけてくれます。瀬戸大橋を渡るタイミングで『瀬戸の花嫁』を一緒に歌うと、それぞれネット回線の速度が違うのでバラバラでした(笑)。クスッと笑えるようなところに、まねができそうでできない、琴平バスらしさが出ていると思います」
三つ目のポイントは、オンラインで完結させず、リアルにつなげるため「人」を重視したことです。ツアーでは地域に住む人を紹介することに重きを置きました。
「何度も訪れたい地域というのは、素晴らしい景色より、友達や知り合いといった会いたい人がいると場所だと思うんです。でもリアルのツアーでは、その地域に暮らす人とつながるシーンはほとんどありません。だから、まずオンラインで地域の人と出会い、今度はその人をリアルで訪ねる。そうすれば地域の関係人口が増加するきっかけにもなります」
琴平バスの強みは、オンラインバスツアーのようなユニークな企画が、社員から次々と生まれることです。
「1人が企画を考えるより、5人の頭でアイデアを出す方がいいですよね。でも、新入社員が上司に遠慮して意見を言いにくいと、せっかくのアイデアも世に出ません。だから、アイデアを出しやすい環境を意識しています」
楠木さんは役職や年度に関係なく、全員が「さん」付けで呼び合うルールを設定。新人もベテランもフラットに意見を言える環境をつくっています。
楠木さんは社員に対して「空振りのススメ」も説きます。
「企画を1個世に出すのに大きな設備投資は必要ないので、失敗してもいい。野球選手と同じで3割打てば上出来。むしろ打席にたくさん立つことの方が大事です」
大切なのは、空振りの経験を次に生かすことといいます。
「世に出さないと支持されるかどうかは分かりません。失敗は覚えていないくらいの数がありますが、それを糧にPDCAを回して新しいチャレンジに向かおうと思います」
オンラインバスツアーは国内にとどまらず、海外向けにも実施しています。案内するのは、琴平バスの社員ではなく、地方のご当地Vtuberです。
「海外には日本のサブカルチャーの発信がいいと思い、VTuberを起用しました。まだ実験的な取り組みですが、これからもチャレンジを続けていきたいです」
コロナ禍で壊滅的になった売り上げも、単月の数字で90〜95%程度まで回復しました。今後は正社員が中心だった雇用形態も多様化させ、副業など外部人材の活用も進める方針です。
「様々なスキルやバックグラウンドを持つ方と仕事をして気付くことも多いと思います。さらに会社を成長させ、新しいものを生み出したいです」
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