目次

  1. 応用がきく「型作り」
  2. 野球少年から家業の道へ
  3. 窯元が年々減少
  4. 新分野に活路を見いだしたが…
  5. 技術を生かして人工乳房の制作へ
  6. 希望者が全国から訪問
  7. 一人一人が輝ける場をつくりたい

 マエダモールドのある常滑市は、日本古来の代表的な焼き物である常滑焼の産地として知られます。こうした焼き物を大量に作るために必要なのが石膏型。1954年、この常滑焼の石膏型作りに茂臣さんの祖父・耕三(こうぞう)さんが取りかかったのが、「マエダモールド」のルーツです。石膏型を一から作り、焼き物を作る窯元に提供していきました。

急須作りに使う石膏型(マエダモールド提供)

 創業者が焼き物本体ではなく「型作り」の道を選んだ理由について、孫の茂臣さんは「型の方が、いろいろなものが作れるし、より用途が広がると考えたのではないでしょうか」と話します。

茂臣さんの祖父で創業者の前田耕三さん(1954年頃)(マエダモールド提供)

 茂臣さんの言葉通り、同社は急須など常滑焼の石膏型から、徐々に建材用のタイルの型なども手掛けるようになっていきました。欠損した文化財の修復にも携わっているのだそうです。数センチの部品から、3メートルの大きなものまで、幅広く対応しています。

 1985年には法人化。マエダモールドの評判が高まった結果、大企業との取引もはじまり、収益は安定していきました。

 茂臣さんは子どもの頃、「いつか家業を継ぐのだろうな」とぼんやり考えていたそうですが、ハッキリとは決めていませんでした。

 中学時代から野球少年で、プロ野球選手に憧れたこともありましたが、高校3年の夏まで野球に打ち込んだ後はスッパリと辞めて受験に専念。信州大学繊維学部に合格し、入学と同時に長野県でひとり暮らしをはじめました。

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