イワタは岩田さんの祖父、清一郎さんが1938年に東京都墨田区で創業した岩田商店がルーツ。「八重十字」というオリジナルブランドを手がける脱脂綿のメーカーでした。戦後は衛生材料全般を扱う卸販売にシフト。ドラッグストアの台頭で価格競争が激化すると、2代目の父・庸一郎さんはあらたな販路として葬儀業界を開拓しますが、巻き返そうにも限界がありました。
四方八方に広げたアンテナに引っかかったのがPHMB(ポリヘキサメチレンビグアナイド)でした。知恵を借りるべく訪れた工業薬品製造の島田商店(東京都墨田区)3代目の嶋田淳さんが口にしたPHMBは、次世代の消毒成分と目されていました。
嶋田さんの協力をとりつけた岩田さんは2016年、PHMBを主成分とした除菌消臭剤「タイトスクラム」を完成させます。「タイトスクラム」は間をおかず取引先の大手葬儀社、サン・ライフ(神奈川県平塚市、現サン・ライフホールディング)での全館導入が決まります。勝因は血液やたんぱくなど葬儀特有の発生物質に強いという特性にありました。
販売から4年、世界はコロナ禍に襲われました。
「耳が痛くなりました。一日中、(注文の)電話が鳴りやまなかったからです。当時の月間売り上げはいまだに破られていません。それまでの借り入れもコロナ融資に切り替えました」
2019年に社長に就任したばかりの岩田さんは、ほっと胸をなでおろしました。
エンバーミングの市場を開拓
イワタのもう一つの柱となるエンバーミングに導いてくれたのもサン・ライフでした。
エンバーミングとは消毒、修復、防腐することにより遺体を生前の姿に近づける技法で、その歴史は古代エジプトまでさかのぼることができます。欧米ではポピュラーな処置方法ですが、火葬文化が定着している日本は遺体保冷庫による低温保存を採ってきました。
日本遺体衛生保全協会によれば、日本に導入された1988年に191件だったエンバーミングの処置件数は右肩上がりに伸び、2015年には3万3千件を数えました。
背景には延命治療や高度治療の結果として遺体が腐敗しがちなこと、死亡者数の増加で火葬渋滞が起きていること、そして穏やかにお別れしたいという遺族の思いがありました。
将来性のある分野にもかかわらず、後発の日本においてエンバーミングに使われる薬剤の供給は1社が独占する状態でした。
2016年、岩田さんは日本遺体衛生保全協会が主催する北米技術研修への参加を決めるも、そこに待ったがかかります。父が何十万円もかかるツアーに難色を示したのです。大きなビジネスになる可能性を秘めていると説得してくれたのが嶋田さんでした。嶋田さんには製造を請け負ってもらう算段で、すでに声をかけていました。
勇躍乗り込んだ米国でも様々なアクシデントを乗り越え、岩田さんはカナダの大手・エッケル社にたどり着きます。
担当にライセンス契約をもちかけたところ、「うちの名前で商売したほうがいいんじゃないか」とアドバイスされます。世界中にその名を知られるエッケル社の薬剤は量も出るため価格も安定しています。いわれてみればなるほど理にかなっています。岩田さんはエッケル社の助言に従い、翌2017年、島田商店を輸入総代理店に据えて販売を開始します。
エッケル社は現在、日本国内におけるエンバーミング薬剤の6割のシェアを占めるにいたりました。当初191件に過ぎなかった処置件数の総数は2022年、7万件に達しました。
価格も薬剤としての品質も秀でていたのはたしかですが、軌道に乗せるまでの愚直な努力も見逃すことはできません。岩田さんは嶋田さんとともにそれこそ額に汗して、全国の葬儀会社を営業に回りました。意見の違いから駅前で深夜12時から朝の4時まで大げんかしたこともありました。
商品ラインアップは千の大台に
「(2015年に)家業入りしたわたしは、いの一番に現場に足を運びました。納棺師や湯灌師といった現場のプロと向き合い、彼らが望んでいるものを知ろうと思ったんです。このやりとりからわかってきたことは、彼らの多くは現状の道具に飽き足らず、みずからカスタマイズしているということでした」
プロのお眼鏡にかなう商品をつくればいい――。現場の声をフィードバックしたのが、「フロンティアすみだ塾」を通して出会った地元の町工場でした。
「正直にいえば、『町工場の経営者の集まりなんて』とハスに構えていました。父にいわれて仕方なく顔を出したのがそもそもです。しかしそこで嶋田さんをはじめとした意欲的な経営者たちと知り合うことができました。当社のオリジナル商品の多くは地元でつくられています」
好例が、イワタの礎となる脱脂綿。サイズや柔軟性、伸縮性などにバリエーションをもたせ、きめ細かく取りそろえました。
商品開発の土台を構築したイワタは現在、年に20〜30のペースで新作をリリースしており、保湿クリーム、吸水シーツ、包帯など、そのラインアップは千の大台がみえてきました。
気づけば葬儀関連の商品が広く、深くそろう唯一の会社になっていました。岩田さんは「ご遺体処置のAmazon」を旗印に掲げました。
従来の商慣習では、たとえば脱脂綿なら脱脂綿の問屋があり、その問屋の営業先は病院や化粧品メーカー、葬儀社など業界を横断するものでした。イワタのように「遺体処置」というくくりで掘り下げる企業はありませんでした。
若手抜擢でペット事業を開発
「わたしが商品開発を前に確認するのは数字面くらいで、あとはスタッフに任せています。いまでは知らぬ間にカタログに載っている商品もあるくらいです」
商品開発において大きな戦力になっているのが新卒で採用した社員です。
エンバーミング薬剤の成功を見越した岩田さんはエッケル社と契約した年に新卒採用に踏み切ります。大手就職情報サイト・リクナビで募集した2022年以降、続けて200人の新卒がエントリーしました。現在の社員数は正社員が6人、パートを含めれば20人を数えます。
キャッチーでユニークなビジネスモデルを創造したその先見の明が評価されたのは間違いありませんが、魅力ある企業として映る「化粧」にも工夫を凝らしてきました。それが若い力を積極的に活用するスタンスです。
「イワタは能力さえあれば事業を起こすことも商品を開発することもできる。面接では事業化を視野に入れたワークショップも行っています」
2023年に立ち上げたペット事業もワークショップから生まれました。そのプレゼンによれば、たしかに有望な市場でした。少子高齢化が進む日本では中学生以下の人口よりもペットの数のほうが多いといわれています。にもかかわらず、葬儀社がほとんどかかわらない分野でした。
岩田さんは入社したばかりのその若手を開発リーダーに抜擢、そうして完成させたのが飼い主がみずから行うケアセットの「プティ・タンジュ」でした。ボディーシートや除菌スプレーなどエンゼルケア(死後処置)に必要な道具が一通りそろいます。
お披露目となったトレードショーは人が入りきらないほどの盛況で、大手業者との取引も始まりました。
人材を適正評価する仕組みに
もうひとつの「化粧」が環境づくりです。岩田さんは2021年に人事制度を整えます。
「きっかけは右腕だった社員が辞めたことにありました。うちは午後5時にはあがれるし、ノルマもない。右腕と思うくらいでしたから関係も悪くなかった」
「さんざん悩んでようやくわかりました。マズローの欲求5段階説でいうところの4(承認欲求)と5(自己実現欲求)が乏しかったことに。人事系のコンサルに入ってもらって適正に評価する仕組みをつくりました」
同年には慣れ親しんだ墨田区を離れ、江戸川区に会社を移します。社屋はブルックリンをイメージして古い倉庫をリノベーションしました。ブルックリンは北米技術研修で訪れた街でした。
黒を基調としたそのオフィスのたたずまいは、家業をブラッシュアップする岩田さんのありようと重なります。
ネットワークづくりをバックアップ
事業を拡大するかたわら、進めていた種まきが業界全体の技術の底上げでした。
「葬儀業界は横のつながりが希薄でした。独り立ちしたあとは学ぶ機会が限られていました。彼らが知見を広めれば、回り回ってイワタの商品も求められるようになる」
岩田さんは2017年、東京で「エンバーミング・ご遺体処置座談会」と題したイベントを開催します。最先端の情報、ならびに道具を提案するもので40人あまりが参加しました。参加者が交流する時間も設け、ネットワークづくりもバックアップしました。現在はフェイスブックでもグループができています。
年1回の開催で、回を重ねること7回。2023年にはおよそ70人の応募がありました。同年、地方での開催にも踏み切ります。葬儀業は不測の事態に対応する仕事です。近場で開催してほしいという声に応えるものでした。沖縄、福岡、大阪で開催したところ、それぞれ20人前後の参加がありました。
急成長で取引先は500社に
もともと父とは反りがあわなかったという岩田さんは、大学を卒業するとリクルートに入社し、活躍します。そしてヘッドハンティングされ、大手を渡り歩きました。
順風満帆を絵に描いたような生活を送ってきた岩田さんでしたが、30代も折り返し地点を過ぎると実家のことが頭をよぎるようになります。100年続いた家業がなくなってもいいのか――。
海外赴任を打診されたタイミングで父とひざを突き合わせて話しました。父は父で体調を崩しており、いつもの威勢の良さは影を潜めていました。こうして承継への一歩を踏み出しました。
しかしながら親子関係は悪化の一途をたどります。クビをいい渡されたこともありました。実際に3カ月の無職期間も経験しています。結婚したばかりで「この時ばかりは進退窮まりました」と、泣き笑いの表情を浮かべました。
「いろいろなことがありましたが、フロンティアすみだ塾を紹介してくれたことだけは感謝しています。イワタの第二フェーズがそこから始まったのは間違いありませんから」
取材時は妻が出産で里帰りをしているタイミングで、「毎週のように嶋田さんの家に転がり込んでいるんですよ」といって笑いました。フロンティアすみだ塾は公私ともに支えになっているようです。
岩田さんは思い出したように付け加えました。
「結婚の許しを得に妻の実家にお邪魔しました。家業に入ってほどなくのことでした。お義父さんの反応はもろ手を挙げて、というわけにはいきませんでした。重苦しい空気のなか、お義父さんは尋ねました。君の会社の年商はいくらかね、と。わたしは思わずハッタリをかましました」
三ケタに遠く及ばなかったイワタの取引先は500社を超え、売り上げは家業入りしたころの3倍に膨らみました。ちょうどハッタリに追いついた計算です。