目次

  1. 設計から組み立てまで一気通貫
  2. 父の病気で大学卒業後に家業へ
  3. 父が病床で残したメモ
  4. リーマン・ショックで自社製品開発
  5. 最初の開発はボウリング投球機
  6. 「細々と始めるなら失敗しない」
  7. 海外の展示会で歓迎される
  8. 超小型モビリティーにも着手
  9. 工場の一角を芸術家に提供
  10. 後継ぎは親族にこだわらず

 西川精機製作所は1960年、西川さんの父・冨男さんが創業しました。従業員8人の小さな町工場ですが、設計、板金加工、切削加工、溶接、組み立てまで一気通貫で行えるのが強みです。

 最近は治具だけではなく、金属加工のノウハウと設計スキルを生かし、省力化機械の設計・製造の受注も増えました。漠然とした依頼でも一から設計して作ることが可能で、主な取引先は上場企業の精密部品メーカーや、大学などに広がっています。

 「保有する生産設備は多岐にわたります。欲しい機能、おおよその大きさ、ポンチ絵程度の内容でも、一から考えて設計し、必要なパーツがあれば調達して組み立てることも可能です」

西川精機製作所の工場
西川精機製作所の工場

 小学生のころから家業を手伝っていた西川さん。最初は組み立てから始め、中学生になると機械を操作して金属加工も手がけました。それでも「家業には全く魅力を感じず、歴史の研究がしたくて大学は文系学部に進むつもりでした」。

 しかし、父親に押し切られるかたちで、日本大学農獣医学部(現・生物資源科学部)農業工学科で機械加工や金属工学を学びました。大学2年生のころには家業の取引先から内定をもらいました。

 ところが大学3年生の時、父親が病気で倒れます。幸い一命は取り留めましたが、西川さんは1988年、卒業と同時に家業を手伝うことになりました。

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