西川精機製作所は1960年、西川さんの父・冨男さんが創業しました。従業員8人の小さな町工場ですが、設計、板金加工、切削加工、溶接、組み立てまで一気通貫で行えるのが強みです。
最近は治具だけではなく、金属加工のノウハウと設計スキルを生かし、省力化機械の設計・製造の受注も増えました。漠然とした依頼でも一から設計して作ることが可能で、主な取引先は上場企業の精密部品メーカーや、大学などに広がっています。
「保有する生産設備は多岐にわたります。欲しい機能、おおよその大きさ、ポンチ絵程度の内容でも、一から考えて設計し、必要なパーツがあれば調達して組み立てることも可能です」
小学生のころから家業を手伝っていた西川さん。最初は組み立てから始め、中学生になると機械を操作して金属加工も手がけました。それでも「家業には全く魅力を感じず、歴史の研究がしたくて大学は文系学部に進むつもりでした」。
しかし、父親に押し切られるかたちで、日本大学農獣医学部(現・生物資源科学部)農業工学科で機械加工や金属工学を学びました。大学2年生のころには家業の取引先から内定をもらいました。
「『2、3年修業して家業に戻れ』という取引先の親心のような内定でしたが、そういう場合ではなくなり内定が取り消されました。『取引は継続するから卒業したら後を継ぎなさい』と諭されたようなものです」
父が病床で残したメモ
西川さんは旋盤やフライス盤が扱える技能を持ち、ある程度仕事はできる状態でした。それでも最初は先輩について溶接を覚え、設計も自ら学びました。
父から教えられたのは、営業に行くことです。「後継者になることを真剣に考えてほしい」という旨のメモ書きも渡されました。すでに健康状態が思わしくなかった父は、病院から渡された書類の裏に書いて渡すのが精いっぱいでした。
「父は『現場にいるだけではなく外に出なさい。営業は必要だ』と言いたかったのです」
父親は1999年に亡くなり、西川さんは社長に就任しました。
リーマン・ショックで自社製品開発
社長就任後、西川さんは二つのアクションを起こします。
一つ目は板金加工への進出です。板金加工は切削より複雑な形状の加工が可能で、溶接が不要になるため、作業工数を削減できるといいます。2008年からレーザー加工機やレーザー溶接機といった設備を導入しました。
もう一つが自社製品の開発です。
父もかつて、手品用品やシガレットケースなどを作りましたが、売れ残っては廃棄していました。「父は『自社製品を持たないとものづくりの会社の意味はない』と言っていましたが、出すものがどれも二番煎じ、三番煎じで、失敗を重ねました」
そんな折、リーマン・ショックに襲われます。それまで売り上げのほぼすべてが治具でしたが、新たな柱を育てるべく、自社製品の開発に乗り出します。
最初の開発はボウリング投球機
最初に開発したのは、車いすに装着して使うボウリング投球機です。理学療法士、車いす設計者と開発しました。
開発は、車いす利用者の話を聞いたことがきっかけでした。
「床に置いたシューターに球をセットし、後ろから押して落としてボウリングをするそうです。しかし、これでは球の力加減や方向を自分で決められません。車いすに取り付け、健常者のように球を投げられる機械をつくろうと考えました」
西川精機製作所は一気通貫のものづくり体制によって、検証から得られた結果をすぐ試作に反映できるという強みがありました。投球機は2017年のキッズデザイン賞を受賞。これまで神奈川県の療育センターなどに販売や貸し出しの実績があります。
「細々と始めるなら失敗しない」
自社製品で最も話題を呼んだのが、2020年に発表したアーチェリーハンドルです。
西川さんは元々、アーチェリーが趣味でした。かつてはヤマハやニシザワといった大手企業がハンドルを作っていましたが、競技人口の減少などから撤退していました。
西川さんは最初、自分用として他社製品を参考に見よう見まねで作りました。2013年に東京五輪開催が決まったことで、競技人口の増加を期待して事業化を目指しました。
「日本のアーチェリー市場は、大企業が参入して採算の取れる規模ではありません。しかし、小さな会社が最小限の設備やリソースで細々と始めるなら、失敗はしないだろうと考えました」
海外の展示会で歓迎される
2016年には、かつてニシザワでアーチェリーハンドルを作っていた本郷左千夫さん(現・西川精機製作所技術顧問)に自作品を見てもらいました。本郷さんからは「ダメ出し」され、製造を教えてもらうことになりました。
本郷さんの技術論は暗黙知のようなもので、量産化には言葉を数値に置き換える作業が不可欠でした。「言われたことに基づいて作り、本郷さんにどれが正しいのかを判断してもらう作業を繰り返しました」
アーチェリーハンドルの復活は、電気通信大学などとの産学連携プロジェクト「プロジェクト桜」として取り組みました。本郷さんの技術論に西川精機の設計力と金属加工技術、大学の研究成果を融合して完成を目指しました。
電気通信大学が矢を打った時の振動を計測したところ、アーチェリーハンドルの上下に取り付ける板バネとの間に生じるすき間が原因であることが分かりました。振動でぶれが生じれば命中精度に影響するとの仮説から、すき間を可能な限りなくし、振動を防ぐ技術を開発しました。
「アーチェリーをする人は、矢を放った感覚がしっくりきた時『この弓具は打った後の打ち感がいい』と言うことがあります。振動を抑えることは打ち感を良くする要因の一つだと理解しました」
西川さんは2020年2月、米ラスベガスで開かれたアーチェリーの国際大会での展示会に、アーチェリーハンドルを出品。会場では「日本が帰ってきてくれた」と歓迎されました。
西川精機製作所のアーチェリーハンドルは、国際大会で実績のある海外選手に採用されました。また、日本オリンピック委員会(JOC)の強化選手に選ばれた経験があり、現在は台湾を拠点に活躍する森みみ選手とモニター契約を結んでいます。
販売実績は思ったほど上がっていないそうですが、町工場による国産アーチェリーの復活は、多くのメディアで取り上げられました。パラリンピックのアーチェリー競技用のハンドル「コンパウントボウ」も、東京都立産業技術研究センターの障害者スポーツ研究開発推進事業に採択されました。
現在は2028年開催のロサンゼルス五輪の候補選手に使ってもらうことを目指しています。
超小型モビリティーにも着手
西川精機製作所ではほかにも、カヌースラロームゲートシステムやカーボンフリー超小型モビリティー、雑穀用脱穀機なども開発しました。
カヌースラロームゲートシステムは、素材が普段から扱っていた塩化ビニル樹脂だったことから、加工のノウハウを生かして開発。精度や品質が評価され、国際カヌー連盟が国際大会での使用を認めた2社のうちの1社となり、日本では国体(現・国民スポーツ大会)などで採用されています。
西川さんが現在注力しているのが、超小型燃料電池モビリティーの開発です。東京都の「令和5年度TOKYO地域資源等を活用したイノベーション創出事業」に採択され、トヨタ紡織と日本大学との産学連携で開発を進めています。
トヨタ紡織が独自開発した燃料電池「FCアシストシステム」を用いて、特定小型原動機付き自転車の保安基準に準拠した四輪車をつくる計画です。シャシーやボディーなどはすべてオリジナルで開発します。
2023年12月から開発が始まり、スタートから3年以内での販売を目指しています。
特定小型原動機付き自転車は16歳以上なら免許不要で運転できます。免許を返納した高齢者、免許を持っていない人など、交通弱者の解消に向けた活用が期待されます。
工場の一角を芸術家に提供
西川さんは工場の一角を、創作活動に使える工房として芸術家に開放しています。
きっかけは、2011年と2014年に東京都の「産学連携デザインイノベーション事業」に参画し、東京芸術大学とプロジェクトを進めたことです。そこで、卒業後に創作活動が思うようにできない芸術家の存在を知りました。
西川さんは2016年、東京都地域中小企業応援ファンドの助成対象事業の採択を受け、工場の一部を工房としてリフォームしました。
西川さんは「芸術家を支援するようになったことで、我々の感性や商品のデザイン性を向上させようという意識が高まりました」と話します。
超小型燃料電池モビリティー開発プロジェクトでもデザインを重視し、ボディーを成型の自由度が高い樹脂でつくる予定です。
後継ぎは親族にこだわらず
西川さんが入社したころは、取引先から求められた製品を作り納期までに届けることが仕事でした。しかし、今では自社製品やオーダーメイドの省力化機械を作るようになり、売り上げに占める治具の割合は50%近くに減っています。
現在、治具の売り上げ減少をカバーしているのが、新規開発の機械受注です。医療用など付加価値の高いオーダーメイドの機械を受注し、設計から部品製造・組み立てまでを一貫して請け負う事業の比率を高めています。
「事業内容が変わった今、完成品メーカーとしての意識を社員に求めるようになりました」
今後は超小型燃料電池モビリティーを事業の柱に育てたいと考え。専用のラボもつくることにしています。「3年後ぐらいには、完成品メーカーに脱皮したいです」
西川さんは、後継者は親族にはこだわっていません。大学院で精密機械工学を専攻する24歳の息子がいますが、精密機械工学を専攻したのも自らの意志といいます。
「完成品メーカーに脱皮したら事業環境が変わるので、息子が適任とは限りません。継ぎたいと思う社員を増やしたいし、そういう人材がいれば厳しい修練を課すことになります。後を継いだら、社名変更なども含めて好きなように経営をしてもらえばいいと思っています」