目次

  1. 「一番の安売り業者」が競争しない戦略へ(ホーセック)
    1. 「事業承継者を決めてほしい」を機に変化
    2. 値引き交渉よりも適正価格の受注を重視
    3. 事業承継で実現できた 社員への還元
  2. オープンイノベーションから過去最高の売上(浅野水産)
    1. 父と法改正を機にUターン
    2. 操業記録や実証フィールドのリソースを提供
    3. データ取得進み過去最高売り上げへ

 毛利さんは、大学卒業後にイベント会社を経て、20年前に家業のホーセックに戻りました。

 ホーセックは、建設業界の空調衛生設備の設計や施工をしている会社で、毛利さんの入社当時は、老朽化で生産性の低下した工場の生産設備や、退職して優秀な技術者の抜けた穴を補うため、人海戦術で切り抜けようとする状況だったと振り返ります。

 当時「京都で一番の安売り業者」として知られていました。現場は毎日朝6時に会社に集合し、夜中の12時まで図面を書いたり、明日の準備をしたりしているような状況でした。

 厳しい労働環境でしたが「そんな状況でも頑張ってくれている社員がいる。社員とその家族のためにも、今自分にできることは、身近な課題を整理して一つ一つ解決することだ」と考えていたといいます。

 社内でトラブルが続くなか「このままでは、自分が育てた守るべき部下も会社も守れない」と考え、毛利さんは先代社長に対し「当時のナンバー2がトップになって私が辞める方がいいのか、私に継がせて仕切り直すのか」と事業承継者を正式に決めてほしいと依頼。その1ヵ月後、事業承継者として正式に任命されたのが入社8年目のことでした。

 すでに金融機関から新たな借入もできない状況でしたが、「やると決断した後は、とにかく、事業の継続性を高めるために、経営改善の取り組みを計画し、実行することです。

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