オーケーズデリカは1973年、杉本さんの父・川崎義久さんが大阪で立ち上げた「OK給食」がルーツです。その3年後、三重県桑名市で再創業し、プレハブ工場で弁当を作っていました。
杉本さんが子どものころは工場と自宅が一緒で、配膳台で寝かしつけられ、社員に子守をしてもらっていました。終業後、父は社員にご飯を振る舞い、母が人生相談に乗っていたといいます。「子どもながらに会社の一員という感覚でした」
2000年代に入り、大手牛丼チェーン店が牛丼を200円台に値下げすると、弁当業界もそろって低価格帯の弁当を提供。オーケーズデリカも流れに乗らざるを得ませんでした。
2006年、桑名市内に新工場を建て学校給食事業をスタート。同じ年、業界でいち早く、国際的な衛生管理の手法であるHACCP高度化基準認定を受けました。
異物混入を防ぐため、食品は金属探知機で検査。でき上がった後は冷却器に速やかに入れ、工場から顧客に届けるまでに計6回、食中毒のリスクが低くなる20度以下に保たれているかチェックします。
「食材を温度計で測る」、「中心温度を70度で1分間調理する」といったルールも徹底しています。
「熟練の料理人は揚げた油の音で温度を把握できても、新人にはわかりません。誰もが管理できるよう、数字で徹底しています」
工場内の設備やシステムづくりは、杉本さんの兄の川崎潤也さんの知恵が詰まったものです。
掃除の負担を減らすため、通常は横に配置する水道管は縦にして、ほこりをためないようにしました。設備は可動式で移動しやすくして、きれいに掃除できるようにしました。
2009年、食品安全マネジメントシステムの国際規格「ISO22000」をケータリング業界で初めて取得。創業以来、食中毒ゼロを続けています。
兄の急逝で突然社長に
2014年に社長になった潤也さんは、新しいコーポレートマークを作り、オフィスを一新。経営理念の「Food is Life」(食べることは生きること)のプレートも共有スペースに掲げました。
その矢先、悲劇が起こります。潤也さんが2015年、44歳の若さで急逝したのです。妹の杉本さんが突如、後を継ぎました。「経営にたけている兄と比べ、私は何もできません。銀行や取引先は相手にしてくれるか、社員はついてきてくれるか。そんな不安が、次々あふれました」
杉本さんが個人的にビジネスコーチングを受けて、学んだのがサーバントリーダーシップでした。「これからの時代はパーフェクトな人物ではなく、支援者となるリーダーが必要」と教わりました。
「私は凡人だからこそ、社員に任せて力を発揮してもらい、それを支える社長を目指しました」
トップダウン型からの転換
杉本さんが家業で事務をしていたころ、従業員から社長への不満をよく聞いていました。
「父も兄も優秀でしたが、トップダウンのところがありました。社長以外は全員平社員。社員が不満を抱え『社長は高級車に乗っているのに、私たちの給料はなぜ上がらないのか』と話すのを聞いていました」
杉本さんが意識したのは「人」を重視する経営です。
「兄がシステムやハード面を変えたなら、私は人をより大切にしようと、社員それぞれが力を発揮してくれるように伝えました」
経営計画書にひらがなを多用して読みやすくまとめ、全員に公表しました。定期的に朝礼を開いたり会社報を発行したりして、会社の方向性を常に共有しています。
社員への権限委譲も加速させました。例えば、2023年に第二工場を建てた際には、その意思決定を男性社員に一任しました。「私より社員の方が現場のことをよくわかり、信頼できますから」
オフィスでは杉本さんは軽やかに社員と話し、現場の改善案を積極的に出してもらいます。「私一人でお金を生み出すことはできません。社員の皆さんが何かを提案し、結果を出したらその分は還元すると伝えています」
仕入れの見直し、調理場の作業効率や配達効率のアップ、こまめに電気を消すなどして得られた利益は、非生産部門も含めて社員に給料で還元しました。
「社長が一番現場から遠く、弁当作りや洗い物など、一番しんどいことを行うのが社員の皆さんです。私は、社長が一番下という逆ピラミッド型の経営を意識しました。最前線で働く人がいるからこそ、会社が成り立つのです」
人事評価の基準を明確化
人事面では適材適所を意識しています。土台には、杉本さんが新卒入社した食品問屋での経験がありました。
「事務職で入社しましたが、ミスばかりでダメな社員でした。ところが社長の提案で営業に配属されると、みるみる業績が上がり、仕事を楽しいと感じたのです」
オーケーズデリカでも、従業員の希望や適性、キャリアプランが明確になる人事を心がけています。面談、人事評価は年4回設け、昇給の機会も年3回あります。人事評価では、良いところを7割、改善点を3割、明確に伝えています。
「社員には自身の成長のために、会社が支援できることがあるか確認します。その答えが見えた方がキャリアプランでズレがなくなるからです。会社から求めることも評価項目に入れています」
例えば、誰かが休暇を取った時には、快くヘルプに入れるかを評価に入れています。「チームプレーが大事」とあいまいに言うだけでは不満が出るため、基準を明確にしたのです。
杉本さんは「社員は静かに辞めるもの」と言い、困りごとがないか、顔が曇っていないかなど、心の変化に注意を払っています。
社員と廊下ですれちがうとき、トイレやロッカーであった時など、何げない時間の声かけを意識しています。ガラス越しに手を振ることもあるそうです。
「声をかける内容は『髪切ったね』、『今日も寒いね』など何でもいい。私のことを気にかけてくれている、と感じてもらうことが大事だと思います。給料が上がる以上に大切なのは、頑張ったプロセスを見てもらったという『感情の報酬』と、気持ちのいい居場所があることなんです」
「おかん弁当」への一本化
2018年、オーケーズデリカはそれまで展開していた弁当を一新し、「おかん弁当」に一本化しました。「お客様のお母さんになった気持ちで作り、食べたいものとおかんのおせっかいで食べて欲しいものの両方が盛り込まれたお弁当です」
肉体労働が多い製造業者のために、肉と魚などボリューム感のあるダブルメインや、切り干し大根やひじきなど野菜など約20品目が入った栄養バランスの良い総菜を詰めました。
米は東北産、調理は酸化しづらい桑名市発祥の米油を使っています。
「安さで勝負するのはやめて、体にも優しく価値ある食材を入れて原価に反映しました。栄養バランスのよい昼食が取れることを目指しています」
取引先は700社程度に広がり、製造業など様々な業種に取引が広がっています。
ビジョンマップで示した未来
2023年、障がい者雇用を推進する優良な中小事業主として、厚生労働省の「もにす認定」を受けました。現在は3人を雇用。実雇用率は法定雇用率(2.5%)を上回る2.73%で、スロープや多目的トイレを設置したり、障がい者の社員の評価基準を明確化したりしたのが、評価されました。
オーケーズデリカが掲げるビジョンは「ALL OK!」です。
「私は昔いじめられて、居場所のない休み時間はつらかったことがあります。色々な特徴や個性がある人が集まり、『ALL OK!』と認めあえる会社を目指しています」
同じ年には、ビジョンマップを作り、事業の社会的役割や会社の未来像を、ポップなイラストでわかりやすく示しました。
イラストレーターに依頼し、「おむすび配り隊」、「みんなの火」といった親しみやすい言葉を使い、ダイバーシティーや仕事の意義、食べ物を通じてコミュニティーをつくる様子を絵で表現しています。
「お弁当を通して人々を応援し、誰もが安心して暮らせる『ALL OKな共感社会』を目指す会社であることを伝えたかった」と言います。
社内はもちろん、ホームページにPDFファイルを掲載するなど社外にも広報し、ビジョンを伝わるようにしました。
ビジョンマップには外国人と会話している絵を盛り込みました。オーケーズデリカは、海外輸出にも対応した食品安全の国際規格FSSC22000も取得しており、煮物などの和総菜を真空パックして台湾、香港に輸出しています。フランスでの展示会参加に向けて準備も進めています。
「ビジョンマップで将来像を明確にしたことで実現したと思っています。和食を広げ、世界中の人を健康にしたいと思います」
「中小企業のお弁当屋」に誇りを
こうした社内外の向けた経営改革が実り、現在の年商は、社長就任時より4億円増の15億円となりました。
第二工場の建設を35歳の副工場長に一任するなど、社員を信じて任せられる組織ができたこと、新規事業や品質管理、商品開発を社員主導で動かしていることが大きいといいます。
杉本さんの手腕は高く評価され、優れた女性経営者として中部経済新聞社の「中経トパーズ賞」を受けました。ビズリーチ創業者の南壮一郎さんらが受賞者に名を連ねる「EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー」でも、審査委員特別賞(2023 Japan東海・北陸地区アワード)に輝きました。
杉本さんは入社以来、価格競争などに直面するなかで「中小企業のお弁当屋」で働くことに誇りを持てない社員を見てきたといいます。ビジョン策定といったインナーブランディングに力を入れるのも、社員のモチベーションを高めるためです。
「お弁当を飽きないように工夫し、人々の健康を担っています。一人ひとりが世界に役立つ素晴らしい仕事をしているということを伝えるのが大切だと考えています」
心地良く朗やかな雰囲気のオフィスで、杉本さんは力強く語りました。