目次

  1. 子どもながらに「会社の一員」
  2. 安全強化で「食中毒ゼロ」
  3. 兄の急逝で突然社長に
  4. トップダウン型からの転換
  5. 人事評価の基準を明確化
  6. 「おかん弁当」への一本化
  7. ビジョンマップで示した未来
  8. 「中小企業のお弁当屋」に誇りを

 オーケーズデリカは1973年、杉本さんの父・川崎義久さんが大阪で立ち上げた「OK給食」がルーツです。その3年後、三重県桑名市で再創業し、プレハブ工場で弁当を作っていました。

 杉本さんが子どものころは工場と自宅が一緒で、配膳台で寝かしつけられ、社員に子守をしてもらっていました。終業後、父は社員にご飯を振る舞い、母が人生相談に乗っていたといいます。「子どもながらに会社の一員という感覚でした」

 1987年、現在のオーケーズデリカになり、今は社員約200人(パートを含む)を抱えています。

 杉本さんは短大で栄養士の資格を取り、卒業後は名古屋市の食品問屋会社に勤めます。1997年、結婚を機に退職し、オーケーズデリカに事務職で入社しました。

オーケーズデリカの社屋
オーケーズデリカの社屋

 2000年代に入り、大手牛丼チェーン店が牛丼を200円台に値下げすると、弁当業界もそろって低価格帯の弁当を提供。オーケーズデリカも流れに乗らざるを得ませんでした。

 価格競争では大手にかないません。力を入れたのは、今も強みである食の安全性の強化でした。

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