目次

  1. 端材が遊び道具だった
  2. 家族に「辞めたい」と告げて
  3. 職人の難関資格を取得
  4. アップサイクルでつながった経験
  5. 建築板金を生かした雑貨づくり
  6. 多彩な注文を受けて評価を高める
  7. 雑貨店での経験が役立つ
  8. マレーシアの蔦屋書店で展示

 奥井板金店は奥井さんの祖父が1952年に創業し、2010年から父の勇さんが2代目になりました。母が事務を担い、奥井さんが職人を務める家族経営です。伊賀市周辺で屋根、樋、外壁の工事を手がけ、住宅メーカーなどの下請けもこなします。直近3年間の売り上げは平均7千万円強です。

 「じいちゃんは80歳を超えても屋根に上っていました。現在68歳の父もまだまだ現役だと思っています」

銅板の端材。これらを生活雑貨に加工しています
銅板の端材。これらを生活雑貨に加工しています

 奥井さんの幼少期は「家業で出る端材が遊び道具でした」と振り返ります。「作業場の隅に処分する端材が積まれていて、そこから気に入ったものをとっていました」。銅板の端材を自分で曲げたり、たたいて何かを作ったりするのが楽しかったといいます。

 地元の工業高校を卒業後、父親の勧めで三重県立津高等技術学校の鈑金科(現:メタルクラフト科)に入りました。「即戦力で家業に戻ってこいという感じで、2年間の寮生活で板金の勉強に専念させてもらいました。建築板金だけでなく、自動車板金、工場板金などの幅広い知識と技術を身に付けたことは強みになっています」

 20歳までみっちり板金の基礎を習得。祖父から「自分が生きているうちに入ってほしい」と言われていたこともあり、卒業後すぐに奥井板金店に入りました。

 職業訓練校でスキルを身に付け、それなりに自信がありましたが、奥井さんはいざ働きはじめると「何もうまくできませんでした」と言います。

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