奥井板金店は奥井さんの祖父が1952年に創業し、2010年から父の勇さんが2代目になりました。母が事務を担い、奥井さんが職人を務める家族経営です。伊賀市周辺で屋根、樋、外壁の工事を手がけ、住宅メーカーなどの下請けもこなします。直近3年間の売り上げは平均7千万円強です。
奥井さんの幼少期は「家業で出る端材が遊び道具でした」と振り返ります。「作業場の隅に処分する端材が積まれていて、そこから気に入ったものをとっていました」。銅板の端材を自分で曲げたり、たたいて何かを作ったりするのが楽しかったといいます。
地元の工業高校を卒業後、父親の勧めで三重県立津高等技術学校の鈑金科(現:メタルクラフト科)に入りました。「即戦力で家業に戻ってこいという感じで、2年間の寮生活で板金の勉強に専念させてもらいました。建築板金だけでなく、自動車板金、工場板金などの幅広い知識と技術を身に付けたことは強みになっています」
「父からは毎日しかられっぱなしで、つらかったです。日を追うごとに『おもんないなー』って。自分なりに頑張りましたが2年で心が折れ、辞めたいと言いました」
奥井さんはこう続けます。「自分から何かをしたいというより、人の期待に応えたい性格で、求められると多少無理しても応じてしまいます。進路も親の敷いたレールにのってきたけれど、そのころの自分は好きで楽しいと思える仕事をやりたい気持ちが強かったです」
両親に辞めたいと伝えたときには、自分が好きな雑貨店で働く準備をしていました。家族会議になり、祖母だけは「好きなことをしたらええ」と言ってくれましたが、ほかの家族からは猛反対されました。
奥井さんは辞めることは諦めますが「このままではしんどいので、両方やらしてくれ」と訴え、平日は板金店で働き、土日は雑貨店でアルバイトをすることになりました。
二足のわらじで休み無しでしたが、好きな雑貨店で販売や接客に打ち込むのが楽しく、家族以外と接する時間も気分転換になって、家業の仕事も頑張れるようになりました。
そんな生活が3年続き、25歳のときに勤めていた雑貨店が閉店。「このころには板金の仕事にも慣れ、怒られることも減りました。閉店を機に家業に専念しようという気持ちが固まりました」
職人の難関資格を取得
創業者の祖父が亡くなったのもこのころでした。「僕はおじいちゃん子だったので、奥井板金店を1日でも長く続けたいという思いが明確になりました」
次の時代の経営を担うため、まずは職人として一流になることを目指しました。
建築板金は年々機械化やデジタル化が進み、祖父の時代から続く手仕事は減りつつあったといいます。奥井板金店も電子制御で鉄板を加工する機械を導入し、手仕事は圧倒的に少なくなりました。
それでも「祖父が大事にしていた職人の手による技術を無くしたくない。自分に自信をつけたい」と、29歳のとき、国家資格の一級建築板金技能士への挑戦を決意します。職業訓練校時代に二級は取得していましたが、一級はさらなる実務経験と専門的知識が必要で、より狭き門となります。
ところが試験の10日前、高速道路を運転中に後続車に追突され、重傷を負いました。試験は年に1度だったため、無理やり退院して受けたものの、ミリ単位の正確性を審査する実技試験もあり、結果は不合格でした。
「合格する自信があっただけに落ち込みました。でも、また1年の時間があるのだから翌年の試験は優秀な成績で合格しよう」と、やる気に火がつきました。
奥井さんは1年後の再試験を優秀な成績で合格し、試験の際につくった作品で三重県知事賞を受賞しました。いつも厳しい父親もこの時ばかりは、賞状を入れる額を買いに行き、すぐに社内に飾ってくれました。
商売にすぐ影響したわけではありません。それでも、資格をとったことで店の信用度があがり、複雑な作業の発注も請けられるようになりました。
アップサイクルでつながった経験
奥井さんは、経営の勉強や家業の課題にも向き合いました。建築板金の技術を使った屋根や外装材はいわば高級品。寺院や木造住宅などニーズが限られるうえに、少子高齢化で新築物件も減る中で、板金技術や素材に関心を持ってもらえる別のプロダクトの必要性を感じていました。
そんなとき、所属している商工会で知ったのが、素材を別の製品に作り替えて付加価値を与えるアップサイクルでした。
アップサイクルの思想は、子どものころ夢中になった端材を使ったものづくり、それまで培った板金技術、雑貨店で働いた経験が全部つながるものでした。
奥井さんは家業で出る廃材や銅板の端材を使い、建築板金の技術を生かして生活雑貨を作れば、アップサイクルになると考えました。自分で販売も担えば、経営の勉強にもなり「楽しみながら取り組めそうだと思いました」。
建築板金を生かした雑貨づくり
2020年春、奥井さんはコロナ禍で空いた時間を使い、自宅横の倉庫を工房にして銅板での生活雑貨づくりを始めます。
最初に手がけたのは銅製のトレーです。趣味で集めた酒器をのせるため、銅の端材を加工して、好みのサイズで作りました。屋外で使うキャンプ用品、鉢カバーやスコップなどのガーデングッズも製造しました。
奥井さんのこだわりは、建築板金の技術を生かした雑貨づくりです。祖父が創業時から使っていた道具を使い、釘を使わないハゼ組みの技術で一つひとつ手作業で仕上げています。
「銅板の雑貨は他の素材より軽く、割れる心配もないので持ち運びしやすく、耐水、耐火に優れているという素材の強みがあります」
奥井さんは通販サイト開設サービス「BASE」を利用して「Akakane.」(アカカネ)というECショップを開きました。「フリマサイトやハンドメイド雑貨専門サイトなども調べましたが、売値がすごく安かった。技術や付加価値に目を向けてほしいと思い、自分でネット販売することにしました」
店名のアカカネ(赤金)は銅のことです。店のロゴも奥井さん自身がデザインしました。「最初はサイトへのアクセス数も少なく、商品もトレーくらいしかなくて、全然売れませんでした。魅力的な商品づくりと周知が必要だと思いました」
多彩な注文を受けて評価を高める
奥井さんが試行錯誤していたころ、旅先の富山県で木工作品をつくる作家と出会います。互いの作品について話をしたところ、富山県の古物商が運営するオンラインセレクトショップ「ハモニ」を紹介されました。
そのサイトでは、複数の作家が手がける手仕事の生活道具を扱っていました。統一感のある、センスの良い品ぞろえで、素材や手仕事のことが詳細に書かれたページになっており、奥井さんも自分の作品を扱ってほしいと思ったのです。
奥井さんはハモニの店主からオンラインで頼まれて作品を製造しました。注文を受けてから図面を書き、試作を重ねて微調整をしながら制作。建築板金技術を生かして、どんなオーダーも形にするため、店主からの依頼も途切れませんでした。
現在、販売しているのはハンギングハンガー、本立て、鉢カバー、スコップ、ドリッパースタンド、ハンギングプレートの6種類で、新作も予定しています。「具体的な商品を依頼されて、制作するスタイルが僕には良かったです。何でも作れる技術はあるけど、オリジナリティーは無いので」と笑います。
それらを自分のインスタグラムで紹介すると、フォロワーもネットショップのアクセス数も増え、キャンプ用品の店やインテリアショップとの取引が広がりました。
雑貨店での経験が役立つ
休日や夜間など本業の合間の作業で、作れる数に限りはありますが「ダブルワークは雑貨店で働いていたときに慣れています。雑貨店で身につけたラッピングの技術も役に立っています」。
現在、Akakane.のECサイトで扱っている商品は50アイテム以上で、価格帯は3千円台から1万5千円です。2023年の雑貨の売り上げは150万円程度ですが、帳簿を付け、確定申告をすることで経理の勉強にもなっています。
作家活動は充実していますが、あくまで奥井板金店の本業に還元するためといいます。
「三重に面白い板金屋さんがいると業界内で広がり、イベントに声をかけていただいたり、インスタで発信を周知につなげたりして、数ある板金店のなかで差別化につながればと思っています」
「家族3人で仕事をしている分には、経営面は安定しています。余裕のあるうちに自分の代になったときのことを準備しておきたい。会社のホームページやネットを活用した事業展開などやってみたいことは色々あります」
マレーシアの蔦屋書店で展示
そして、晴れ舞台が訪れました。2024年4月から2カ月間、奥井さんが作った銅板製のコーヒー用品と鍋敷きなどが、マレーシアの蔦屋書店に展示されたのです。施工支援サービス会社ハウスケープ(東京)が屋根工事業者4社の作品を集めたポップアップイベントで、そのうちの1社に選ばれました。
以前から面識のあった東京の板金店が、ハウスケープに奥井さんを推薦してくれたことで実現したといいます。
このイベントは雑貨を通して、日本の屋根文化や技術を世界へ広める取り組みです。当初は1カ月の予定でしたが、好評につき期間が延びました。
「屋根業界や板金業界で雑貨を作って販売するケースは珍しく、今までは1人で細い道を必死に歩いているような気持ちでした。でも、同じように活動されている方とチームになれたことで道が広がって自信が付きました。海外出展を続け、同じ志を持った仲間を増やすことで新たなビジネスのステージが見えれば面白いですね」
奥井さんの夢は「雑貨店も経営する板金店」です。穏やかな語り口の中に秘めた熱い思いを胸に、今日も端材に命を吹き込みます。