目次

  1. ボクサーパンツやステテコを開発
  2. 表参道進出も失敗に
  3. 「地の利」を生かして原点回帰
  4. 派手なボクサーパンツを雑貨店に
  5. 勝負をかけて祖業から撤退
  6. ステテコを人気商品に
  7. カッコ悪いものをカッコよく
  8. 認知症の人向けの靴下が好評
  9. シルク不足打開へ桑畑を管理
  10. インド進出も見据えて

 大醐は1981年、後藤さんの父・昌治さんがレディースアパレルメーカーとして創業しました。順調に滑り出しましたが、バブル崩壊で業績が悪化。最盛期の1994年に16億円あった年商が、後藤さんが入社した1997年には8億円に半減し、その後も下降しました。

創業当時の両親
創業当時の両親(大醐提供)

 2008年のリーマン・ショックで、年商は最盛期の10分の1以下の1億3千万円に。30人いた従業員は4人にまで減りました。

 後藤さんは差別化のため、原料からの企画に踏み切り、ボクサーパンツやステテコといった「流行を追わない商品」へと戦略を転換します。

シルクを使った商品群
シルクを使った商品群(大醐提供)

 シルクや滋賀県伝統の高島ちぢみなど天然素材を使った商品で、幅広い顧客を獲得し、2020年代以降は年商6億円台に回復。売り上げは最盛期に及ばないものの、利益率は上がっています。 社員数も34人まで増えました。

 後藤さんは学生のころから常に変化のある仕事がしたいと考えていました。家業を継ごうと決めてはいませんでしたが、同じアパレル関係を希望しました。

大醐の商品の数々
大醐の商品の数々(大醐提供)

 1993年に同志社大学を卒業し、就職したのがアパレル商社・タキヒヨー(名古屋市)です。当時は起業を視野に入れていました。

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