健美薬湯は松田さんの祖父が1960年に兄弟で創業し、温浴施設向けの入浴剤や洗浄剤などを製造・販売しています。生薬を配合した薬湯は全国の施設で使われ、売り上げは毎年8億円前後で推移。BtoBの入浴剤市場のトップシェアを持っているといいます。従業員数は約50人です。
早稲田大学でスポーツトレーナーの勉強をしていた松田さんは15年4月、ヘルスビューティーに新卒入社しました。「家業を継ぐことは考えたことがなく、海外の大学院に進学する予定でした。その準備をしているとき、3代目の父(和也さん)の病気がわかり、最終的に家業を手伝う決断を下しました」。
BtoBの入浴剤市場はニッチな業界で、専業のメーカーは国内でも3、4社に限られます。販売も代理店を通じたもので、顧客と接する機会も少なかったといいます。銭湯は減少傾向ながら、スーパー銭湯なども含めた温浴施設全体では横ばい状態。同社は無借金経営でしたが、松田さんは成長性に欠ける点が気になっていました。
「市場規模は数十億円程度で、大手が参入することはありません。何十年も外的脅威にさらされず、社内は新しいことに挑戦するムードが感じられませんでした。新卒を採用しても成長性がないと思われていたのか、3~5年で退職する人が多かったです」
健美薬湯の工場内
松田さんはコンサルティング会社と戦略プランを練り、新規事業も検討しましたが、最後まで遂行できませんでした。「色々なご提案をいただきましたが、方向性に迷いを感じ、何としてもやり遂げたいという意欲もわいてこなかった。私の覚悟が足りなかったと思います」
サウナ運営を却下した理由
松田さんがエイトブランディングデザインと出会ったのは、21年のことです。西澤さんの著書を手に取ったのがきっかけでした。
「商品開発や製造、営業力には自信があるのですが、デザインには苦手意識があり、専門家とチームを組みたいと考えました。その世界のトップランナーと取り組んでも変えられなかったらあきらめがつく。最後の頼みの綱でした」
松田さんは若くして経営を担いました (編集部撮影)
西澤さんとの最初の面談で、松田さんはサウナなどの入浴施設を運営するプランを提案します。しかし、西澤さんからは「やらないほうがいい」とはっきり言われました。
その理由を、西澤さんは次のように振り返ります。
業務用入浴剤のメーカーがサウナを運営するのは、一見、本業と親和性があるように思えますが、「市場ではやっているから自分たちもやってみたい」という施策の立て方は、思いつきのようなもの。ブランディング的には一番やってはいけないことです。
入浴施設を運営するには、場所を借りて集客して接客するという、これまでの事業には無いサービス業のオペレーションが必要になります。ノウハウもなく組織上の強みも使えません。かなりの投資も必要となるため、反対しました。
事業内容や社内状況をお聞きして、まずやるべきことはBtoB事業のリブランディングと考えました。
健美薬湯の強みは、質の高い天然生薬の薬湯を取りそろえていることです。しかし、その強みが当時の社名だった「ヘルスビューティー」やカタログからは伝わらず、顧客とのコミュニケーションを見直したほうがいいと思いました。
カタログを見ると、商品ラインアップが多いうえ、どれも並列に紹介され、強みが目立ちにくくなっていました。まず本業の商品ラインアップを整理し、強みを打ち出すことをご提案しました。新規事業を立ち上げるとしても、まずは本業のブランド力を高めたほうが、相互関係も築けます。松田社長にも最初にご納得していただいて意気投合しました。
BtoB用の新パッケージ
経営者も一緒に取り組む覚悟
西澤さんは新規事業への挑戦を否定しているわけではありません。挑戦するには、まず自社の強みをもとに経営戦略を見直し、本業と新しい施策との因果を整理する必要があるという考えです。
西澤さんと最初に面談したときの印象を、松田さんはこう振り返ります。
「西澤さんは僕らの考え方がずれていたことを指摘し、その上でBtoCの市場で挑戦する方法を考えるためのアドバイスを下さいました。経営者もデザイナーに任せきりではなく、一緒に取り組む覚悟が必要と理解できました」
ワークショップで戦略を自分ごとに
21年8月から始まったリブランディングのプロジェクトで、最初に取り組んだのは、経営戦略の立て直しでした。その後、社名の議論や、コンセプトの策定、商品ラインアップの整理など、ワークショップ形式で取り組みました。
このワークショップには、松田社長や役員をはじめ、古株の社員や入社5年目以内の若手社員、幹部候補、そして、会長の松田尚子さんを含め、計10人ほどが参加しました。
ワークショップの様子
経営戦略のデザインのためのワークショップの手法は、西澤さんが開発したものです。自社が持っている強みを多方面から洗い出し、そのつながり方を設計していきます。持っているカードを横一列に組むのか、マダラに組むのか。その組み方で戦い方は変わるといいます。
ワークショップでは課題が与えられ、自社の強みや弱み、外部環境などを探るSWOT分析や、異業種のリブランディング事例の勉強などを進めました。
西澤さんはワークショップ形式で経営戦略を見直す意義について、こう説明します。
松田社長と僕だけで方針を決めると、社員の方々は「やらされている感」が高まり、自分ごとになりません。実際、経営戦略やブランド戦略をブレストしながらたくさん案を出して比較検討している企業は意外と少なく、多くの場合は、社長や幹部の思いつきで決めているんです。
そもそも、経営戦略や商品の売り方などの戦略があいまいなまま、ロゴやパッケージなどデザインを良くしようと考える経営者が多いのですが、戦い方のシナリオが描けていなければ、どんなに見栄えを良くしても、長期的な成長にはつながりません。経営戦略で最も重要なのは、長期ゴールの設定なのです。
ワークショップで作った戦略のイメージ図(画像を一部加工しています)
発表の場で変わった目の色
同社が設定した経営戦略のゴールは、持続的な利益を出し続けることでした。そのためには長期間にわたって差異化を続けられる強みを打ち出す必要があります。
同社の強みは、質の高い天然生薬を取りそろえていることです。中でも、生薬を粉末にして温泉成分と合わせて独自配合した「温浴素じっこう」は、一番の人気商品でした。
人気商品「温浴素じっこう」のtoB(左)、toC(右)向けパッケージ
この商品を軸に「健美薬湯といえば天然生薬」という認知を高め、銭湯や温浴施設を利用する消費者にも届けるには、どうしたらいいか。ワークショップに参加したメンバーと練っていきました。
当初、エイトブランディングデザインとリブランディングに取り組むことについて、社員は協力的でありつつも、どこか冷ややかな反応もあったといいます。「以前失敗したコンサル会社との取り組みを見て、またきっと途中で終わると思われたのでしょう」(松田さん)。
社員の目の色が変わってきたのは、ワークショップの参加者全員に発表の場が与えられてからでした。
「個人で考える宿題や、自分の考えを全員発表する時間もありました。西澤さんやエイトブランディング側の意見も発表しますが、その場ではみんなの立場は対等なんです」
「だから、自社の強みや弱み、自分の好みやあこがれていること、その理由など、若手もベテランもそれぞれの意見を知ることができて、納得しながらプロジェクトを進められました。10人というチームの人数は多く、その分、時間もかかると西澤さんには言われていたのですが、結果的に良かったと思っています」
親しまれた社名を変更
リブランディングの議論は1年かけて進め、22年10月に発表しました。大きく変わったのは、「ヘルスビューティー」という社名と、BtoB商品のラインアップです。長年親しまれ、古参の社員にも愛着のある社名の変更は、抵抗もあったといいます。
旧社名(上)と新社名(下)のロゴ
しかし、「ヘルスビューティー」という名前では、強みである「天然生薬」の会社であることが直感的に伝わりづらいという課題がありました。
「シャンプーなどヘアケア製品のメーカー」と誤解されたり、似たような名称のブランドも多かったりして、間違って問い合わせる人も少なくありませんでした。
「父と一緒に育ててきた会社なので、社名変更には複雑な気持ちがあったはずです。ただ、最後は社員も僕らの判断に任せてくれました」
社名変更に踏み切った理由を、西澤さんはこう説明します。
自社の強みやコンセプトが、人から人へ「伝言ゲーム」のように伝わっていくことが、ブランディングの本質です。顧客が社名を聞いただけで、生薬や薬湯のメーカーであると伝わることの重要性は、ワークショップの参加メンバーも理解していました。「変えない」という選択肢も含め、新しい社名の案をみんなで出し合い検討した結果、自分たちの強みとヘルスビューティーを日本語にした「健美薬湯」という言葉が、新しい社名となりました。
商品ラインアップを3分の2に
新しいブランドコンセプトは「日本を温める」に決まりました。これも、「温浴素じっこう」をはじめ、現在日本で販売されている唯一の第2類医薬品入浴剤「千葉実母散(ちばじつぼさん)」などを取りそろえている強みから考えたものです。「お風呂を通して体と心を温め、日本中の人を健やかで美しくする」という思いを込めました。
健美薬湯のブランドコンセプトとステートメント
リブランディングの過程で、商品ラインアップを3分の2くらいに減らすことも決めました。松田さんは次のように話します。
「トップダウンで決めていたら、営業担当は納得できなかったはずです。西澤さんは常に『最後に決めるのは社長』と言いながらも、みんなの意見をくみ取っていました。社内だけで取り組むと、どうしても上司の顔色をうかがったり、意見に従ってしまったりしがちです。しかし、外部の西澤さんがファシリテートすることで、安心して自分の意見を伝えることができ、多数決ではない方法でコンセプトや新しい社名を決めることができました」
西澤さんは、戦略を一番具現化できるのは商品ラインアップだと言います。
カタログをリニューアルするタイミングで、商品ラインアップを見直しました。商品点数がかなり多かったので、集約できるものについて議論を重ね、人気商品や売りたい商品が際立つよう、カテゴリー内でのヒエラルキーもみんなで設計していきました。そういったプロセスを通じて、単に商品を減らすのではなく、売りやすくするための改善だと実感できたはずです。
商品それぞれに役割があり、それに見合ったデザインが必要なことにも気付けたと思います。BtoBのパッケージにはこだわらない会社も多いですが、業務用であっても品質感や信頼感を表現するのは大切です。
刷新したカタログを見れば、健美薬湯のイチオシ商品が一目瞭然です。基調となるブランドカラーは、薬湯をイメージさせる「健美グリーン」にしました。
パッケージデザインのリニューアルは、健美薬湯の社内デザイナーと連携して取り組みました。新しいロゴマークも、生薬の葉や根、お湯や湯気などをモチーフに、薬湯の要素が凝縮された立体的な液体が、宙に浮いているイメージを表現しています。
旧カタログと新カタログ
グリーンを基調としたブランドロゴ
リブランディングの範囲は、研究開発や製造部門にも及んでいます。
同社は研究所を抱えて、厳しい原料や試験の基準を定めながら、薬湯などを一貫生産できるのも強みです。
それを明確に伝えるため、入浴や浴剤、製造方法のノウハウや開発経験を積んだ人材を「浴剤師」として認定する社内制度も設け、カタログなどに載せることで、健康に関わる企業としての信頼性を高めるのも、リブランディングの狙いでした。
健美薬湯の「浴剤師」
業務用の薬湯を一般消費者にも
健美薬湯はリブランディングを機に、業務用商品を一般消費者向けにも展開し始めました。
人気商品の「温浴素じっこう」は「JIKKO」と名付け、自社サイトをはじめ、大手ドラッグストアや温浴施設で販売を始めています。四十余年の実績のある効果はそのままに、中身は家庭用向けに少しアレンジ。業務用のパッケージとは全く違うイメージで、消費者が手に取りやすいよう、より洗練されたデザインにしました。
JIKKOのイメージ写真
「JIKKO」などの商品は、温浴施設向けに販売用キットを用意しました。そのデザインもエイトブランディングデザインが手がけました。
消費者の支持を得ることで、業務用の「温浴素じっこう」や健美薬湯への認知も高める狙いがあります。松田さんは「toBとtoCを切り離して考えていましたが、結局ブランドは一つで相互に連携できると思うようになりました」
「松田家の会社」からの転換
リブランディングから1年。成果がはっきりするのはこれからですが、コロナ禍の時期に比べて売り上げは120%増となり、商談件数も増えているそうです。
「リブランディングでチャンスが生まれ、OEMの相談など今までになかった問い合わせや営業に関するメールが増えました。その一方、強みを明確に伝えたことで、事業と全く関係ない問い合わせは減りました」
松田さんはリブランディングを起爆剤に、さらなる成長のアイデアを巡らせています(編集部撮影)
リブランディングは、会社の新しい方針を社内外にアピールする機会にもなったと松田さんは考えます。
「僕自身、偉大だった父の会社の後継者という感覚がありました。だけど、社員と共にリブランディングに取り組んだことで、『松田家の会社』から『自分たちの会社』になったと実感しています」
「取引先の方にも、僕らが変わろうとしていることが伝わり、ようやく社長として認められた気がします。ただ、経営戦略は常にブラッシュアップされ、完成形はありません。これからも社員を信じて、社員の思いをくみ取った事業を進めていきます」
チアアップ型のリーダーシップ
西澤さんは、健美薬湯のブランディングを次のように総括しました。
「変わる」こと。
これはどんなリブランディングプロジェクトでも絶対さけては通れない道ですが、でもやっぱり難しい。社員からすると変わることには抵抗があります。というより変わることの必然性がわからない。
これは健美薬湯さんに限らず多くの企業のリブランディング時に出くわしますが、単に保守的というより、会社の全体像と環境の変化を自分ごととしてきちんと捉えられていないから起きる現象です。
今回の松田さんのリブランディングのテーマは単に会社が変わるのではなく、「みんなで変わる」ことにありました。
会社への危機意識を社長だけが持つのではなく、みんなで理解し、前に進む。ワークショップでもあえて各部門の若手からベテランまで大勢のメンバーを集めて、松田さんはいろいろ意見を吸い上げながら「どうしたい?」「どうしようか?」と問いかけられていたのがとても印象的でした。
またリブランディングの施策の中でもいくつか実行難易度の高いものがあったのですが、そういう仕事ほど松田さんがニコニコ率先して行われていました。
ぐいぐい引っ張っていく家長的リーダーシップの経営者は多いと思いますが、松田さんのやり方はみんなを巻き込みながら「変わることは大変だけど楽しいことでもあるよ」というチアアップ型のリーダーシップ。今回は、松田さんの「みんなで変わる」という熱い思いがあったからこそ、リブランディングをやり遂げられたのだと思います。