目次

  1. 個人商店から会社組織へ
  2. 経営指標がリブランディングの土台に
  3. 予想と違った作業イメージ
  4. ブレンドの再構築を提案
  5. 2次元マップでブレンドを整理
  6. ネーミングに施した工夫
  7. ブレンドのチャートをデザイン
  8. オープンファクトリーを設立
  9. コロナ禍でも慌てなかった理由
  10. 堀口珈琲らしさを社内に共有
  11. スペシャルティコーヒーの専門メディアに
  12. ブランディングと発信は必須の時代
  13. 代替わりしても変わらぬ「チーム力」 

西澤明洋さん

エイトブランディングデザイン代表

1976年、滋賀県生まれ。「ブランディングデザインで日本を元気にする」というコンセプトのもと、企業のブランド、商品、店舗開発など幅広いデザインを手がけている。「フォーカスRPCD®」という独自手法でリサーチからプランニング、コンセプト開発まで一貫性のあるブランディングデザインを強みとする。主な仕事にクラフトビール「COEDO」、抹茶カフェ「nana’s green tea」、スキンケア「ユースキン」など。著書に『ブランディングデザインの教科書』(パイ インターナショナル)などがあり、2024年6月7日、特集書籍『西澤明洋の成功するブランディングデザイン』(誠文堂新光社)が発刊された。

 堀口珈琲は、東京に4店舗、上海に2店舗(フランチャイズ)を運営するほか、生豆・焙煎豆の卸売りや焙煎豆の小売り通販を展開しています。社員数は35人で、直近の売上高は約12億円です。

 堀口さんは創業時から、コーヒーのおいしさには生豆の品質が重要という考え方を強調し、当時の日本で入手困難だった“新鮮で品質の高い生豆”を安定的に調達するためのネットワークを築きました。一般向けセミナーも積極的に開いてファンを増やし、参加者の一部は堀口珈琲のスタッフとして加わりました。2000年代までの堀口珈琲は、堀口さん個人が日本のスペシャルティコーヒーのパイオニアとして組織を牽引してきたと言えるでしょう。

創業者の堀口俊英さん
創業者の堀口俊英さん

 この状況に変化を加えたのが2代目社長の伊藤さんです。売り上げと従業員の増加に比例して高まる企業としての責任を果たすため、社長就任前から、若林さん、小野塚さんと連携して、修業の場から働き続ける場、個人商店から会社組織への変革に着手。従業員が安心して働ける環境の整備や企業理念の策定などを進めました。

 このころ、堀口さん個人ではなく会社としての認知を高めるために、デザイナーに依頼しブランドロゴやパッケージなどの刷新に取り組みます。しかし、当時はブランディングという概念は頭になく、デザイナーもアーティスト気質が強かったため、意思疎通はうまくいかず、会社の認知を高める施策としては機能しませんでした。

2代目社長の伊藤亮太さん

 会社の認知拡大は経営のコアメンバー4人の問題意識として残り続け、2012年、改めてデザインの刷新を決断します。若林さんは美大出身の部下に相談してデザイナー候補を挙げ、一人ずつコアメンバーが面談する中で西澤さんと出会いました。「面談を前に西澤さんから、売り上げについて詳しく知りたいと言われ驚きました。アーティスト気質の方とうまくコミュニケーションをとれなかった経験から、こういう人を求めていたかもしれないと思いました」

 西澤さんは「どの仕事もクライアント企業のデザイン部長のつもりで取り組んでいる」と言います。

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