東京・歌舞伎座の大間のじゅうたんは、咋鳥紋様の絵柄が施され、職人の手づくりによる技術が生み出す美しい絵柄と上質な踏み心地で高い評価を得ています。この芸術作品のようなじゅうたんを製作したのが、オリエンタルカーペットです。1935年の創業以来、上質な羊毛からの糸づくりをはじめ、染色、織り、仕上げ、アフターケアまで一貫管理の下生産を続けています。皇居新宮殿やバチカン宮殿、迎賓館、帝国ホテルなどにじゅうたんを納めてきました。
渡辺さんは元々、地元テレビ局に勤めていました。職場の同僚だったオリエンタルカーペット創業者の孫との結婚を機に、1991年、同社に入社します。当時の売り上げは約15億円で、従業員は100人強を誇りました。ところが、渡辺さんが義伯父から経営を継いだ2006年時点で、年商は約3億円台、社員数は38人、しかも高年齢化が進んでいるという状況でした。
「主力はBtoB向けのオーダーメイドのじゅうたんでしたが、バブル崩壊などのあおりで建築物の着工数が減り、予算の大きなプロジェクトはさらに少なくなりました。高級じゅうたんは予算が合わず、見送られることも少なくありませんでした」
渡辺さんは社長就任と前後して個人向けの新商品開発に着手。その一つが、山形県出身の工業デザイナー・奥山清行さんがデザインしたじゅうたんです。フェラーリなどのデザインを手がけた奥山さんのシリーズは今も販売され、躍動する海を表現した「UMI」は看板商品です。
それでも、リーマン・ショックや2011年の東日本大震災などで経営はさらに厳しさを増し、危機に陥りました。そんなとき、渡辺さんは共通の知人を介して西澤さんと出会いました。
テレビ局に勤めていた渡辺さんは、デザインやコミュニケーションツールなどの価値を十分理解されている印象でした。ただ、自社の課題には気づいていたものの、何をどう手をつけていくべきかというアプローチに悩まれていたと思います。ポイントは、経営戦略の一環としてブランドづくりやデザインを考えることでした。
渡辺さん自身、外部デザイナーとの協業に抵抗はありませんでした。「私が『よそ者』だったからかもしれません。奥山さんの『UMI』を見て、発想力とデザイン性の高さに驚き、外部と組むことの可能性を実感しました。次の一手を考えていたときに出会ったのが西澤さんです。ブランディングをしたいというより、会社を変えたいという思いでした」
「伝言ゲーム」を目指して
渡辺さんが西澤さんに期待したのは、マーケティングも含めたBtoC向けのブランディングでした。
同社は元々、関西がメイン産地であるカーペット業界において「山形緞通」の呼称で呼ばれることがありました。「緞通」はペルシャじゅうたんと並ぶ、世界最高級の手織りのじゅうたんの名称です。
BtoC向けの商品はありましたが、当時はオーダーメイドの最高級品をほうふつとさせる古典的な柄が中心でした。
「地元ではその価値がよく知られ、ごく普通に玄関に敷かれるほど親しまれるじゅうたんですが、県外に出ると認知が低くなりました。またプレミアムゾーンばかり狙ったことで、市場が狭くなって伝統工芸品化が進み、インテリアとしてのビジネスが厳しくなっていました。そこでマーケティング能力の高い西澤さんに、改善をお願いしたのです」
西澤さんが着目したのは、オリエンタルカーペットや山形緞通の知名度です。
オリエンタルカーペットは、建築やインテリアの業界ではハイエンド製品のメーカーとして知られています。山形の誇りで、地元では「山形緞通さん」と親しみを込めて呼ばれていました。しかし、一般にはオリエンタルカーペットも山形緞通もほとんど知られていません。 この知名度の低さは「いいものをつくっても売れない」という要因の一つと想定していました。ブランディングとは差異化であり、その目的はブランドの価値や魅力が人から人へと伝わることです。「伝言ゲーム」が自然と行われる状態を目指し、2012年からBtoC向け商品のブランディングに取り組むことになりました。
ワークショップで強みを探す
ブランディングは、社内のワークショップ形式で取り組みました。メンバーは、渡辺さんをはじめ、デザイン、製造、営業、財務などの若手からベテランまで8人。まず会社の強みを洗い出し、言語化することから始めました。
西澤さんはこう説明します。
重要なのは、自分たちの強みで、かつ他社とは違うポイントを探すことでした。自分たちが強いと思うだけでは、ブランディングの差異化にはなりません。オリエンタルカーペットは、リサーチ段階で他社にはない強みがたくさんあがってきました。それは、自分たちのものづくりに対して自信があるからこそです。
ディスカッションで浮かび上がったのは、三つの強みでした。
圧倒的な職人の技術力
オリエンタルカーペットの手織り技術は独自に進化し、磨かれています。当時、緞通を手織りできる職人は国内に30人ほどで、うち8人が同社の職人でした。
じゅうたんの製造工程
国内唯一の一貫管理体制
ものづくりを産地全体で分業する地域が多い中、糸を紡ぐところから、メンテナンスに至るまで、自社一貫管理で手がけており、こうしたメーカーは国内唯一だそうです。
既存のプレミアム商品
高価格帯の「桜花図」は4.5サイズで693万円。奥山さんがデザインした「UMI」も、最も大きなサイズ(約2.5メートル四方)で、106万円ほどでした。一般的なじゅうたんと比べ、プレミアムな価格帯です。
山形緞通の桜花図
BtoCで通用しない売り方
こうした強みがありながら、なぜ売れ行きが伸び悩むのか。その要因も探りました。社員は皆、プライドをもって高級じゅうたんを送り出しており、自社に足りない部分に向き合うのは難航したといいます。
議論になったのは売り方でした。
BtoBの顧客は同社の独自性を知っている前提で、色や柄を打ち合わせます。一方、同社の浸透力が薄いBtoC市場では、高価格帯商品の価値を丁寧に説明する必要があります。しかし、そのプロセスを踏まず、BtoB向けの商売をそのまま応用していました。
かつてのカタログ
カタログも「好みの柄を選べる」という目的で、じゅうたん単体を掲載するだけでした。しかし、渡辺さんは「高級で重厚感のあるじゅうたんも、その背景にある価値を知らなければ、敷居が高く感じる方もいるはずです。市場を広げるため、もう少し身近に感じてもらうことを目指しました」。
ワークショップの議論の過程で気付いたのが、潜在顧客の存在です。
「価値のあるものを大切にメンテナンスしながら、長く使いつづけることをぜいたくと捉える価値観が、若い人も含めて広がっています。そんな潜在顧客に選ばれるブランドを目指すべきだと思いました」
コンセプトは羅針盤、ロゴは旗印
オリエンタルカーペットはBtoCとBtoBの両輪で経営する戦略を立てます。愛称だった山形緞通を、正式にBtoCブランドの名前にしました。現在、同社のホームページやカタログは、社名より山形緞通が前面に出ています。
山形緞通のコンセプトは「足もとからのおもてなし」に決めました。これも、ワークショップで出た言葉がベースです。
ブランドのロゴは、高品質で名高い英国山岳種の羊毛「ブラックフェイス」をイメージ。角と顔は山形緞通の「山」がモチーフです。和と洋の振り幅が広いデザインにすることで、ペルシャからシルクロードを渡って日本に伝わり、花開いた独自のじゅうたん文化を表現しました。
リブランディングで生まれたコンセプト・ステートメント(上)、ロゴマーク(下)
西澤さんはコンセプトやロゴの狙いを、こう説明します。
これらはオリエンタルカーペットの新たな方向性を社内外に伝える「宣言」のようなものです。ハイエンドな商業施設や公共空間に採用されてきたじゅうたんには、客人を足もとからもてなす思いが込められています。そんな「おもてなし」の心をコンセプトに込め、一般家庭にも広めていきたいと考えました。ロゴマークは商品ラベルとしての活用も前提にデザインしています。 コンセプトはブランドの方向を示す羅針盤、ロゴは常に使われる旗印のような存在を目指しました。
柄よりも技術をつなぐ
とはいえ、インパクトのあるロゴやコンセプトだけでブランドは育ちません。優れた商品やサービスこそが必要です。
一般消費者が購入を検討しやすくするため、膨大にあった高価な古典柄のじゅうたんを整理する必要がありました。
古典柄の商品の選定もワークショップで取り組み、最終的に渡辺さんが決めました。
「特に職人は古典柄への思い入れが強く、反発もありました。それでも前に進めたのは、ワークショップ形式で社員と一緒に決めたから。西澤さんのファシリテーションで、率直な意見を出し合って、納得しながら進めてくれたおかげです。トップダウンではうまくいかなかった気がします」
その結果、古典柄は桜花図など3種類にまで絞り込みました。一方、一般消費者へのリーチを広げるため、ほかに4シリーズを展開しています。
「デザイナーズライン」は、奥山さんのほか、建築家の隈研吾さん、クリエイティブディレクターの佐藤可士和さんらと共同開発したじゅうたんです。
エイトブランディングデザインが担当したのは、新ラインアップである「現代ライン」と「新古典ライン」。「新古典ライン」は古典柄を現代の視点で解釈してリデザインし、「現代ライン」は日本の空や四季、景色をグラデーションで表現しました。
ブランディングの過程で、コスト面も西澤さんと話し合いをしました。
現代ラインでは、強みである色のバリエーションの多さは守りつつ、織り方を単純にすることでコストを抑えました。こうすることで、若い人がマンションを買った時に、少し背伸びして買える30万円台のじゅうたんも生まれました。古典ラインやデザイナーズラインだけでは顧客の間口が狭くなるので、現代ラインがブランドのエントリーモデルになるようにデザインしています。
ラインアップの見直しで絞り込んだ古典ライン
商品ラインアップの見極め方について、西澤さんは次のように説明します。
山形緞通で最も重要なのは、柄ではなく職人の技術を次世代につなぐことです。品質とデザインのバランスを保つために、どの柄を残していくかが重要でした。売り上げ順に残す商品を選びつつ、たとえ売り上げの数字は低くても、技術がふんだんに盛り込まれた、自分たちらしさを表現している商品がないか確認しながら、進めました。 私は当初、古典柄を10種類くらい残してもいいのではと思っていたんです。しかし、最終的に渡辺さんが3種類に絞りました。勇気ある絞り込みによって、ブランドの方向性が明確になったことが、ブランディングの成功につながったと思います。
現代ライン「空シリーズ」
現代ライン「景シリーズ」
利益率改善で危機を解消
商品開発と同時に、ホームページのリニューアルや新たなカタログ、ブランドムービーの制作などにも取り組みました。ブランドムービーは、雪深い場所にある作業場で、じゅうたんを丁寧に作る様子を伝えるシンプルな構成で、技術の高さを伝えています。
一新したカタログ
VIDEO
山形緞通のブランドムービー
コミュニケーションツールの刷新で、20代や30代の人材が増え、一時は38人まで減った従業員数も62人にまで回復しました。
山形緞通は若手職人も活躍しています
2013年以降、展示会のブースのデザインも西澤さんが担当。商品ラインアップの強化で販路も大きく広がり、大手家具店での取り扱いも始まりました。
西澤さんがプロデュースした展示会の様子(上下)
ブランディングに取り組んでから8年連続黒字になり、利益率が大きく改善したことで経営危機を解消。コロナ禍で一時的に赤字になったものの、直近の決算は1千万円の黒字となりました。
「結局、じゅうたんの注文が入るかどうかは、職人さんが一番肌で感じるわけです。仕事が増えることで、会社が取り組んでいるブランディングが社内に浸透したと思います」
ものづくりの内側が説得材料に
現在、ブランディングは西澤さんの手を離れはじめ、渡辺さんの息子たちにバトンが渡りました。長男篤志さん(35)が常務、三男尚志さん(28)が東京支店長を務め、音楽関係の仕事をしている次男の貴志さん(33)も外部パートナーとして、ブランディングに関わっています。
篤志さんも尚志さんも他社勤務を経て、山形緞通立ち上げ後に家業に入りました。ともに「山形緞通というブランドがなかったら、おそらく家業で働こうと思わなかった」と言います。
篤志さんは家業で営業を担当する中で、ブランディングの効果を実感しました。「正直、じゅうたんの魅力を言葉だけで伝えるのは限界があります。工房に足を運んだりカタログを見たりして、山形緞通のものづくりの内側を伝えることが、最終的にお客様への説得材料になるんです」
現在のカタログに掲載している写真。ものづくりの様子を丁寧に伝えています(撮影:Masaki Ogawa)
現在のカタログ は、貴志さんが中心となって制作しました。高級じゅうたん単体の紹介ではなく、歴史や製作工程、生活シーンにどのようにじゅうたんが使われているかが、一目瞭然です。
土壌があったから自走できる
3きょうだいは商品シリーズも拡充し、ウェブサイトのリニューアルなども進めています。渡辺さんは「いずれは息子たちに承継するので、その準備段階として今は口を出さず見守っています」。
山形緞通の東京ショールーム
尚志さんは2020年、東京・馬喰町に開いたショールームに常駐しています。
「土壌を西澤さんに作っていただいたことで、今、ブランディングを自走できていると感じます。今後は生活者の方に、じゅうたんといえばオリエンタルカーペットと思ってもらえることが目標です。百貨店の外商の方がお客様を連れてくるなど、ショールームは様々なシーンに使われています。柔軟な思考で、山形緞通の歴史やものづくりの背景を伝えたいです」
親子で力を合わせ、ブランディングを進化させる決意です(編集部撮影)
篤志さんは「山形緞通を継承し育てるためにも、時代にあわせてアップデートしていきたい」と強調します。
「BtoB事業のスケール感をベースに展開していましたが、そこだけに頼らず独自の情報発信を模索しています。どういった職人が何をつくっているのか。それを発信し続けることが、山形緞通のさらなる成長のカギではないでしょうか」
渡辺さんは「これからは百貨店や大手家具店などを経由してお客様に届ける、BtoBtoCのビジネスにも取り組もうと思っています。ダイレクトにお客様とつながる、DtoCも強化する計画です」と語りました。
攻めの「デザイン経営力」
西澤さんは、渡辺さんが主導したブランディングを次のように振り返りました。
山形緞通のブランディングで、僕がすごいと思ったのは渡辺社長の「デザイン経営力」です。 早い段階から奥山清行さん、隈研吾さんといった名だたるデザイナーの方々とのコラボレーションを実現。地方の中小メーカーで、こうした「デザインを経営資源として活用する」という視点を持っている方は稀有です。 リブランディングで僕たちエイトブランディングデザインをパトーナーに選んでいただいた後も、千住博さん、佐藤可士和さん、小林幹也さん、皆川明さんと素晴らしいデザイナーやアーティストの方々とコラボレーションを続けられています。 デザイン経営とは有名なデザイナーと組めばいいというものではありません。会社の本質を見極め、その本質を引き上げる起爆剤としての外部デザインの力をうまく使う。またその力を会社のレギュラー商品にも還流させることで、一つの商品だけでなく会社全体を底上げしていくことがとても重要です。 こうしたデザインを経営に役立てるという意識、デザイナーを選ぶ目利き、そしてその全体的な活用計画の立て方が渡辺社長の「デザイン経営力」です。 いまご子息にバトンが渡ろうとしていますが、この3人も「デザイン経営」に対する意識が非常に高い。伝統あるメーカーはどうしても古くから続くモノづくりを「守る姿勢」になりがちですが、外部デザイナーの力を借りながら、ブランドの世界観を常に新しく広げる「攻めの姿勢」こそが、山形緞通の最大の強みだと思います。これからのブランドの成長が、ますます楽しみです。