河口湖から富士山を臨む絶好の場所に、うぶやはあります。客室51部屋はすべて富士山に面し、年間4万2~3千人が宿泊。受け付け開始直後に予約が埋まるといいます。ロゴやのれんからマイクロバスに至るまで、富士山を思わせる色で統一し、高級旅館でありながら、卓球ラウンジや家族用のフォトブースなども備え、「遊び心」にあふれています。
うぶやは1948年、外川さんの祖父が創業しました。キャンプ場や修学旅行向けの旅館を経て、2代目の父が高級旅館に転換し、「湖山亭うぶや」に改名します。リニューアルは当たり、河口湖を代表する旅館の一つになりました。
外川さんは静岡・伊豆の旅館で修業後、2000年に家業に入り、財務改善や取引先の見直しなど、早くから経営改革を任されました。客層を団体客から河口湖の観光客に多いファミリーにシフトしたのも、外川さんの判断でした。
西澤さんとのリブランディングを決断したのは、社長就任前の2017年です。業績は好調ながら、危機感がありました。「富士山の世界遺産登録やインバウンド需要の高まりで、大手の旅館やホテルが進出し始めました。我々が積み上げた資金を一瞬で集められる大手に、設備投資ではかないません」
立地だけでは、大手と差別化できません。「『お客さまの満足度の高い、いい宿』という言葉は抽象的です。うぶやの強みや魅力を言語化して打ち出すタイミングでした。そんなときに西澤さんの著書に出会い、依頼しました」
建物や食事など、旅館としてするべきことにはすでに十分取り組んでいたのに、「まだ足りない」と思っておられるところが、面白いと感じました。競合に対抗するには立地や料理、温泉などのハード面だけに頼るのではなく、独自のサービスなどソフト面を充実させ、ブランド力を強化させる必要がありました。
「お祝い」を戦略の根幹に
外川さんはリブランディング前から、誕生日や結婚記念日、還暦など、宿泊客の祝い事を大切にしています。
「旅館業は形があるようでない商売で、お客さまとのミスマッチがうまれやすい。相思相愛になるには、まず自分たちの魅力を発信し、正しい期待を持って予約していただくのが大切です。他より安いからではなく、自分たちのことを好きで選んでもらうのが理想です。富士急ハイランドもある河口湖はファミリー層が多く、現場からのアイデアでお祝いごとにフォーカスしました」
意識したのは「きっちりおちゃめなサービス」です。「礼儀正しくきっちりしていながらも茶目っ気があり、楽しい場をつくる。そんな存在をイメージしています」
リブランディング前から「お祝い」を軸に、サービスを広げていました
富士山のかぶり物をした従業員がくす玉を割ってお祝いしたり、食後にサプライズでケーキを用意したり、遊び心のあるお祝いシーンを演出してきました。
ただ、リブランディングにあたり、外川さんはお祝いサービスを核として打ち出すべきか、迷っていたといいます。
西澤さんは次のように話します。
「お祝い」を軸にするのは筋がいいと感じました。ただ、アウトプットがジャストアイデアレベルで、体重が乗っていない印象も受けました。恐らく、従業員の皆さんは手作りでもてなすという感覚だったと思います。僕らは現場レベルでやっていた「お祝い」を、戦略の根幹に引き上げられないか考えていきました。 旅館経営で建物やお風呂、食事などのハードウェアは大切ですが、高級旅館であれば、だいたいの宿がすでにそれらに投資しています。いわば、みんなが70~80点は取れている状態です。それを90~100点に引き上げるには、うぶやが育んできた「祝い」で、思い出作りになるサービスであるソフト面を徹底的に磨くのが、差異化のために最も効果的と考えました。
コンセプトは「人生を祝う」
リブランディングはワークショップ形式で進め、外川さんをはじめ、20代や30代のスタッフら6人ほどが参加。新しい施策のアイデア出しから行い、事業戦略やコンセプトを考えていきました。
外川さんは「核となるコンセプトを決めることがゴールではなく、それを軸に走り続けることが目的です。多少時間がかかっても、トップダウンではなくスタッフを巻き込むほうが結果的に早いと思います」と言います。
うぶやで提供する食事
議論の末、ブランドコンセプトは「人生を祝う」に決定しました。
「私たちは、記念日の背景も含めてお祝いしたい。たとえば還暦は、子どもが産まれ、健康を願いながら育て、進学、就職、結婚、孫が誕生という歴史の積み重ねです。それを丸ごと祝いたい、という思いで決めました」
かぶり物の制作もプロに依頼
「祝い」を前面に出すため、磨いたのはアウトプットでした。
その象徴が、お祝いに使うくす玉や半被、かぶりものなどのコスチュームです。それまで大手ECサイトで購入した廉価品を使っていましたが、オリジナルで作ることに。西澤さんのネットワークで、衣装デザイナーの摩耶さん、美術制作TASKOの加藤小雪さん・加賀谷静さんといったプロに制作を発注しました。
西澤さんはこう話します。
一見、おバカなかぶり物ですが、一から設計してパターンを起こしてもらい、舞台衣装のレベルで作り込んでいます。それまでは、チープに見える作りでしたが、きちんとデザインすれば、倍以上の魅力になると思っていました。
リニューアルの前(写真上)と後(同下)で、コスチュームの質は大きく変わりました
言葉は短くするほど強くなる
「湖山亭うぶや」という名前も、ワークショップで議論になりました。
「西澤さんから、言葉は短くするほど強くなり、要素が増えればピントが合わなくなると言われました。案を出し合い、最終的に落ち着いたのが『湖山亭』をなくすことでした。新しい事業に挑戦してきた気質のある家族なので、父も受け入れてくれました」(外川さん)
西澤さんはその狙いをこう話します。
「湖山亭」という名称は、富士山と河口湖に由来しますが、立地ではなく「祝い」で差異化しようと考えたときには、記憶に残りません。シンプルに「うぶや」だけでいいのではと考えました。
「見極める力」をつけてロゴを決定
刷新したのは社名だけではありません。ロゴマークも「ぶ」の文字も、富士山をイメージできる字体を採用しました。
うぶやの「ぶ」は富士山をかたどったデザインに(編集部撮影)
ロゴマークは議論を重ねた末、エイトブランディングデザインが最初に提案した案に落ち着きました。外川さんは次のように振り返ります。
「最初の案は一度、私たち全員がノーを出しました。しかし、何案も検討する中で、我々の勉強不足で見極める力がなかったのでは、という仮説に立ちました。ロゴマークに関する本などで勉強し、最初のデザインが優れていたことに気付いたんです」
「例えば、うぶやの『ぶ』は富士山をモチーフにしており、1文字だけ抜き出してもマークとして活用できるよう設計されています。展開拡張性のあるマークは、ロゴデザインの基本ということも知り、最初の案を採用しました。経営者はデザインを学ぶ力を鍛えないと、大事なものを見逃してしまうと思い至りました」
ロゴマークのデザインについて西澤さんは、こう話します。
うぶやの強みである富士山の眺望が直感的に伝わるように考案しました。インバウンド客を意識し、英語表記も加えています。議論の過程では「祝い」を意識して、くす玉が割れたときの吹き流しをモチーフにしたロゴも提案しており、ロゴとしては採用されませんでしたが、食事処の壁面などのサインデザインとして活用しています。
ブランドカラーも赤(上)から浅葱色(下)に変わりました
赤が基調だったブランドカラーも、富士山を思わせる浅葱色に一新。のれんや壁面はもちろん、箸袋、コースター、卓球台からマイクロバスに至るまで、カラーを統一しました。
吹き流しをイメージしたサインデザイン
マイクロバスも浅葱色に
コロナ禍を機に始めた「温泉卓球」
リブランディングは2019年に形となり、外川さんも同年、3代目社長になりました。その直後、コロナ禍に襲われます。うぶやも一時休業を余儀なくされ、宿泊客は平時の3割程度に減りました。それでも、外川さんは悲観していませんでした。
「天災で道路が分断されたわけではなく、国の支援もありました。流行り病はいずれ終息します。有事こそ会社が信用されるかどうかが問われるので、備えはいつもイメージしていました」
宿泊客が少ないからこそ設備投資の好機と捉え、全面改装で「富士づくし体験」を強化しました。中でも目を引くのは「卓球ラウンジ」の設置です。東京の卓球バーも視察し、宴会場をリニューアルしました。
温泉卓球ラウンジ
西澤さんらにデザインを依頼し、卓球台はブランドカラーの浅葱色で統一。ピンポン玉にうぶやのロゴを入れ、家族対抗戦が盛り上がるようトーナメント表まで設置する凝りようです。
「温泉卓球」は高級旅館には似つかわしくない印象もありますが、外川さんには明確な狙いがありました。
「卓球は世代を超えたスポーツで、温泉地の文化でもあります。我々はファミリー旅館なので、子ども向けの卓球台も用意しました。『人生を祝う』というコンセプトが軸にあったことで、体験価値を高めるアイデアを実行できました」
家族が人目を気にせず、お祝い写真が撮れる「セルフ写真館」も新設。一見奇抜なアイデアに見えて、根っこは「人生を祝う」というコンセプトにつながっています。
セルフ写真館
西澤さんはコロナ禍でうぶやの行く末が心配になり、真っ先に連絡を取りました。
外川さんはコロナ禍でも「やまない雨はない」と、投資のタイミングとして捉えていたのが印象的です。家族みんなで楽しめるように、子ども向けの小さな台をつくったり、写真映えするようにタイルで富士山や温泉卓球をデザインしたり。そんな楽しい空間演出を提案しました。 うぶやの祝いを形にするために、一見キッチュにも見えるエンタメ要素をブランドに相応しい品質感でデザインしたのです。 我々も企画レベルで面白い提案をすることはたくさんあります。でも、それに乗っかって、きちんと投資できる経営者は珍しいと思います。
うぶやの宿泊客は現在、外国人が8割を占めます。チェックインの際は、旅行目的がお祝いかどうかを確認し、くす玉を割るなど日本流の「お祝い」を提供しています。外川さんは「我々らしいサービスを提供するほど、日本文化を感じてむしろ面白がっていただけます」。
ブランディングの視点を社内にも
100人規模の従業員が働くうぶやで、外川さんは視点を社内にも向け、2023年夏からは西澤さんにインナーブランディングも依頼しています。
苦い過去が背景にありました。「5%で推移していた離職率が、人間関係でもめて一気に11%に跳ね上がった時がありました」
旅館はフロント、客室係、料理人など役割分担が明確な半面、顧客対応が仕事の中心で、部署を超えたコミュニケーションが希薄になる傾向があります。「価値観がずれっぱなしだと、互いに傷つき、やめていくことになります。ブランディングで社内の価値観も一気通貫させようと考えました」
インナーブランディングは、社名やロゴ、施設と異なり、形のないものです。それでも、外川さんは「ブランディングは伝えるべきことを整理する作業です。社内の価値観を整えて言葉としてデザインするのは、何ら変わらないと思いました」。
ワークショップで用いたインナーブランディングの構造図
今回もワークショップ形式で、働き方を改善する施策アイデアから戦略を組み立て、社内向けのコンセプトを定めました。それが「人生を祝い、人生を楽しむ」という言葉です。
宿泊客の人生を祝うには、働く人も人生を楽しむ必要がある。そんな思いを込めました。
部活動でコミュニケーションを活性化
外川さんは中小企業向けのグループウェアを導入し、コミュニケーションの活性化を図りました。
自転車、フットサル、ゲームといった社内部活動も推奨。三つ以上の部署の従業員が集まれば、1人1500円の活動費を補助する仕組みです。「同じ部署ではなく、他部署から人を集めるにはコミュニケーションを頑張らないといけない。そこがポイントです」
ブランディングの視点を社内にも向けました
西澤さんらとともに、採用サイトのリニューアルも進めています。チームメンバーは入社3年目以内のスタッフが中心で、外川さんは報告を受けるだけといいます。「会社の方針を決めるプロジェクトへの参加は、スタッフのモチベーションアップにもつながります」
インナーブランディングについて、西澤さんは次のように振り返ります。
外川さんから相談を受け、はじめはミッションやビジョン策定という話がでてきました。それは作ってもいいですが、概念だけつくっても言葉遊びになりかねません。カギとなる具体的な施策を、従業員の皆さんと考えました。 ロゴや衣装といったデザインは、見た目が変わるので意識も変わります。しかし、インナーブランディングにそういった「強制力」は働きません。僕らは資料作りをお手伝いしながら、施策の社内発表会も開いてもらい、みなさんに具体的な活動をはじめてもらうことで社内に浸透させていきました。
中小企業こそリブランディングを
リブランディング後、うぶやの売上高は2億5千万円増の14億5千万円に伸びました。稼働率は約90%という高水準です。客室数や宿泊者数はほぼ同じですが、客単価の上昇がプラス要因となりました。
外川さんは河口湖の地域ブランディングも構想しています(編集部撮影)
外川さんは「中小企業こそリブランディングに取り組むべき」と実感しています。
「ヒト・モノ・カネが限られている企業こそ、ブランドで差を付けるしかありません。『ファミリー向けの祝いの宿』というブランドが明確であれば、取り組むべきことが引き算できます」
「例えば温泉卓球も『家族のため』という軸があるから、子ども向け卓球台やトーナメント表といった発想が次々浮かびます。あらゆる人を喜ばせたいと思ったら、そうはいきません。リブランディングは資本を集中させる経営の王道であると思います」
信念こそがブランドをつくる
西澤さんは、うぶやのリブランディングを次のように総括しました。
僕は「ブランディングは差異化」ということを繰り返しよく言います。 多くの商品やサービスはどの業界であっても飽和状態です。当たり前ですが、いくら経営者が自社のサービスを良いと思っていても、顧客にその良さが「他との違い」としてきちんと伝わらないと、どんなサービスも選ばれることはありません。 普通、旅館業であれば食事や温泉、宿の空間など、お客さまが違いとして認識しやすいハード面には頑張ってお金をかけます。ですが逆にいうと、そういう経営投資は他社も当たり前に行うところなので、差異化がとても難しい。 今回のうぶやのブランディングの成功の要因は、そうしたハードではなく、他社があまり行わないソフト面への投資を徹底的にやりきった外川さんの差異化戦略にあります。 スタッフのみなさんがコツコツと育てた「祝い」という独自のサービスをしっかりデザインで作り込み、他とは明らかに違うという状態をつくる。 そしてそうしたデザインが表面的な一過性のものであると長続きしなくなるので、「祝い」を経営戦略の根幹において差異化されたサービスをつくりきる。さらにはその「祝い」は顧客だけでなくインナーブランディングとして、採用や教育にも一貫性をもたせる。 ここまでやりきったからこそ、うぶやは他の旅館とは違う状態に生まれ変わりました。 このような差異化戦略は言うのは簡単ですが、やりきるのは非常に難しい。なぜならやるべき施策のほとんどは、業界の当たり前に反したものになるからです。 差異化戦略は外川さんのように経営者自身が腹をくくり、信念をもって徹底的にやりきることこそが最大の成功の秘訣になります。 ブランディングを考えられている読者のみなさんも、まずは他とは違う自分たちの本当の良さをあらためて探してみてください。そして、もしそれがみつかったら勇気を持ってやりきってみてください。 経営者の信念こそがブランドをつくり出すのです。