目次

  1. 父から1本の電話「直接話をしたい」
  2. 父の急死による継業 若手社員が支えに
  3. 勝負をかけた商品開発
  4. いなりと同時にがんもどきに注力
  5. 今後は海外を積極的に狙っていきたい

 富岡食品は1926年に町の納豆店として創業しました。戦後になると大豆の加工食品である豆腐の製造を開始し、高度経済成長期には地元のスーパーへと販路を拡大。さらに、油揚げを開発し、同業者のOEM製品も手がけるようになりました。

豆腐や納豆を作っていた昭和のころの富岡食品
豆腐や納豆を作っていた昭和のころの富岡食品

 5代目となる冨岡宏臣さんは、会社が拡大を始める1975年に生まれました。長男の冨岡さんは、父・守さんから「家業を継いで欲しい」と言われたことはありませんでしたが、受け継いで欲しいという雰囲気を感じ、後々に家業を継ぐことを意識するようになります。大学卒業後に長野県の食品メーカーへ就職。製造と営業の仕事に携わり、社会人としての基礎を学びます。

 後を継ぐことを決めたのは25歳の時でした。長野県の食品メーカーで働いていた冨岡さんに父親の守さんから『直接話をしたい』と電話が届いたのです。

 「電話で詳細は話しませんでしたが、深刻な雰囲気だったことを覚えています。それから当時住んでいた長野県のアパートまで父と母が来て、父から『国指定の難病を患ったからゆくゆくは会社を継いで欲しい』と相談をされたんです。脊髄小脳変性症という徐々に身体が動かなくなる神経の病気です。真剣に会社のことを考えて、後を継ごうと覚悟を決めました」

 2000年に富岡食品へ戻った冨岡さんは、製造の部署へと配属になります。食品メーカーの根本となる製品の作り方や製品のラインナップについて学び、30歳で部長職に就きました。

現在の富岡食品の生産ライン
現在の富岡食品の生産ライン

 原価などの生産に関する数値を見るようになりましたが、33歳の時に先代の社長・守さんが亡くなります。社長を継いだ冨岡さんは、財務状況を見て、予想以上に会社の経営がギリギリだったことを理解しました。

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