鮎釣りのプロから転身
太平洋を見下ろす高台にある八丈ビューホテルは1976年、為朝ホテルとして開業しました。3年後に不動産業の東南商事がホテルを買収し、現在の屋号となります。客室数は47部屋、プールも兼ね備えた眺望が自慢のリゾートホテルで、従業員26人で運営しています。
八丈富士を背にした高台にある八丈ビューホテル
1999年にホテルの2代目社長が急逝。ホテルの会長が、親交があった宮代さんの父で不動産業を営んでいた昌三さんに継承を打診しました。それまで昌三さんは八丈島を訪れたことがありませんでしたが、クルーザー乗りである彼にとって、当時の所有クルーザーで行ける最南の地であった八丈島は憧れの場所だったと言います。
当時25歳だった宮代さんは、鮎釣りのプロとして活動する傍ら、シーズンオフに東京・池袋のホテルメトロポリタンでマネジャーのアシスタントを務めていました。そんなとき、父から運営を頼まれたのです。
「ホテルの継承は重責で、収益もそれほど見込めず、正直前向きではありませんでした。しかし、自由に進路を選ばせてくれた親への感謝から、引き受けることにしました」
宮代さんは八丈島にわたって3カ月間、運営状況を把握し、事業継続が可能かを判断することにしたのです。
春に咲くフリージアと八丈富士
不透明な経営状態を改革
最初の壁は、不透明な経営状態でした。社長が不在で、おかみと社員のみで運営し、体制も経理もあいまいで、50人〜60人の従業員を取りまとめるのに苦労しました。
それでも、八丈島があこがれの土地だった父の存在もあり、事業を受け継ぐことを決めました。
ロビーをリフォームし、新たに作ったギフトショップ
まずは約1億5千万円をかけて、古い観光旅館のようなたたずまいだったロビーをリフォームしました。2000年の事業継承時の負債は、5億円に膨らんだといいます。
ホテルは父との共同経営で始まりました。銀行出身の知人を支配人に招いて、資金繰りや対外活動を任せ、宮代さんは副支配人として内部改革に力を注ぎます。
従業員教育と業務の集約化
前体制との約束で、従業員はそのまま引き継いだため、全員のスキルを高める必要がありました。大手ホテル出身の宮代さんが、あいさつの仕方から宿泊客への対応まで指導したといいます。2003年には従業員は2割少ない40人ほどになりました。
「少数精鋭が理想的でもあったので、自分のやり方に合う人を探す必要がありました。前体制に比べると、厳しい指導だったと思います。私が大手ホテルで学んだ言葉遣いや立ち振る舞いなど、おもてなしの基本となる部分を徹底的に教え込み、サービスレベルの改善を行いました」
一方、財務や総務、営業などの機能は、父が管理する池袋のビルの一室を借り、そこに集約して効率化を図ります。そして2003年、宮代さんが支配人に就任しました。
食材の買い付けや修理の対応など、ホテル運営は島民の働きで支えられています。
「対外的なことはすべて前の支配人に任せていたため、一からのスタートでした。島との信頼関係を築くには、地域の行事やしきたりを尊重するなど、仕事以外の活動も重要です」
前の経営体制が良好な関係を築いていたこともあり、島民は冠婚葬祭や宴会などで、ホテルを利用していました。宮代さんはそうした関係をさらに強固にするため、地域行事のみならず、防犯や交通安全活動にも積極的に関わりました。
八丈島は五つの地域に分かれ、方言も異なります。宮代さんもなじむのに5年ほどかかったそうですが、毎回各地の会合に顔を出し、少しずつ信頼を得ていきました。
大型ホテル廃業で危機感
八丈ビューホテルの経営は安定してきましたが、島内の観光業には陰りが見え始めます。
三つの大型ホテルが次々と廃業し、羽田空港からの航空機も減便。その影響で、宮代さんが移住したころは約12万人だった来島者数も、2010年は8万人に落ち込みました。
大型ホテルが減れば、旅行会社も積極的にツアーを組めなくなります。
「八丈島は夏の3カ月間は人が集まりますが、それ以外は団体旅行に頼らなければいけません。しかし、団体旅行は価格が安くなりがちです。通年で観光客を集めるには、町の観光事業を活性化させることが不可欠でした」
危機感を覚えた宮代さんは2010年、八丈島観光協会の会長選挙に立候補。島外者で、当時35歳という若さでしたが、当選を果たしました。
島の観光協会長として進めるPR
八丈島パブリックロードレースに参加する宿泊者を応援する宮代さん
会長になった宮代さんは、協会の運営を任意団体から一般社団法人にシフトしました。法人格を得ることで運営の透明化を図るとともに、協会が自走しやすくしたのです。
宮代さんは週に3~4回は町長室に通い、町のサポートをお願いし続けたといいます。
「鮎釣りのプロをしてた頃のツテを使って、メディアの受け入れによる島のPRなどを地道に行いました。協会に人を雇用することもできるようになりました」
宮代さんが3年間会長を務めた八丈島観光協会(筆者撮影)
また、宮代さんは、2013年に新たに発足した全島による広域観光連携組織「東京諸島観光連盟」の立ち上げに携わりました。島の課題や悩みの共有・解決や広域的な広告活動をするため、連盟の副会長を務め、伊豆諸島・小笠原諸島の有人11島の結束に尽力しました。
このように3年間、宮代さんが会長を務める間の地道な種まきが実を結び、2011年には7万8千人にまで落ち込んだ来島者数が、2019年には9万人を超えるまでに回復しました。
しかし、コロナ禍で、島の観光とホテル経営は再び厳しい局面を迎えます。
飲食店を守るために夕食を中止
八丈ビューホテルもコロナ禍の2020年、営業日数の3分の2を休業し、売り上げが立たない日々が続き、「廃業も頭をよぎりました」。
しかし、コロナ禍の直後、島の飲食店4〜5軒から宮代さんに「店を買ってほしい」という相談が寄せられたのです。
「涙ながらに話す飲食店の皆さんを見たことで、ホテルを存続させることが、飲食店やその他の事業者の未来につながるかもしれないと感じました」
宮代さんは夕食の提供中止という、観光ホテルとしては大胆な決断を下します。以前から考えていた「泊食分離」を実行に移したのです。
「島の将来を考えた時、一つでも多くの店が町に光を灯すことが大事だと考えました。ホテルのお客さまに町の飲食店を利用していただき、島を活気づけることが、ホテルの客単価のアップよりも、町や観光の繁栄につながると考えました」
また、泊食分離に伴い、調理担当のスタッフには他の部門へ異動してもらったり、転職先を紹介したりすることで、人件費が削減され、食材の仕入れも35%から25%までカットすることができました。
食の提供中止により2食付きを条件とする団体客数は減ったものの、また、昨今の価格高騰や宿泊業界の宿泊料金の見直しの流れで適正な価格を出せるようになったこともあり、利益率は上がっています。
「コロナ禍が落ち着いた今では、周辺の飲食店から『ビューホテルの夕食を再開してくれないと体がもたないよ』という言葉をいただくほど回復しているようです。夕食の提供を止めたことで、新規オープンの飲食店まで増え、町が少しでも盛り返したことをうれしく思います」
補助金活用で推し進めた改善策
雇用調整助成金を活用して従業員の給料は払い続けましたが、コロナの波が何度も押し寄せたため、従業員を一時休ませ、宮代さん1人でフロントに立つ時期が続きました。
「時間があるから」と、若干の資金があるうちにホテルのリニューアルを進めます。
バリアフリー化されたため、幅広い客層を迎えられるように
東京都宿泊施設バリアフリー化支援補助金を活用。エレベーターの新設、さらには年季を感じる和室だった本館客室の計20部屋を完全リニューアル。バスタブを無くすなどして段差を取り除いた「アクセシブルルーム」に改修しました。
コロナ禍では大型観光施設などから外国人の大量解雇が発生。それらの影響もあり八丈ビューホテルホテルにもたくさんの応募がありました。回復期に向かうと次は業界全体の人手不足が深刻化すると考え、数人を採用しました。実際に働いてもらうと能力が高く、今では現地従業員21人のうち11人が外国人となりました。
外国人従業員の日本語能力は高いですが、予約受付などの電話対応に不安があったといいます。宮代さんもコロナ禍で1人でフロントに立った時、接客と電話対応を両立させる難しさを感じました。
そこで、少数精鋭で回せるよう運営フローを見直します。フロントの24時間対応は6時30分から深夜24時とし、さらにホテルへかかる全ての電話対応をIVR(音声自動応答)を活用し、平日の日中のみ本社のオペレーターが対応する方針に切り替えました。
2023年には都の「観光事業者のデジタル化促進事業補助金」を活用し、予約システムの入れ替えや電子キー導入などのスマート化も実現しました。
夕食の提供廃止に始まった業務効率化が奏功し、コロナ禍前と比べて、総人件費を30%強削減できました。
宮代さんは別の補助金を活用し、冷たい地下水を温水にするために、太陽光の熱で温める太陽熱利用システムを作りました。ホテルに隣接する土地を造成し70枚の集熱器を設置、ホテルの給湯負荷の3.5~5割程度を太陽熱がカバーします。
さらにホテル屋上の全面に220枚のソーラーパネルを敷き、太陽光発電と蓄電池の活用によって25%以上の電気代とCO2の削減ができました。
自然エネルギーを生み出している70枚のパネル
また、事業開始時に父の昌三さんのアイデアで約1200万円をかけて井戸を掘っていたこともあり、毎月かかる光熱水道費を抑えることができました。
EVのシェアリングで課題解決
八丈ビューホテルは2023年から、スマートフォン一つで貸し借りができるカーシェアサービスの提供を始めました。日産自動車、EV導入支援などを手がけるテック企業「REXEV」などとの共同事業です。
環境負荷の低減に取り組んでいるEVのシェアリング
自然豊かな八丈島は環境保護の先進地である一方、人手不足や燃料費高騰などでタクシーやレンタカーが不足しています。
この事業は、日産自動車のEVを島内に5台導入して観光客にシェアしてもらうことで、環境と観光、両方の課題に向き合うものです。
八丈ビューホテルが充電設備を、REXEVはスマート充電器と連携したカーシェアシステムを提供しました。このシステムやレンタカーは、ホテルのソーラーパネルで作った電気で動かしています。
「車を借りる時間はお客さまによって異なるため、AIで車と人をマッチングさせ、充電・放電の順番やタイミングをデマンド管理する機能の実証実験となっています」
カーシェアを本格的に始めるには約3千万円が必要ですが、東京都の補助金「EV蓄電池アグリケーションによる大規模VPP事業」を活用したため、自己負担は計約1千万円に抑えました。その自己負担分の1千万円は八丈ビューホテルステーションを運営するEVカーシェアサービスの会社であり、宮代さんの妻が運営する会社が負担しています。
220円/15分〜で貸し出しを開始したところ、サステナブル観光の提言を可能にし、オフシーズン時のビジネス利用リピート客も増え、集客にもつながったといいます。
若者が自信を持てる島に
コロナ禍以降、ホテルのリフォーム、フロントシステム・電子キーの導入や電話対応のスマート化、自然エネルギーの活用などにかかった費用は約6.5億円にのぼります。ただ、補助金を効果的に活用したことで、自己負担は2分の1ほどに抑えられました。
承継時は約3万人だった年間宿泊者数は、団体客の減少で約2万人になりました。それでも、運営のスリム化やランニングコストの削減が奏功し、利益率は上がりました。
夏季のみオープンするイタリアンレストラン
宮代さんの視点は、島民にも向けられています。「より地域になじみながら、島全体をいかに明るくできるかが課題です」
2021年から、都内の老舗有名イタリア料理店に協力を依頼し、プールの開放期間中にBBQガーデンレストランをオープンしました。島民の利用も増えています。
また、館内リフォームの際は従業員宿舎も同時にリフォームし、福利厚生向上にも取り組みました。
宮代さんは以前、ホテルのアルバイト学生から、「上京して恋人ができた際に、田舎だと思われるのが嫌で八丈島出身と言えず、渋谷区出身と言ってしまった」という話を聞いたといいます。
若者が自信を持って出身地を名乗れないのは、大人に責任があると宮代さんは感じています。「都会に行くと地元との違いを感じるのは仕方ありません。ただ、例えば教育に関しては、オンラインの普及で本島との格差を縮めることも可能な時代です」
宮代さんは島に移住したネット関連会社の会長と、島の子どもたちの教育の選択肢を増やす方法を話し合っています。「子どもたちが胸を張って八丈島出身と言えるようにしたいです」
島民が残れば、島に前向きなイメージが生まれ、移住や定住にもつながります。それは、観光業の発展にもプラスに働きます。
「私も移住者だからこそ、島内と島外の良さを上手にブレンドできます。土木から飲食まで、あらゆる産業の潤滑油である観光業を絶やすことは、島の存続を揺るがすと言っても過言ではありません。次世代にこの思いを引き継ぐために、島に適度な風を送り続けていきたいです」