目次

  1. 鮎釣りのプロから転身
  2. 不透明な経営状態を改革
  3. 従業員教育と業務の集約化
  4. 大型ホテル廃業で危機感
  5. 島の観光協会長として進めるPR
  6. 飲食店を守るために夕食を中止
  7. 補助金活用で推し進めた改善策
  8. EVのシェアリングで課題解決
  9. 若者が自信を持てる島に

 太平洋を見下ろす高台にある八丈ビューホテルは1976年、為朝ホテルとして開業しました。3年後に不動産業の東南商事がホテルを買収し、現在の屋号となります。客室数は47部屋、プールも兼ね備えた眺望が自慢のリゾートホテルで、従業員26人で運営しています。

八丈富士を背にした高台にある八丈ビューホテル
八丈富士を背にした高台にある八丈ビューホテル

 1999年にホテルの2代目社長が急逝。ホテルの会長が、親交があった宮代さんの父で不動産業を営んでいた昌三さんに継承を打診しました。それまで昌三さんは八丈島を訪れたことがありませんでしたが、クルーザー乗りである彼にとって、当時の所有クルーザーで行ける最南の地であった八丈島は憧れの場所だったと言います。

 当時25歳だった宮代さんは、鮎釣りのプロとして活動する傍ら、シーズンオフに東京・池袋のホテルメトロポリタンでマネジャーのアシスタントを務めていました。そんなとき、父から運営を頼まれたのです。

 「ホテルの継承は重責で、収益もそれほど見込めず、正直前向きではありませんでした。しかし、自由に進路を選ばせてくれた親への感謝から、引き受けることにしました」

 宮代さんは八丈島にわたって3カ月間、運営状況を把握し、事業継続が可能かを判断することにしたのです。

春に咲くフリージアと八丈富士
春に咲くフリージアと八丈富士

 最初の壁は、不透明な経営状態でした。社長が不在で、おかみと社員のみで運営し、体制も経理もあいまいで、50人〜60人の従業員を取りまとめるのに苦労しました。

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