目次

  1. 水処理事業を礎に父親が創業
  2. 父親の退陣と同時に代表として入社
  3. 工事部門を立ち上げV字回復を達成
  4. 順調だと思っていたら赤字だった
  5. 父の悲しそうな表情・従業員の「がんばろう」が転機
  6. 1年ほどかけて企業文化を策定
  7. 価値観に共有する人材が入社 既存社員も成長
  8. 内ではなく未来を見ることが大事

 セーバー技研は中村さんの父親である中村和則さんが、1985年に設立しました。当時、水処理に関する薬品などを扱っていた会社に勤めていた和則さんは、これからは空調のメンテナンス事業が伸びると、顧客先の大手電機メーカーから声をかけられたのが、きっかけでした。

 会社設立後は、水処理設備だけでなく空調、電気、機械といった設備のメンテナンス需要も増え、事業を広げていきます。大手電機メーカーが顧客という安定して受注先もあったことで、事業は拡大。従業員数数十人、売上高数億円規模の会社に成長します。

 幼いころは自宅と会社が同じ敷地内にあったこともあり、「社員の方と遊んだり、社員旅行に行ったりしたことを覚えています」と、中村さんは振り返ります。

 ただ、どのような仕事をしていたのかは大学生になってから、家業でアルバイトをするまで知りませんでした。大学卒業後は大手住宅設備メーカーに入社し、法人営業を担当します。

子どものころの中村さんも写っている社員のみなさん
子どものころの中村さんも写っている社員のみなさん

 大手電機メーカーという安定した顧客はいましたが、取引先が限られていたため、和則さんはリスクヘッジを考え、他の事業にも取り組んでいきました。中村さんが社会人になってから3年ほどした後、そのうちの一社の経営を任されることになります。

 数年すると、事業拡大で採用した従業員の人件費がかさみ、セーバー技研の業績は悪化。事業規模を小さくするのに伴い、人員を削減するからには代表も責任を取り退陣する、中村さんが代わりに代表になってほしいと、和則さんから相談されます。

 借金は約6億円ありました。「当時は経営にそこまで詳しくなかったこと、若いこともあり、仕事自体はありましたから従業員を適切な人数にすれば黒字化すると考えていました」と、中村さんは話します。

 しかし、そう簡単な話ではありませんでした。いくらトップも退陣したからとはいえ、会社を去っていく若者もいました。

 このときは、創業のころから父親とともに会社を大きくしてきたベテラン従業員の助けやがんばりのおかげで、少人数ながらも何とか仕事を回していくことができ、結果として以前よりも業績が良くなりました。

 しかし、大手顧客に依存している体制は変わりません。そこで中村さんは、社内に新事業を設ける形で解決に取り組みます。メンテナンス事業との関連もある、利益率の高い工事部門の設立です。

 この事業に詳しい大学時代の先輩を招き入れ、自らも積極的にテレアポなどにも取り組み、工事事業を依頼してもらおうと新規顧客を懸命に開拓。3年ほどすると軌道に乗り出し、思惑どおり、売上高は父親のときと比べてほぼ倍の15億円ほどまでに伸びます。

中村拓郎さん

 4年ほど前、さらに業容を拡大しようと意気込んでいた矢先、中村さんは頭でハンマーを殴られるような事態に直面します。確かに売上は伸びており、そのことは中村さんもPL(損益計算書)を定期的にチェックしており、肌感だけでなく定量的にも確認済みでした。

 しかし、毎年赤字がかさんでおり、補填のために銀行から借り入れをしている状態だったのです。借入金額は4億円ほどにまで積み上がっており、債務超過の状態に陥っていました。

 工事部門の急激な成長に伴い、原価管理ができていなかったこと。PLはチェックしていましたがBS(貸借対照表)や預金口座、キャッシュフローなどは経理担当者に任せるなど、組織管理が脆弱であったことなどによるものでした。

 かつての借金も返しきれていない状態だったこともあり、会社を立ち直すには再び事業規模を現状に最適化する必要がありました。

 再び人員整理も必要となり、古参のメンテナンス部門のメンバーからは、怒りの声があがりました。「完全に孤立状態となりました。会社は畳むか、誰かに売却しようとも考えました」と、中村さんは父親に相談します。

 すると父親は悲しそうな表情を浮かべます。その表情を見たこと、また、罵声ではなく、頑張ろうと声をかけてくれた従業員の言葉などから、中村さんの気持ちに変化が生まれます。

 「いま思えば、それまでの私は筆頭株主のような感覚で、企業オーナー、真の経営者とは言えなかったように思います。覚悟がなかった、とも言えるでしょうね。でも、これからは起業家マインドを持った真の経営者として、自分の会社や事業を経営していこう。命をかけて取り組んでいこうとのマインドに変わりました」

 入社当初は借金を返すこと、工事部門を立ち上げてからは売上を高め、少しでも多くの利益を出すことが経営者の役割だと思っていた中村さんでしたが、「業績は手段であり、目的をしっかりと置くことに経営の軸が変わりました」と、続けます。

 中村さんの言う「目的」とは、何のために仕事をするのか、そのために、会社はどうあるべきか、といった内容です。部門のリーダークラスや経営層と一緒になり、1年ほどかけて合宿も開いて「全ての人が未来に希望を持てる社会の実現」といったPurpose(目的)をはじめとする、Mission、Vision、Valueなどをつくっていきます。

セーバー技研の理念の四大要素
セーバー技研の理念の四大要素

 Purposeを実現するための具体的な事業やサービスもつくっていきます。企業の業績改善とともにカーボンニュートラルにも貢献するエネルギーマネジメント事業、電気を購入すると社会課題解決に貢献しているNPO団体に一定額が寄付されるENERGY GIFTなどです。

 福利厚生の充実はもちろん、下請け業務からの脱却を掲げ、建築や建設工事全般に事業を拡大するなど、設備工事業の社会的イメージを高めるといった、社内的な取り組みも行っています。さらに、エネルギーマネジメント事業に関連するコンサルタント的なポジションで顧客と接しサービスを提供できる、人材の採用ならびに育成などにも取り組んでいます。

 適正人材の採用・育成は、先ほどのPurposeを活用しています。面接時の共感はもちろん、8つあるValueが社員一人ひとりの評価シートの項目にそのままなっているからです。特に若手に関しては8つのValueが主な評価指標であり、リーダークラスは若手との面談でもそのことをしっかりと伝えています。

セーバー技研が掲げる8VALUE
セーバー技研が掲げる8VALUE

 Purposeなどを明確に打ち出したことで、企業文化に合った人材が多く集まってくるようになりました。既存社員もValueなどを参考に自ら積極的に動く社員が増え、特にリーダークラスは「私が何かを言うようなことは今ではほとんどありません。みな、自分たちで意思決定して動いています」と、中村さんは成果を口にします。

 定量的な成果も出ています。原価管理を徹底した結果、利益率が改善。工事部門が最も高い利益率を出すように変わり、売上高約13億円に対し約1億円と、以前よりもアップ。債務超過も解消しました。

 現在はPurposeを浸透しているフェーズであり、設備関連の事業領域に注力していますが、大切なことはPurposeの実現です。

 いずれは他の分野の事業にも進出していく予定です。実際「2050年 VISION」として、社会課題を解決する100の事業の創生ならびに、実現に向けてのエコシステムの構築、仲間やパートナーとの協業を掲げています。

セーバー技研の2050年 VISION。2050年までに未来に残すべき社会課題解決事業を100創り、関係パートナー、関係人口を増やし、信頼価値1000億を目指します。
セーバー技研の2050年 VISION。2050年までに未来に残すべき社会課題解決事業を100創り、関係パートナー、関係人口を増やし、信頼価値1000億を目指します。

 このようなPurposeをベースとした今後のVisionを実現していくに際し、中村さんは改めて、経営者として大切していることを次のように話します。

 「私自身がそうだったのでよく分かりますが、特に後継ぎ経営者は内向き思考になりがちです。でも経営者に求められることは、経営者自身が未来に希望を持ち、ワクワクしていることだと思うんです。そして、ワクワクする未来の実現には、外に出て多くの人と出会い、現在の環境を変えていくことが大事だと思います。また、そのような行動が自身の経営者としての視座を高め、会社や従業員により多くのワクワクを提供できるのだとも考えています」