宅配する「牛乳屋」から体験も提供へ 木村ミルクプラント4代目の事業展開

福島県いわき市の「木村ミルクプラント株式会社」は、100年以上にわたり地域に根ざす老舗の牛乳メーカーです。牛乳の宅配を主力事業としてきましたが、東日本大震災で契約がすべて解除。一時はゼロからの再出発に直面しました。4代目・木村俊太郎さん(30)は、「時代が変わっても、牛乳の価値は変わらない」と信じ、新たな届け方を模索しています。さまざまなアプローチで地域と牛乳をつなげ、目指すのは、食卓の真ん中に牛乳がある風景です。
福島県いわき市の「木村ミルクプラント株式会社」は、100年以上にわたり地域に根ざす老舗の牛乳メーカーです。牛乳の宅配を主力事業としてきましたが、東日本大震災で契約がすべて解除。一時はゼロからの再出発に直面しました。4代目・木村俊太郎さん(30)は、「時代が変わっても、牛乳の価値は変わらない」と信じ、新たな届け方を模索しています。さまざまなアプローチで地域と牛乳をつなげ、目指すのは、食卓の真ん中に牛乳がある風景です。
目次
木村ミルクプラント株式会社は、1918年(大正8年)に創業した乳製品メーカーです。地元では「木村牛乳」の愛称で親しまれ、地域に根ざした企業として歩み続けてきました。
はじまりは曽祖父の代にさかのぼります。創業当時から現在の場所に店を構え、農業のかたわら8頭の牛を飼って牛乳の販売をしたことが始まりです。
木村ミルクプラントの牛乳は、「パスチャライズ製法」と呼ばれる低温長時間殺菌でつくられています。85度で15分間、生乳の風味や栄養を損なわないようにじっくりと加熱することで余分な水分がほどよく抜け、牛乳本来の旨味がぎゅっと凝縮されるのが特徴です。
市販牛乳の多くは、120度で1〜3秒ほど一気に加熱する「超高温瞬間殺菌」によってつくられていて、この製法を採用しているメーカーは全国でもごくわずか。国内流通量は1割にも達しません。一口飲めば、その違いは歴然。
ほのかな甘みとコク、そしてすっきりとした後味が際立ちます。木村ミルクプラントでは「おいしさを最大限に引き出すために、手間は惜しまない」という信念のもと、創業から変わらぬものづくりを続けてきました。
4代目の木村俊太郎さんは、保育園から小・中学校までが自宅兼工場から歩いてすぐという環境で育ち、家業を継ぐことがごく自然なことだと感じながら成長しました。
木村ミルクプラントでは、創業から瓶詰め牛乳の宅配を事業の柱としてきました。最盛期には市内で約15,000世帯に宅配し、「いわきの牛乳といえば木村牛乳」と言われるほど地域に根付いた存在でした。
しかし、自家用車の普及やスーパーマーケット、コンビニエンスストアの台頭により、家庭へ配達するというスタイルは徐々に縮小。さらに追い打ちをかけたのが、2011年の東日本大震災です。
原発事故に伴う避難や人口流出で誰がどこにいるかを把握できないため、やむを得ずすべての契約を解除。多くの顧客を失い、宅配事業はゼロから再出発を余儀なくされました。
「父が積み上げてきたものが一瞬でなくなってしまうのを目の当たりにして。このまま家業が終わってしまうかもしれないという危機感が強く心に残りました」。高校1年生という多感な時期に震災を経験した俊太郎さんは、業を継ぐことを強く意識するようになり、大学では経営学を専攻しました。
父である現社長・謹一郎さんは、逆境の中にあっても顧客一人ひとりに対して一件一件電話をして丁寧に声をかけていきました。
「お変わりありませんか?」「また牛乳をお届けしても大丈夫でしょうか?」地道な対話の積み重ねが、やがて顧客との信頼を再構築し、ゼロになった宅配契約は2500件まで回復しました。
同時に、新商品の開発にも着手しました。その代表的な例が「のむヨーグルト・命の雫」です。パスチャライズ製法で仕上げた牛乳に5種類の乳酸菌を配合したヨーグルトで、業界で初めてスパウト(注ぎ口)付き容器を採用しました。
冷蔵庫のドアポケットに収納しやすく、衛生的で鮮度も長持ちする工夫が施されたこの商品は、全国のスーパーマーケット関係者が注目する「スーパーマーケット・トレードショー2013」で、“買いたいフード30選”にも選ばれました。
大学卒業後に食品卸会社へ就職が内定していた俊太郎さんは、家業に戻る決断を早めます。ベテラン製造スタッフの退職や新商品の立ち上げなど、事業が大きな転換期を迎えていたことがきっかけです。何より、時間に対する強い危機感があったといいます。
「家族や周りの人たちは『外で経験を積んでから戻ったほうがいい』と助言してくれました。特に姉にはめちゃくちゃ怒られましたね。でも、私が目指す後継のかたちは、経営を引き継ぐことだけではなかったんです。木村ミルクプラントの製造現場は、熟練の職人技によって支えられています。それは、現場に入って経験を重ねなければ身につけらません。10年後に戻ってゼロから学ぶには時間が足りないと感じたんです」
俊太郎さんは父の年齢について意識していました。自身が生まれた当時、父はすでに40代後半。事業を引き継ぐことを見据え、父が元気なうちに製造・営業・経営のすべてを経験し、安心してバトンを受け取る体制を整えておきたいと考えたのです。
2017年、家業に入り製造部門に配属された俊太郎さんが目を向けたのが「品質と衛生の仕組み」が十分に整備されていないという課題でした。
「製造現場は、長年の勘と経験に支えられてきました。ただその一方で、不良が発生しても原因の特定が難しいという問題を抱えていたんです」
当時の現場ではマニュアルや記録が整備されておらず、トラブルが発生しても「誰が、いつ、何をしたのか」が把握できない状況でした。そこで俊太郎さんは、手書きで管理していた製造記録をデジタル化し、情報の可視化を図るとともに不十分だった衛生チェックリストの整備にも着手しました。
特定の熟練者に頼らず、誰が担当しても一定の品質を保てるよう作業手順のマニュアル化にも取り組み、顧客や取引先から信頼される体制の構築を目指しました。
並行して着手したのが、パッケージリニューアルです。
当時の瓶詰め牛乳は昔ながらの風情はあるものの、デザインにインパクトが乏しいと感じていました。さらに、輸送面でも瓶容器は広域流通に対応できないという課題がありました。割れにくい瓶や軽量化された瓶を試すなど工夫を重ねてはいましたが、思うような成果には結びついていませんでした。
「どうすれば、うちの商品を広く流通させることができるのか……」
俊太郎さんは、「今の時代に合ったパッケージにしたい」と社内に提案するも、当時は日々の業務や課題への対応に追われていたこともあり「そんなことをやってる場合じゃない」と受け入れてもらえませんでした。
そこで、商工会などを訪ねて相談を重ねました。そうしたなかで、東北経済産業局が主催する「TOHOKUデザイン創造・活用支援事業」に応募すると、無事に企画が採択。複数のデザイナーと打ち合わせを重ねながら、商品のコンセプトを一つひとつ言語化していきました。
「昔はどの家庭の冷蔵庫にもうちの牛乳が入っているのが当たり前で、暮らしの中に溶け込んだ存在でした。だからこそもう一度、“あって当たり前”と思ってもらえるような商品にしたいと考えました。冷蔵庫の扉を開けたらパッと目に入って気持ちが明るくなるような、つい手に取りたくなるパッケージを目指しました」
折しも、リニューアルは創業100年という節目の年。リブランディングの成果として販路が広がり、広域流通にも対応可能になりました。地元のスーパーでの取り扱いが始まったほか、遠方では鹿児島のスーパーや生協でも取り扱われるなど、着実に流通の幅を広げています。
俊太郎さんは、従来の宅配にとどまらず、さまざまな形で木村ミルクプラントの商品に触れてもらえる機会を広げようと考えました。
そのひとつが、直売所の強化です。もともと本社オフィスの一角に冷蔵庫を置いてひっそりと直売を行っており、パソコンのキーボード音や電話の着信音が響くなか、「ここで合っているのかな?」とお客さんが戸惑いながら恐る恐る足を踏み入れるような場所でした。口コミだけで広まった知る人ぞ知る存在で、近所の人たちが訪れる穴場的なスポットでもありました。
「まだ存在を知られていないだけで、ちゃんと伝えればお客さんは来てくれるはず」と考えた俊太郎さんは、X(旧Twitter)の運用に取り組み始めました。発信の手応えを強く実感したのが、創業100周年を機に開催した「お客様感謝デー」(現在の木村牛乳祭)です。
2800円相当の商品を詰め込んだ採算度外視の「1000円福袋」の販売を知らせると、即完売。事務所の玄関先で行われた即売会にお客さんが次々と訪れました。
Xでの発信も相まって「お客様感謝デー」は回を重ねるごとに来場者が増え続け、開催場所も敷地内から近隣スペースへと次第に拡大していきました。直近の開催では、2時間で約780人が来場し、売上は140万円を記録。今や、単なる即売会にとどまらず「木村牛乳を知ってもらう」「味わってもらう」ための交流の場として、ブランドと地域をつなぐ大切な役割を果たしています。
木村ミルクプラントは、2024年10月、事務所1階を改装し、カフェと工場直売ショップを併設した『Ca+ Pasteurized(シーエープラス パスチャライズ)』をオープンしました。
宅配を利用しないお客さまに「いわき市の牛乳屋さん」として木村ミルクプラントを知ってもらうにはどうすればいいか。そのひとつの答えが「直接お客さまをお迎えし、木村牛乳のおいしさを味わってもらえる場所」をつくることだったのです。
コンセプトは「カルシウムが摂れるカフェ」。牛乳の魅力を存分に活かしたメニューを提供し、木村ミルクプラントのブランドに触れてもらうための大切な接点にもなっています。
農畜産業振興機構によると、牛乳消費量は1996年をピークに、一転して減少傾向で推移し、2013年にはピーク時に比べ3割減少の350万キロリットルと、17年間で150万キロリットル減少しました。しかし、俊太郎さんは「牛乳はゼロにはならないし、最後まで諦めずに提供できる会社でありたい」と語ります。
「売上は、まだ震災前の水準には戻っていません。けれど、この5年は着実に毎年伸び続けています。私は、牛乳の底力を伝えていきたいと思っています。『昔、おばあちゃんにもらって飲んでいました』という声から、今の世代にも同じように親しまれる牛乳であるために、100年変わらずおいしいこの味をどう届け続けるかを考えることが自分の役目です。『牛乳はどこで買っても同じ』と思われがちですが、きちんとつくって丁寧に伝えれば、その違いはきっと届くはずです」
変わりゆく時代の中で、変わらない牛乳の価値をどう届けるか。俊太郎さんは、信頼される牛乳づくりという原点をぶらさずに、着実に歩みを進めています。
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