身近な存在だった家業

――小学生の頃にお父さんの勉さんが「ビートソニック」を立ち上げられたんですね。家業はどんな存在だったのでしょうか。

 親父は40歳ぐらいのときにメーカーをやめて、ビートソニックを立ち上げました。

 実家の1階が会社で、奥が工場でした。車用品を作っていて、月曜から金曜までは、数人の社員で組み立てをやって、土日になるとそれを売りにいきます。

 父が夜遅く帰ってくると「今日は何台売れた」と話していて、母も経理・電話番としてずっと会社にいましたね。そんな感じで小中学校と育ちました。

――お父さんの仕事と家庭がかなり密接していたんですね。

 そうですね。10代の頃は、どんなものを作っているかまだ分からなかったですが、何かしら自分でお金を稼ぎ出しているんだな、というのはひしひしと感じていました。

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