目次

  1. 家業には入らず車の開発に
  2. トラックが流され、従業員を失う
  3. 奮闘する父を見て家業へ
  4. 大企業とのギャップに驚く
  5. 労働時間の管理を進める
  6. 荷主とも相談して業務改善
  7. 経営を引き継ぐ前に父が他界
  8. 管理職に経理を公開
  9. 就業規則の見直しにも着手
  10. 「働きやすい職場」に選定

 エアーポート物流は、先代の父・正浩さんが、トラックのディーラーを早期退職し、02年9月に創業しました。現在は、大手運送会社から主に食料品の配送を請け負い、スーパー、コンビニ、薬局の各店舗へ配送しています。

 従業員48人、トラックも48台を抱え、年商は4億2500万円にのぼります。同時に、父の代からトラックの整備を担う会社、今野車体(宮城県名取市)も営んでいます。

仙台空港の近くにあるエアーポート物流の社屋

 髙橋さんは父が創業した当時、大学受験を控えていました。車の整備の仕事を希望していましたが、父の意向を受けて、車の機械関連の勉強ができる東海大学に進学しました。

 「父はやりたいことをやっていくという認識でいたので、私も卒業後は自分の好きなことをやろうと思いました。当時は、会社を継ぐことは全く考えていませんでした」

 車の開発に興味を持った髙橋さんは07年、自動車部品メーカー大手のケーヒン(現・日立Astemo)に入社。最初は宮城県角田市で、下請けの中小メーカーの管理や工程改善、新入社員の研修などの仕事をしていました。

 その後、宇都宮市に転勤し、主に親会社のホンダの新型車に搭載する部品の開発プロジェクトに加わりました。その最中だった11年、東日本大震災が家業を襲いました。

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