目次

  1. 「若社長」とひやかされて
  2. 戻った時に役立つように・・・
  3. 最終面接で思い出した従業員の顔
  4. 「一生後悔する」と家業へ
  5. 大口取引先との納品停止に
  6. 交代を直訴して4代目に
  7. 全体会議で改革を宣言
  8. 服装のルールに折衷案はなし
  9. 地道な説得が実を結ぶ
  10. 「経営計画書」をルールブックに

 中尾食品工業は、中尾さんの曽祖父が「中尾商店」として創業。こんにゃくやところてんの製造販売を行い、成長を続けてきました。現在は18人の従業員を抱え、20年9月期の売上高は1億2400万円にのぼります。

 約3300平方メートルの敷地には、工場や事務所のほか、無人の直売所もあります。月1度は、こんにゃくの福袋や新鮮野菜などを販売する直売会も開き、地域住民に喜ばれています。

 中尾さんは「後継ぎであることは、特別視していませんでした」と話します。3代目の父からも、後を継ぐことについて何も言われませんでした。

 「就職するまでは工場の敷地内に自宅があったので、従業員さんの顔は知っていました。大型バスをチャーターした社員旅行に行ったこともあります。ひやかしで、『若社長』と言われながら育ちました」

 中尾さんが家業について意識したのは、高校1年生の時でした。数学の先生から「これから何をしたいかを決めていないと、勉強している意味が分からなくなるよ」と言われたことをきっかけに、自分を見つめ直したといいます。

 教壇の横にあった「13歳のハローワーク」という本を読んでいたとき、幼い頃「若社長」と呼ばれていたことを思い出しました。

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