商店2代目が老舗みそ店をM&A 従業員と打ち解けて進めた生産性改革
千葉県市原市の諏訪商店グループ2代目・諏訪寿一さん(50)は、千葉県産食材を使った土産や特産品をそろえた「房の駅」という店を県内外で展開しています。6年前、創業170年超の「小川屋味噌店」(千葉県東金市)をM&Aで傘下に収め、生産工程の無駄を省いて1年で黒字化。家業とのシナジーも進めて地域ビジネスの可能性を広げています。
千葉県市原市の諏訪商店グループ2代目・諏訪寿一さん(50)は、千葉県産食材を使った土産や特産品をそろえた「房の駅」という店を県内外で展開しています。6年前、創業170年超の「小川屋味噌店」(千葉県東金市)をM&Aで傘下に収め、生産工程の無駄を省いて1年で黒字化。家業とのシナジーも進めて地域ビジネスの可能性を広げています。
目次
「諏訪商店」は諏訪さんの父が1969年、観光土産の卸売業として創業しました。72年に株式会社化して、市原市に本社を置いています。
2002年から千葉県内を中心に小売店「房(ふさ)の駅」を開店。千葉県の特産品を使ったお菓子が人気で、クッキーの上にピーナツをのせた「ピーナツキング」や、さつまいもの生産から加工まで手がけた「妖精の干し芋」などが知られています。漬物など日常の食材も販売しています。
15年にホールディングス化し、現在は小川屋味噌店など7社で構成する諏訪商店グループとなっています。グループ全体の従業員数は約400人、年商は52億円を誇ります。
2代目の諏訪さんにとって家業は生活の一部でした。自宅の隣に会社があり、職場に遊びに行ったり倉庫でかくれんぼをしたりして育ちました。
継ぐのは当たり前と思っていた諏訪さんは、大学では経営学部で学びました。長期休みに家業でアルバイトをして、得意先企業を全て訪問したり、商品の分析を行ったりしていたそうです。
卒業後は東京の食品卸売会社で修業。社会人2年目で中小企業診断士試験に合格したことを機に、24歳で諏訪商店に入社しました。
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入社後は、千葉県君津市の観光土産店内の販売所長になりました。諏訪さんのほかは従業員が1〜2人で、レジ、販売、卸売り、配達と全ての業務をこなしました。
1999年、27歳で専務に昇進しましたが、専務としての業務は誰も教えてくれません。管理者養成学校に通うなどして心構えを学びました。
「あと3年で引退する」。先代の父が経営会議で急に宣言したのは、諏訪さんが28歳のときでした。今も理由は分からないそうですが、経営がそれほど順調ではない時期でした。
諏訪さんは「やっと俺の出番だ」と感じたといいます。
専務時代は先代と商品開発などで衝突することもありました。先代は感覚で仕事をすることにたけていましたが、諏訪さんは論理も大事にしていました。
たとえば、先代は「房の駅」を出店する際、「野菜直売所」という言葉を店名に入れることにこだわりました。
しかし、諏訪さんは観光土産店での経験などから、野菜ばかりでなく千葉県産にこだわった商品をアピールした方がいいと考えました。そこで房総の「房」の字を入れた「房の駅」という店名に決めたのです。
諏訪さんは32歳となった2003年、諏訪商店の2代目社長に就任。まず取りかかったのは、社内の整理整頓でした。いらない物があると業務効率が下がり、経費もかかります。捨てることで余計な資産や在庫をかかえず、業務効率化につながると考えました。
事務所の不用品に赤札を貼る「赤札運動」を徹底し、1カ月ほどで約20トンを処分しました。財務面も諏訪さん自身が全てチェックし、改善に努めました。
諏訪さんは専務時代から、観光土産の卸売業に限界を感じていました。観光土産店での小売りを経験したことから、「卸売りはお得意様を挟むので、必ずしも自分たち主導で販売できない」と実感していたのです。
諏訪さんは商品力はもちろん、売り場の陳列台、床、壁、天井などにも力を入れようとしました。
「房の駅」の1号店を市原市にオープンしたのは専務時代でした。千葉の食材を使った土産や名産品を直接販売し、「千葉銚子水揚げピリ辛いわし」などオリジナル商品の開発に力を入れています。主原料もなるべく千葉県産のものを扱うようにしました。
長年の取引先から「卸売りは小売りをやってはいけない」という声もあがりましたが、その後も店を増やし、22年現在、県内外に14店舗を展開しています。
積極策の裏には大ピンチもありました。11年3月の東日本大震災では千葉県内も津波の被害を受けて観光客が激減し、「諏訪商店」も震災直後の3月と4月は赤字となりました。
諏訪さんは「当時は従業員に賞与を1カ月分しか出せずにつらかった」と語ります。
それまでは一人ひとりの働きを評価し、それに応じて賞与を支給しましたが、売り上げが落ち込んだことで一律支給にせざるを得ませんでした。「評価をしてあげられず申し訳なかった」と振り返ります。
16年1月ごろ、諏訪さんは新たな課題を抱えていました。諏訪商店には商品を袋詰めするパッキング工場はありましたが、製造や加工用の自社工場も持ちたいと思ったのです。
そんな中、地元の銀行から同年4月、千葉県東金市にある「小川屋味噌店」のM&Aを持ちかけられました。同店は役員の高齢化や後継者不足のため、事業譲渡先を探していたのです。
小川屋味噌店は1848年に創業。170年以上にわたり金山寺味噌など、こうじを使った商品を作り続けてきました。諏訪商店の取引先で互いに知っている間柄でした。
小川屋味噌店をM&Aすることで、念願の製造工場が持てます。加えて、諏訪さんは同店の技術力にも魅力を感じました。研究室を設けて日本食には欠かせない発酵のノウハウを持っており、独自の味を生み出すことができると考えました。
同店には野菜の処理工場もあり、漬物や佃煮も作れます。M&Aによって日本食全般の製造が可能になるというメリットがありました。
諏訪さんはM&Aに向けて16年5月末、小川屋味噌店側と初めて対面しました。買収額はあらかじめ決まっており、そのほかの条件は、小川屋味噌店の看板を外さないこと、従業員全員の継続雇用という2点でした。その条件を約束し、6月末には契約を結んだのです。
同店の従業員からの反発はなかったといいますが、諏訪さんは「今後どうなっちゃうんだろう」という従業員の不安を感じ取りました。
そこで諏訪さんはM&Aを行った後、1年間ほど毎日欠かさず小川屋味噌店に足を運び、従業員と一緒に朝のラジオ体操も行いました。
諏訪さんと同年代の従業員も多く、溶け込むために食事会や懇親会を開くなど、積極的にコミュニケーションをとりました。
当時の小川屋味噌店は50人ほどの従業員がいましたが、課長職などの責任者が少なく、社風の違いからか仕事の指示を待っている従業員が多く見られました。
諏訪さんは役職を付けるなどして、人材配置を見直しました。同店の品質管理室のノウハウやバックオフィス機能、販売部門を諏訪商店本社へ移管するなどの改革も進めました。
家業と同様に整理整頓にも着手。生産工程の改善を目指して、1人あたりが作れる商品の数を増やすため、あえて一気に生産できる機械を捨てました。大量生産できる機械があっても、その生産ペースに合わない工程が一つでもあると、かえってボトルネックになるためです。
作業台を小さくして、生産したものをため込まずに次の工程に流すようにするといった「生産性講習」も実施。諏訪さん自身が作業する様子を動画で撮影し、従業員に見てもらいました。
M&A直後の小川屋味噌店はシステム化も遅れていました。インターネットにつながったパソコンは1台しかなく、経理もシステムを使わず全て手書きで行っていたのです。
会社のホームページはシンプルで魅力に乏しく、社員には会社のメールアドレスを与えられていませんでした。
諏訪さんは事務系の従業員にパソコンを支給し、全従業員にはタブレット端末を配布。勤怠や生産現場の管理をネット上で行うように変えました。ミーティングの情報なども公開し、全員が会社の情報にアクセスできるようになりました。
生産や組織運営の効率化を進めたことで、M&Aから1年で小川屋味噌店は黒字化しました。
M&Aから6年。諏訪商店グループは買収先とのシナジーによって、オリジナルのプライベート商品の販売が全体の8割を占めています。
千葉産タケノコを使った「竹切物語」というメンマが代表例です。収穫したタケノコを約2週間で加工に回す工程管理に加え、メンマの歯ごたえをよくしたり、もろみを作る際にうまれる「たまり液」で味付けしたりする作業には、小川屋味噌店のノウハウが生かされています。
コロナ禍では、諏訪商店グループも千葉県内の売り上げが半分ほどに落ちました。それでも「房の駅」は、地元の人が日常で食べる商品もそろえているため、影響はそれほどなかったといいます。グループ全体では赤字にならずに乗り切りました。
「海ほたるパーキングエリア」に出店したり、千葉県柏市に商品の製造過程を見学できる「ピーナツファクトリー」を開業したり。コロナ禍でも積極的な事業展開を進めています。
21年には巣ごもり需要を見据えて宅配関連企業のM&Aも行い、グループをさらに拡大しています。
後継者不足に歯止めがかからない中、日本のM&Aの流れが加速しそうです。シナジーを発揮するために、買収する側の経営者に求められる姿勢は何でしょうか。
自身も家業の後継ぎである諏訪さんは、こう考えます。
「M&Aの目的を明確にできるかが大事です。会社を大きくしたいからといって家業と無関係の企業を買収するのではなく、シナジーをどこに求めるかにかかっています。M&Aで絶対に経営がうまくいくとは断言できませんが、後になって買収の意味が見いだせることもあると思います」
親会社の経営者が買収先の経営も担うのか、親会社もしくは買収先のいずれかで能力がある従業員に委ねるのかも大事なポイントといいます。
M&Aの際には、親会社側に経営人材をそろえたり育てたりすることも必要になります。諏訪さんは小川屋味噌店の代表ですが、自分が留守にした場合も想定した上で、組織の体制を整えたり人材を育てたりしています。
ファミリービジネスの後継ぎ経営者が、後継者不在の老舗を引き継ぐ意義について、諏訪さんは「時代をつないでいくことです」と言います。
従業員一人ひとりの生き方に寄り添いながら、顧客に千葉県の魅力を伝え、「この人と接すると気持ちがいい」と思ってもらえるグループ会社にしたい。それが諏訪さんの大きな目標です。
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