目次

  1. 創業のきっかけは4歳で亡くなった姉
  2. 「やりたいと思ったことは今すぐに着手すべき」
  3. 積極的に海外製品を輸入 ラインナップが充実
  4. 「ゲームがやりたい」に応える製品開発へ
  5. 製品づくりから“場づくり”へ

 テクノツールは、島田さんの父親が1994年に設立しました。きっかけは、重度障害を持つ島田さんの姉が4歳で亡くなったことでした。当時、飛行機内装品の機械設計エンジニアとして活躍していたスキルを活かし、障害福祉分野に取り組みたいとの思いからでした。

 障害者の生活機能を向上させる技術や製品を開発する「アシスティブ・テクノロジー」という取り組みに対して、国がガイドラインを作成するなど盛んな時期であったこと。

 Windows95が発売したタイミングなどもあり、コンピューター関連の分野でのビジネスを考えます。

 注目したのは、パソコンの入力インターフェース、キーボードでした。パソコンを操作することができれば、障害者でもできることは大きく広がります。しかし当時は、障害者が使える製品は海外製品がいくつかあるだけで、国内製品は見当たりませんでした。

 「父は機械系エンジニアでしたから、大まかな構想や設計は自分で行いますが、電気や通信といった担当外の技術領域は、外部の協力会社にお願いしていました。また、ソフトウェアエンジニアを採用するなどして、事業を進めていきました」

 このビジネスモデルは現在も変わっておらず、大枠の構想や設計はテクノツールで、製造は外部のパートナー企業に依頼する、いわゆるファブレスで事業を進めています。

最初に開発したキーボード。入力部分を凹にしたことで、確実にひとつの入力ができる工夫をしている

 創業から2年ほどで最初の製品が完成します。脳性麻痺などで手に震えがある人でも、キーを2つ同時に押すことがないような、50音順にキーを配列するといった工夫を施したキーボードでした。

 キーボードは15年以上にわたり主力製品として支持されるヒット商品となりますが、福祉事業だけで会社を継続していくことは難しかったようです。

 「大企業もアシスティブ・テクノロジーの導入などに積極的でしたから、ビジネスパートナーとしての事業軸がひとつ。一般的なコンピューターシステムの開発、パソコン周辺機器の販売なども手がけており、当時は3つの事業を手がけていました」

 父親は家に仕事を持ち込まず、話もしないため、事業継承に関する話題は一切出なかったそうです。一方で、母親も大学で学び直し、特別支援学校の教職に就くなど、社会貢献色の強い取り組みをしていました。

 そんな家族の姿を間近で見ていた島田さんは、「自分の中で、何かモヤモヤしていました」と振り返ります。そしてそのモヤモヤは、就職活動に影響を与えます。事業継承を考え、大手電子部品メーカーの営業職に就いたからです。

 実際、会社勤めを3年間する中で、ものづくりの仕組みやお金の流れ、まさに今のテクノツールのビジネスモデルである、パートナー企業同士、技術者同士をつなぐ経験を存分に積むことができました。

 ただ、どのタイミングで家業に入ろうか、決めかねていました。そんなとき、東日本大震災が起きます。

 「人生はいつ終わるか分からない。やりたいと思ったことは今すぐに着手すべきだとスイッチが入りましたね」

 こうして島田さんは震災発生から1年後、2012年春に家業に入ります。会社は設立から18年目を迎えていましたが、独自製品は10ほど。ラインナップが少ないと感じていました。また、会社を存続するために取り組んでいた他の事業2つとのポートフォリオはほぼ3等分であったため、もっと、福祉事業に注力・特化したいとの思いもありました。

 当時はいわゆる待ちの営業がほとんどで、積極的に営業をかけることはありませんでした。以前にやったが、うまくいかずやめてしまった、との理由からでした。改めて島田さんは父親に「積極的に営業をするべき」と、打診します。

 すると父親は「だったらお前がやればいい」と。経営企画部署を新設し、営業推進ならびに新製品開発を島田さんに託します。

筋力が乏しい人でもパソコン操作ができるアームサポート(テクノツール提供)

 島田さんはその期待に応えるよう、積極的に営業を行っていきました。特に力を入れたのが、筋力が低下した人の動作アシストを担う、アームサポートという製品でした。また、営業を続ける中で、障害者といっても症状や悩みはさまざまあり、各人に見合った製品を届ける必要があることを感じ取っていきます。

 一方で、自社ですべてを担うことは現実的ではありません。そこで、独自製品を開発するのと平行して、より良い他社製品を取り扱う販売代理店事業にも注力。製品ラインナップの充実に力を入れるようになっていきました。

 「日本とは異なり、海外ではジョイスティックやマウスなど、アシスティブ・テクノロジーを活用したツールや製品が多くありました。海外の展示会などにも積極的に足を運び、イギリス製のマウス、首の動作でマウスを動かすことができるフィンランド製の製品などを扱うようになっていきました」

ジョイスティック型のマウスを手に持つ島田さん

 「“入力”手段を手に入れると、世界が変わるんです」

 島田さんがよく口にするフレーズです。ジョイスティックなどでパソコン操作ができるようになると、今ではSNSが浸透していますから、まず、多くの人とコミュニケーションが取れるようになります。

 文字を書いたりプログラミングもできたりしますから、仕事、就労の機会も生まれます。実際、テクノツールでは会話や歩行が難しい3人の障害者を雇用していますが、アメリカの大学で学びシリコンバレーで働いていた経験を持つプログラマー、動画編集といった分野で高いスキルを持つ優秀な人材だと、島田さんは言います。

 もうひとつ、ユーザーと多く接し得たニーズがあります。ゲーム、特にNintendo Switchがやりたい、との声でした。

 「実は、海外製のいろいろな機材を組み合わせていくと、手が不自由でもゲームの操作もできるんです。そこで最初はニーズに応えるために、一人ひとりのお宅に伺い、適した製品の選定からセッティングまでを、サービスとして提供していました。ただ、ゲームを変える度に再設定が必要など手間でした」

 そこで、障害者の家族や介護者が、テクノツールのメンバーに代わり簡便に設定できるコントローラーが必要だろうと。このような考えから、ゲーム操作に特化したオリジナルコントローラーの開発がスタートします。

 この開発でも、海外製品が参考になりました。アメリカではすでに、ニーズに応えた製品がXboxを手がけるマイクロソフトが発売していたからです。仕様や設計がかたまると、任天堂の公式ライセンスコントローラーをこれまで数多く手がけている企業、ホリに話を持ちかけます。

 「ホリさんの元にも、以前から同様のニーズがあったそうです。でも、専門外の領域であったため対応に困っていたようでした。そのような背景もあったので提案はスムーズに受け入れられました」

テクノツールがホリと共同で開発したNintendo Switch公認のゲームコントローラー(テクノツール提供)

 利用者はもちろん、リハビリテーションの専門家の意見を取り入れたり、テスト使用などを重ねたりし、コントローラーは完成します。「Flex Controller(フレックス・コントローラー)」です。

 ジョイスティックやさまざまな入力機器との接続を想定し、前面に数多くの端子が並んでいるのが特徴で、利用者のひとり、筋ジストロフィーの梶山さんは、ほっぺの膨らみと目の動きで、ゲームを楽しんでいるそうです。

ほっぺの動きと目線でゲームを楽しむユーザーの梶山さん(テクノツール提供)

 2020年の11月に発売されて以降、着実に利用者は増えていて「ゲームは諦めていたので嬉しい」「以前は横で寂しそうに見ていた障害を持つ兄弟が、一緒に楽しめるようになった」といった喜びの声が届いています。

 「任天堂さんの公式ライセンスにこだわったことで、新たな利用シーンが広がっています。eスポーツの国体での使用が認められたからです。障害があっても、家で寝たきりであっても、国体に参加できるようになったんです。実際、参加者した利用者さんもいて結果は予選落ちでしたが、大きな一歩であったと捉えています」

 現在は140人ほどからなるフレックス・コントローラーのコミュニティもあるそうで、梶山さんをはじめとしてさまざまな利用者が、より良い利用法などを共有し合っているそうです。

 権限委譲など、事業承継は自然な流れで進んだそうで、2021年に代表取締役に就任します。ここ数年は文科省が子どもたちにICT教育をと、GIGAスクール構想を掲げたこともあり、例年の倍近い売上だったそうですが、そのような特需を除けば、父親の代と売上はさほど変わっていないそうです。ただし、

 「元々やりたかった、アシスティブ・テクノロジー事業だけで会社がまわるようになったのが大きい」と、手応えを口にします。実際、輸入品を含む独自製品は50ほどまでに増加。うち3割が自社製品です。

 コントローラーの開発により、メディアへの登場など脚光を浴びたテクノツールと島田さんですが、今後はもっと大きな視座のビジネスモデルも考えています。

中小企業庁主催のピッチイベント「アトツギ甲子園」にファイナリストとして登壇した島田さん

 「世界には10億人の障害者がいます。一方で、肢体不自由校卒業生の就職率はわずか6%。働きたくても働くことができない社会をつくっている、我々に問題があるのではないでしょうか。今後は障害者が当たり前に就労できる環境や場づくりといった活動に、注力したいと考えています」

 背景として、企業も障害者も主戦力しては見ていない(思っていない)との状況が課題であり、そこを取っ払いたいと島田さん。まさに、テクノツールで働いている3人の障害者のように、各人が持つスキルやパフォーマンスを発揮することのできる、環境をつくろうとしています。

 まだ構想段階ですが、障害者が働くことのできる場を自社でつくる。いわゆる就労継続支援A型事業所の運営なども考えているそうです。

 ただ、そこはテクノツールならでは。プログラミングや動画編集といった、自宅にいながら寝たきりの人でも行える仕事に特化することで、差別化やこれまでと違う取り組みを進めていきたいと言います。

 「自動運転車やドローンによる無人配送なども、これからの世の中では当たり前になっていくでしょう。ただやはり、イレギュラーに対応するために人の監視は必要です。その業務を自宅で寝たきりの障害者が担うことだって、僕らの製品や世の中の技術を使えばできます。今では、寝たきりの人がドローン飛ばすことだってできるんですから」