100年前の機械で織る高級レース 世界シェア1位の3代目候補が継ぐ伝統
兵庫県宝塚市の「栄レース」は、高級レースの「リバーレース」で世界シェア1位の企業です。デザインから企画し、中国とタイにある計3カ所の工場で生産。トップブランドのアウターやインナーなどに採用されています。会長の土井一郎さんが1958(昭和33)年に創業し、社長の澤村徹弥さん(64)が継ぎました。さらに澤村さんの息子の佳樹さん(32)が6年前に入社し、2代目の背中を見ながら、未来を織り上げようとしています。
兵庫県宝塚市の「栄レース」は、高級レースの「リバーレース」で世界シェア1位の企業です。デザインから企画し、中国とタイにある計3カ所の工場で生産。トップブランドのアウターやインナーなどに採用されています。会長の土井一郎さんが1958(昭和33)年に創業し、社長の澤村徹弥さん(64)が継ぎました。さらに澤村さんの息子の佳樹さん(32)が6年前に入社し、2代目の背中を見ながら、未来を織り上げようとしています。
目次
リバーレースは古くからヨーロッパで愛されてきた最高級レースです。英国のジョン・リバー氏が1813年に発明した「リバーレース機」で生産します。機械の操作やメンテナンスに手間がかかる上、大量生産しづらいことから、「ハンドメイドに近い」とも言われます。
栄レースは1958年、英国から2台のリバーレース機を購入した現会長の土井一郎さんが、兵庫県宝塚市で創業しました。デザイナーが描いたデザインを元に、中国の青島(チンタオ)、タイのチェンマイとメーソットの計3カ所の工場で、87台の機械がリバーレースを織り上げます。
主な取引先は、価格帯の高い下着メーカーや有名ブランドで、高級インナーやアウターを彩るのに重宝されています。年商は約40億円、グループ従業員数は約700人。創業から64年で、欧州生まれのリバーレースで世界シェアの約7割を占めるまでに成長しました。
澤村佳樹さんは、栄レースに入って6年目。佳樹さんにとって、土井会長は母方の祖父、澤村社長は父にあたります。しかし、子どものころは家業にあまり良いイメージを持っていませんでした。
「私が3歳だった1992年に、中国・青島の工場が操業しました。海外との行き来で父の忙しさに拍車がかかり、月の半分は留守。たまに家にいても、顔を合わせるのは朝くらいでした」
小学校に上がり、つらかったのは月曜日でした。家族と週末を楽しんだクラスメイトの話題に入れなかったからです。
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「当時、母に宣言したのを覚えています。『将来は絶対、週末が休みの仕事をする!』とね」
家業に特に思い入れはありませんでした。ただ、学生時代に約5カ月間、カナダに留学し、将来は英語を使った仕事をしたいという思いが芽生えます。
のちの就職活動で、中国やタイ、欧州を飛び回る父や祖父の姿が思い浮かんだものの、後を継ぐよう強制されなかったこともあり、自分で決めたある商社に就職しました。その選択が佳樹さんの運命を変えることになります。
佳樹さんが入ったのは、スクラップされた貴金属を輸入する専門商社でした。佳樹さんはここで「猛烈に働く」経験をすることになります。
なにしろ入社当時、社員は佳樹さんを入れてたった3人。社長は中国出身で、大学卒業後に来日して日本企業に就職。その後、日本で専門商社を立ち上げた、バイタリティあふれる人でした。
「営業職として入社しましたが、どれだけ働いたらいいのか、というくらい昼夜問わず働き、営業以外の仕事も何でもやりました。ものすごく忙しかったけど、ものすごく面白かった。入社2カ月後には社長の米国出張に同行するなど、社長のすぐ近くでいろいろ見聞きさせていただきました」
しかし、いくら社長の近くにいても、社長と従業員では見ている世界が違うことを佳樹さんは敏感に感じ取ります。ふと目の前の社長と、家業の社長である父親の姿が重なりました。
「この社長が見ている景色と、親父が見ている景色がいったい何なのか。自分も見てみたい」
そう強く思った佳樹さんの中で、家業を継ぎたいという思いが頭をもたげました。その意思を父に伝え、家族会議の末に、栄レースの後継ぎを見据えた入社が決まりました。
佳樹さんは商社時代、大阪で一人暮らしをしていましたが、仕事の様子を母親に話していました。
「おそらく父は、商社での働きぶりを母から聞いていたのでしょう。そこで少し認めてくれたのかもしれません。だから入社がかなったのだと思います」
佳樹さんは栄レースに入社する前の1年ほど、ある会計事務所で働きました。「経営者になるなら財務の基礎を理解しておくべき」という、特に祖父の勧めによるものでした。
こうして佳樹さんは晴れて栄レースに入社しますが、翌日には中国へ。一時帰国を挟みつつ、日本へ帰ってきたのはなんと3年後でした。なぜすぐに海外へ出たのでしょうか。
佳樹さんが入社したのは、栄レースがタイのメーソットに海外3カ所目の工場を建てようという時期でした。その立ち上げの担当者に抜擢(ばってき)されたのです。
タイへ行く前に、佳樹さんは中国・青島の工場でリバーレースの生産を一から教わりました。指導者は、栄レースに二十歳の頃から約40年間勤め、工場長の経験もある達人でした。
彼は澤村社長にもリバーレースを教えたほどの人です。リタイアして帰国する寸前だった達人に、社長は最後の仕事として、佳樹さんにリバーレースを教え込むよう頼んだのです。
こうしてリバーレース機は達人に教わり、染色など様々な工程もそれぞれの熟練者から学んでいきました。
中国の生産現場で約半年学んだのち、今度はタイのメーソットへ赴きます。ミャンマーとの国境近くで、日本人は佳樹さん1人。タイ人やミャンマー人の従業員とともに、1年半かけて機械の据え付けから稼働、現地のタイ人とミャンマー人の採用まで行いました。
メーソットでの操業後、佳樹さんはチェンマイの工場でも約半年間過ごし、リバーレースを生み出す工場での工程すべてを経験し、帰国しました。
「栄レースは製造業です。将来の経営者候補として、生産現場を知らなければなりません。研修という名目でしたが、実際は現場で働いて学んだ、密度の濃い3年間でした」
佳樹さんは現在、デザイン室の室長です。栄レースではインナー用だけで年600点、アウター用を含めると年800点もの新たなデザインを生み出しています。
描き起こしたデザインが、実際に機械で織り上げられるまでには段階があります。
まずデザインを描くには、織り上がったときにどう見えるか、糸の本数や織り方、動き方を理解しなければなりません。一人前のレースデザイナーになるには3年はかかると言われています。
さらにデザインを糸の設計図面に落とし込むドラフティングという作業が必要です。担うのはドラフトマンと呼ばれる人たち。糸にかかる張力や糸同士が引っ張り合う力を予測する必要があり、育成にかかる期間はデザイナー以上だそうです。
栄レースには、スタッフとして雇用したり欧州で外部契約したりするデザイナーが約40人います。欧州のデザイナーは、募集したのではありません。澤村社長によると、欧州で開かれるランジェリーの展示会では、自分で描いたデザインを売り込んでくる人がいるそうです。
「欧州でのリバーレースの生産は今ではわずか。(栄レースと契約することで)現地のデザイナーは特技を生かす場を得てハッピーでしょう。我々もいろいろな文化的背景を持つデザイナーを抱え、面白い柄を生み出せるので、とてもハッピーです」
リバーレースはデザインが命です。同じデザインは1枚もありません。
澤村社長は「だから、いつまでもお客様に飽きられることがありません。それがわが社の最大の強みです」と語気を強めます。
デザイン室長の佳樹さんが気をつけていることがあります。それは、一従業員として振る舞うことです。澤村社長からも、入社前に「お前を特別扱いしない」と言われたそうです。
実際に佳樹さんは役員でもなく、どの部署に異動するかも分かりません。社内では当然、澤村社長に敬語を使います。
「社長と従業員の間では当然です。父も『他の従業員に、親子だと感じさせてはならない』と意識していると思います。従業員が遠慮してしまう職場環境は避けるべきと考えているのでしょう。私も同じ考えです」
その徹底ぶりは、他の従業員に「家でも敬語ですか?」と心配されるほど。佳樹さんは「それはない」と笑いながら否定しますが、家でも会社の話題になると自然に敬語になるそうです。「もう習慣のようなものです」
このように社内では親子の色を消している佳樹さんですが、やはり完全には消せません。社内で叱責されるにしても、社長からと社長以外の上司からとでは、感情の動きが違うそうです。上司からの叱責は「なるほど」と受け止められても、社長には「なにくそ」と反発心が出てしまうのです。
「しかし、よく考えるとやはり的を射た指摘なのです。悔しいですが、認めないわけにいきません。だからもっと勉強して、知識を深めなければ。まだまだ澤村の背中は遠いと感じています」
よく澤村社長に言われる言葉があります。先手、先手でやれ――。業績が良い時ほど、次の一手を考えて実行に移せという教えです。
「これは社長も、会長の土井から言われ続けた言葉です。悪くなってからでは銀行もお金を貸してくれません。業績が良ければ、未来への投資も思い通りにできます。当社はそれで、中国への工場進出に成功しました」
栄レースでは現在、全てのリバーレースを中国とタイの工場で生産しています。各工場が創業したのは、青島(中国)が1992年、チェンマイ(タイ)が2002年、メーソット(同)が2016年です。
中国進出前は、全て国内で生産していました。国内の大手下着メーカー数社に多くの製品を納め、栄レースの売上の7~8割を占めました。世間は好景気で、会社も年商50億円と潤っていたそのタイミングで、土井会長は中国に進出し、多額の投資を行いました。この判断が実を結んだのはなぜでしょうか。
リバーレースの生産には多くの手間とお金がかかります。技術者の育成期間は2年と言われ、機械の保守費用もかさむからです。生産時には、リバーレース機1台につき約5000枚のキャリーという部品を使い、糸を巻くためのボビンを手作業でセット。糸のかかり具合や張り具合をチェックして、機械の音を聞き分け微調整します。
対照的なのが、その後登場したラッセルレース機です。高速の機械で大量生産でき、熟練工もさほど必要としません。欧州ではリバーからラッセルへの移行が進み、品質も次第に上がりました。こうしてラッセルレースへの参入企業は増え、価格競争も加速しました。
一方、栄レースはリバーレースの生産拠点を中国とタイに移したことで、コストを抑えながら技術の伝承に成功しました。繊細で丈夫というリバーレースの持ち味に加え、デザインの優位性が付加価値となり、値下げ圧力も比較的軽いそうです。
佳樹さんが3年かけて中国やタイの工場を回る中で痛感したことがあります。それは、リバーレースの技術を次の世代につなぐ難しさです。
中国でリバーレース機の指導をしてくれた達人のつぶやきにも驚かされました。「40年以上、機械に向き合ってきたにも関わらず、『自分はまだ、この機械を分かっていない』とよくおっしゃっていました」
リバーレース機は1台1台に癖があり、同じ機械でも昨日と今日で調子が違います。いつも通りの調整をしても、うまく柄が出ないことがよくあるそうです。それでもメンテナンスを重ね、使い続けなくてはなりません。なぜならリバーレース機を製造する会社は、もうどこにもないからです。
リバーレースのメーカーは現在、新しくても半世紀以上前、古いと1世紀以上前に製造された機械をメンテナンスしながら使っています。基幹部品かつ消耗品であるボビンやキャリーを作るメーカーもありません。栄レースは部品の供給停止を見据え、1995年に当時のメーカーから工作機械を買い入れ、自社で生産しています。
こうして栄レースは、リバーレースの生産だけでなく、機械のメンテナンスや部品製造までも自社で担うようになりました。
海外進出時に思い切った研修を開いたのも、栄レースの特徴です。中国進出にあたって雇用した約300人の中国人を順番に日本に呼び、リバーレース機を扱う技術などを教え込んだのです。
数年間日本に住んでもらったため、彼らは今も日本語を自由に操ります。日本人らしい気遣いも身につけ、のちに現地採用された中国人たちに継承しています。
さらにタイのチェンマイ工場操業の際は、中国・青島から来た80人ほどがタイ人の指導にあたりました。タイのメーソット工場も同様に、チェンマイから応援に来た工員たちが、採用や技術指導まで担ったのです。
「弊社のような小規模な会社では珍しい育成方法だと思います。おかげで技術はもちろん、日本人らしさが中国からタイの工場へと受け継がれています。みんな仕事熱心です。そんなスタイルが定着し、継承できているのはすごいですし、今後も引き継ぎたい貴重な財産です」と佳樹さんは話します。
栄レースは2020年11月、自社ブランド「Le La Sa(ルラッサ)」を立ち上げました。ECサイトでも販売する、初のBtoCビジネスです。リバーレースで作ったストールや、レースをふんだんにあしらったカットソーやブラウスなどを多数そろえています。
Le La Saを始めたのは、「リバーレース」という繊細でデザイン性に優れたレースを世に広めたいという思いからです。佳樹さんはLe La Saの企画や商品開発など、運営全般に携わっています。
順当にいけば佳樹さんは将来、栄レースを受け継ぐように見えます。しかし本人は「当然3代目になれる」とは思っていないそうです。周囲から認めてもらえる働きをしなければ、と心に決めています。
「自分自身にプレッシャーをかけています。ただボーッと働いていても、社長なんてなられへんぞ、と。きちんと先を見据えてやらなければと、常に自分に言い聞かせています」
機械で織り上げるにも関わらず、多くの人手が必要で、人材育成も大変なリバーレース。しかし、だからこそ緻密(ちみつ)な柄と伝統が守られ、世界で長年愛されています。この伝統をしっかり受け継ぐため、佳樹さんは邁進(まいしん)します。
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