目次

  1. 父親の病気を機に家業へ
  2. 関西のスーパーで修業
  3. 急な店舗拡大に危機感
  4. トレーニングセンターを立ち上げ

 ベルクは1959年、原島一誠さんの祖父、原島善一さんが埼玉県秩父市に「主婦の店秩父店」として開業しました。一誠さんが幼い頃は、まだ3店舗ほどの規模だったといいます。

 「自宅でお店をやっているわけではなかったので、とくに家業を意識することはありませんでした。継ぐとも思っていませんでした」(一誠さん)

1959年に設立された主婦の店秩父店(ベルク提供)

 下に弟と妹がいる長男でしたが、家族からも後継ぎの話はされたことがなかったと言います。

 「学校の先生になりたかったこともあり、教育系の学部に進学しようと考えたこともありましたが、結局は潰しがきくだろうという理由で経営学部を選びました。これも特に家を継ぐことを意識した選択ではありません」

 そんな一誠さんが継ぐことを意識したのは、アメリカ留学を終えて帰国し、就職活動するタイミングでした。

 「まだ教職の道に進みたいという気持ちもありましたが、家族と話をしているうちに、1回やってみてもいいかなと思うようになりました。ちょうどその時に父親の病気が見つかったことも大きかった。まずはお試しでやってみて、合わなかったらやめればいいや、ぐらいの気持ちで入りました」

 新卒としてベルクに入社した一誠さんは、兵庫県を中心に店舗展開する「関西スーパーマーケット」で働くことになります。

 「まずは修業ということで、交流があった関西スーパーのお世話になりました。やはり商売をやる上で関西の商習慣を知っておくのは大事だろうという意味合いもあったかと思います。自分で仕入れに行き、その商品を店頭で売って現金化する一連の流れを実際に体験して、スーパーの基礎や自分が仕入れたものが売れる面白さを体験できました」

取材に応じるベルクの原島一誠社長

 「関西のお客さんはシビアで、商品の質が良くないと『お兄ちゃん、この前のはおいしくなかったわよ』などと直接言ってもらえる。関東のお客さんは気に入らなければ黙って来なくなりますから、何かしら言ってくれるのはありがたかったですね」

 関西スーパーマーケットでは2年間勤務し、そこから1年間、衣料品チェーンの「しまむら」で勤務します。しまむらは、同じ埼玉が地盤でベルクの株主でもあったことが背景にありました。

 「食品と衣料でジャンルは違いますけど、目指している方向性が一緒だったこともあります。店舗や物流センター、バイヤーなどをジョブローテーションさせてもらって、しまむらの物流の強さを学びました」

 関西スーパーマーケットで2年、しまむらで1年の修業期間を経て、一誠さんはベルクへと戻ります。そこで目の当たりにしたのは、あまりに急ピッチな出店による弊害でした。

 「入社した当時は30数店舗ほどの規模でした。現在(2022年9月)は127店舗で、1年間に6店舗ないし7店舗出店しているのですが、当時も今と同じぐらいのペースで出店していたのです。新店の割合が既存店の3割にも及び、人材が追いつかない問題が起きていました」

ベルクの店舗(ベルク提供)

 現場に人が足りず、ほとんど教育を受けていない新入社員ができない仕事をやらされて疲弊する。その結果、退職が増えて人が足りなくなる悪循環が生まれていました。

 「人が足りなくなることで、品切れや商品の品質が下がるなど、いわゆる“棚が荒れる”状態になってしまう。その結果、新店を出しても既存店の売り上げが前年割れしていました」

 こうしたお店の現状を、一誠さんは、「これではいくら店を新しく出しても、穴の開いたバケツに水を入れているようなものだ」と父親に伝え、解決策を提案したといいます。

 「わが家に帝王学のようなものがあるとしたら、子供の頃から父親からのQ&Aが多かったことですね。お前はどう思う? どうしたい? と答えを言わずに考えさせられてきました。それが入社後、そして社長となった今も役に立っています」

 その結果、新規出店のペースにはブレーキがかけられ、新卒採用の強化や教育カリキュラムの見直しが行われます。そこで役だったのは、しまむらで学んだ「店舗が多くなっても崩れない仕組み」だったといいます。

ベルクの売り場(ベルク提供)

 「スーパーマーケットは店舗数の拡大にともない、個々の店舗が弱くなる傾向があります。その原因のひとつが、店長のレベルのばらつきです。戦略的に多店舗展開するのであれば、本部として店長のレベルを一定以上に保つための教育がカギとなります」

 「もう一つのカギは仕組み化です。仕入れ担当は仕入れ、品出しは品出しと完全な分業制を敷いて、それぞれの仕事を掘り下げていくことで、店舗のクオリティーが上がる。これはしまむらでの経験が役立ちました。さらに2006年にイオンと提携したことで、全国区のスーパーの仕組みを勉強させてもらったことも大きかったです」

 2014年、一誠さんは専務に就任。2015年に父親が亡くなる1年前、世代交代を見越した人事だったと言います。

 「もう教えてくれる人は誰もいない。そう実感しました。それまでは、指示を待っていればいいような仕事もありましたけど、完全に自分が指示を出す側になったわけです。指示がなくても、自分で考えて動くよう頭を切り替えました」

 経営者になってからは、自分の頭で考えさせる幼い頃からの教育が役に立ったといいます。店舗に来てくれるのを待つ従来のスタイルだけでなく、移動販売やネットスーパーといった新たなスタイルにも挑戦しました。

 「お客様から、重たいものは持ちたくない、足が悪くなったなど様々な事情で来店できなくなったという声を聞き、直接届ける移動販売やネットスーパーを始めました。その一方で、お店に来てくれるお客さんにも、習慣で来てもらえるような売り場作りをするよう意識するようになりました」

 さらに、急速な出店の失敗を踏まえて、人材教育のカリキュラムを強化します。専務になった2年後の2016年、念願だった社員教育の専門施設「ベルクトレーニングセンター」を埼玉県寄居町に開設。ここでは、宿泊研修や集合研修、フォローアップ研修など、様々な教育を年間を通して行えるようになりました。

埼玉県寄居町に設立されたトレーニングセンター。店舗の売り場を再現した模擬研修室などがある(ベルク提供)

 「それまではお店任せだった教育を、しっかりと体系的に教えることで、その後の伸び率が全然違ってきます。開設から6年が経ち、投資した分だけ効果がはっきりと見えるのが教育だと実感しています。自分がベルクに入って問題だと感じたことを解決するソリューション的な象徴の施設でもあります」

トレーニングセンターでの研修の様子(ベルク提供)

 ※後編では、スーパーになじみが薄いとされてきたZ世代へのアピール方法に迫ります。