昭和書体は、毛筆文字が専門の書体メーカーです。社長の太樹さん、父で会長の茂樹さん(64)を含め、4人が働いています。書体の販売代金が収入の柱で、購入後すぐ使える「ダウンロード版」と、郵送されるCD-ROMからインストールする「パッケージ版」があります。取り扱う書体の数は92種。うち49種は栄泉さんが書いた文字をフォント化したものです。
会社の源流は、さつま町で1960年に栄泉さんが始めた看板屋「坂口造形美術」です。店舗や映画館の看板、車両への文字入れなど、手書きで様々な絵や文字を描いていました。書道とは違い、書き順を無視して重ね書きをすることもあったため、栄泉さんは「字を書く」ではなく「字を描く」と表現していたそうです。
1974年、法人化して広栄社となり、栄泉さんの長男・茂樹さんが社長に就きました。栄泉さんは引き続き、看板の文字や絵を担当。最盛期の1980年代後半、広栄社には従業員が約20人いたといいます。その後、看板事業の低迷を受け、書体販売に特化したコーエーサインワークスを2007年に設立。2013年には毛筆フォント専門メーカーとして昭和書体に衣替えしました。
太樹さんはさつま町で生まれ育ちました。自宅近くに広栄社の工場があったことから、学校帰りに仕事を手伝うこともあったそうです。「看板づくりは工作の延長のようなイメージで、楽しいものでした」と振り返ります。
高校中退後「早く仕事を覚えて、家族の力になりたい」と考え、2002年から東京や神奈川の看板制作会社で修行しました。看板づくりには様々なスキルが必要だといいます。例えば、現場調査した上での見積書作成、デザイン、電飾看板などの電気工事、鉄骨の溶接、看板を立てるための穴掘り、生コン打設などです。全ての工程を学び、2008年に家業に戻ることにしました。
バブル崩壊を境に、広栄社が受注する新規出店や行政からの仕事は減り続けました。2005年ごろにはすでに、事業存続が難しい状態だったといいます。当時の看板づくりは、パソコンからシートに出力した文字を切り抜いて貼り付けたり、インクジェット印刷を活用したりといった手法が主流でした。手書きの毛筆文字への需要は減り、栄泉さんは工場の隅でひたすら巻物に文字を書いていたといいます。
当時の社長・茂樹さんは局面を打開するため、脱臭効果のある炭入りの枕を開発したり、地域の看板清掃を受注したりと、新規事業に取り組みました。しかし業績は上向かず、看板用資材の仕入れ業者への支払いのツケは膨らみ続けました。
「すごい文字。フォント化して売ったら?」
ある日、経営状態を確かめようと来社した仕入れ先の業者が、社長室の隅に置かれた大量の巻物に気づきます。
「すごい文字だ。フォント化して売ったらどうか」
思わぬ提案に、茂樹さんは取り繕うように「やります」と即答したといいます。こうして2007年、看板の仕事と並行して、栄泉さんの文字をフォント化し、販売を始めたのです。広栄社の名を引き継ぎ、屋号を「コーエーサインワークス」としました。しかし、当初は反響もなく、看板の仕事はさらに減り、苦境が深まりました。
半年ほど過ぎた頃、転機が訪れます。ホームページを見たというゲーム大手・コーエー(現コーエーテクモゲームス)から連絡があったのです。人気ゲーム「真・三國無双」シリーズで昭和書体のフォントを使いたい、という打診でした。社内は歓喜に包まれ、茂樹さんたちは飛びはねて喜んだといいます。
太樹さんが実家に戻ったのは、翌2008年のことです。しばらくの間、実家とまめに連絡を取っておらず、主力事業を看板からフォントに変えつつあることは知りませんでした。
「驚きました。よその看板屋で働こうかと一瞬考えました。でも、幼い頃から会社に出入りして父の仕事を見てきたので、『父の仕事は自分の仕事』という思いがありました」
こうして太樹さんは、動き出したばかりのフォント事業に取り組むことになったのです。
1書体につき7000文字を同じ特徴で
筆で描いた文字をデジタルフォントにするには、同じ書体の手書き文字が大量に必要です。メーカーによりますが、昭和書体では1つの書体につき約7000文字を用意します。ひらがな、カタカナ、英数字、記号のほか、使用頻度の高い「JIS第1水準」と、地名や人名、旧字体などを含む「JIS第2水準」をそろえます。
約7000文字を一貫して同じ特徴で書き続けるのが、栄泉さんの腕の見せどころでした。1文字目と3000文字目で、書体の雰囲気が変わってしまってはいけないのです。豪快に書くべき書体に繊細な文字が混じっていないか、太樹さんたちがチェックしました。
「2009年頃の栄泉は1日100〜200字、近年は1日50字ほど書いていました。フォント化したのは約40万字、失敗したものを含めると、その倍は書いたはずです」
A4判の用紙に2文字、もしくはB5判の用紙に1文字書くのが基本です。書体の特徴に応じ、使う用紙も異なります。スマートな楷書ならコピー用紙。豪快な書体なら、かすれが出やすい紙。毛筆文字特有のにじみを出したいときは和紙に書きました。
制作で特に苦労したのが「白龍書体」です。にじみを生かすため和紙に書きましたが、書いた直後と1分後では、にじみによって見た目が異なります。栄泉さんは完成イメージから逆算し、細めに書き進めたそうです。約7000字を書き終えるのに半年ほどかかりました。
書いた文字はスキャナーでパソコンに取り込んで図形データにし、フォント制作ソフトで整えていきます。図形データにする際、アンカーポイントと呼ばれる制御点を増やすことで、拡大しても美しく見える文字になります。
ただ、アンカーポイントが多すぎるとデータが重くなり、エラーが起きかねません。また、文字は正方形の枠内に収める必要があります。こうした微調整をしていると、場合によっては1文字を仕上げるのに20分かかります。1日かけて20文字しか作業が進まないこともあるそうです。
栄泉さんにとって、様々な書体がフォント化されていくのは、やりがいにもつながっていたようです。「毎日いろいろな文字を書いて、私たちに『見てくれ』と言ってきました」と太樹さんは話します。太樹さんや茂樹さんに見てもらうことで、さらにイメージが膨らみ、新たな書体の開発にもつながったといいます。
古き良き昭和の文字を残すため
2013年、茂樹さんの個人事業として始まったコーエーサインワークスを、対外的な信用を得るためにも株式会社化しました。太樹さんを社長として「昭和書体」を設立。社名には「古き良き昭和の文字を残していく」「栄泉の文字を次代につなぐ」という意味を込めました。栄泉さんは昭和書体の専属書家という立場になりました。
多くの人に栄泉さんの字を使ってもらおうと、太樹さんはファックス営業を始めました。毛筆書体の見本に申込書を付け、すぐに注文できるようにしました。デザイン会社と看板制作会社に対象を絞り、全国の計1万件に送付。約300件の受注につながりました。看板やチラシの制作に使いたいという利用者が大半でした。
同じころ、無償で利用可能なフォントを集めたサイト「フリーフォント最前線」(現在は公開終了)に、宣伝を兼ねて一部のフォントを出すことにしました。小学校で習う漢字1006文字を収録したお試し版を出品すると、ダウンロード数1位を獲得。毛筆書体は他にもありましたが、かすみやにじみを生かした書体は少なく、差別化につながったといいます。
さらに太樹さんは、ワープロソフト「一太郎」でおなじみのジャストシステムが運営するECサイトに着目します。一太郎で年賀状をつくる人は多く、毛筆フォントとの相性がいいのではないか――。そう考え、このECサイトへの出品を決めました。一定の売上につながり、現在も取引を続けています。
「鬼滅の刃」に採用 ダウンロード数5倍に
2015年、太樹さんは印刷メディアビジネスの総合イベント「page」への出展を決意します。フォント事業について調べるうち、各メーカーが積極的に展示会に出ていることを知り「業界で認知されるために出るべきだ」と考えたのです。
実際に出展してみると、隣のブースは業界大手の「モリサワ」でした。「初めての出展でいっぱいいっぱいだった」という太樹さん。昭和書体のブースをのぞきにきた男性を接客し続けたところ、後で茂樹さんから「あれはモリサワの社長だ」と言われて驚いた場面もありました。モリサワ側は昭和書体の毛筆フォントに興味を示し、年間契約サービス「モリサワパスポート」に、昭和書体の5つの書体を加えてくれることになりました。
モリサワとの業務提携により、昭和書体の利用者は大きく増えました。翌2018年には、やはり業界大手の「フォントワークス」の年間定額制サービス「LETS」にも採用されました。
そして2019年、「鬼滅の刃」で栄泉さんの文字が使われることになります。例えば、主要な登場人物である9人の剣士の紹介シーンが作品中にあります。その際、「風柱 不死川実弥」(かぜばしら しなずがわさねみ)といった形で、剣士の肩書と名前が文字で示されます。この文字が昭和書体のものです。
作品中で使われたのは昭和書体の「闘龍書体」「陽炎書体」「黒龍書体」など。同じコマの中でも、肩書と名前で異なる書体を使うなど、制作側のこだわりと感じたと太樹さんは言います。生前の栄泉さんも、自身の文字が登場する場面を見て「ありがたいね。すごく選んでいただいたのだと分かる」と話していたそうです。
「鬼滅の刃」に採用後、自社ECサイトを通じた書体のダウンロード数が約5倍に伸びるなど、大きな反響がありました。
YouTubeやTikTokで事業に追い風
亡くなる1週間前まで、文字を書き続けていた栄泉さん。太樹さんは「まだ書いてほしかった気持ちもありますが、すごくいい人生だったと思います」と話します。
ここ数年、栄泉さんは「鬼滅の刃」の文字を書いた人として、マスコミやネットニュースで取り上げられました。亡くなった際には新聞に訃報(ふほう)が載り、ツイッターなどでお悔やみの言葉が次々に寄せられたのです。
文字を書き残した祖父・栄泉さん、挑戦をやめず会社をつないだ父・茂樹さん。2人に加えて、太樹さんが感謝してやまない人がいます。バブル崩壊後、約80人いた広栄社の従業員が次々に去る中、唯一残ってくれた「部長」です。パソコンに明るく、フォント事業の推進にも貢献しました。
太樹さんは「祖父、父、部長がいなければ、何も始まりませんでした」とこれまでの歩みを振り返ります。一方で「展示会に出ていなかったら、きっと今の昭和書体はありません。自分なりに無我夢中でやって、会社も少しずつ良くなってきました。1つ1つの判断が自信につながっています」と手応えも感じているようです。
近年は手書きフォントに追い風が吹いている、と太樹さんは考えます。YouTubeやTikTokに投稿する企業や個人が増え、手書き文字への需要が高まっていると感じるからです。
日ごろの生活で目にする印刷物、パソコンの画面、商品のパッケージ、テレビのテロップ――。多くの場面で、誰かが作ったフォントが使われています。
「この仕事を始めるまで気づきませんでしたが、フォントってこんなにも身近にあるんですね」
昭和書体では現在、2人の書家と契約し、新しい文字を増やしています。今年4月には新たに社員を1人雇いました。今後は海外展開も検討するそうです。
「祖父や父の取り組みに敬意を払いつつ、自分のやるべきことを探していきます」