目次

  1. 始まりは祖父が始めた看板屋
  2. 修行から帰ったら、実家がフォント屋に
  3. 「すごい文字。フォント化して売ったら?」
  4. 1書体につき7000文字を同じ特徴で
  5. 古き良き昭和の文字を残すため
  6. 「鬼滅の刃」に採用 ダウンロード数5倍に
  7. YouTubeやTikTokで事業に追い風

 昭和書体は、毛筆文字が専門の書体メーカーです。社長の太樹さん、父で会長の茂樹さん(64)を含め、4人が働いています。書体の販売代金が収入の柱で、購入後すぐ使える「ダウンロード版」と、郵送されるCD-ROMからインストールする「パッケージ版」があります。取り扱う書体の数は92種。うち49種は栄泉さんが書いた文字をフォント化したものです。

 会社の源流は、さつま町で1960年に栄泉さんが始めた看板屋「坂口造形美術」です。店舗や映画館の看板、車両への文字入れなど、手書きで様々な絵や文字を描いていました。書道とは違い、書き順を無視して重ね書きをすることもあったため、栄泉さんは「字を書く」ではなく「字を描く」と表現していたそうです。

車に「字を描く」栄泉さん。塗料を左手に、筆を右手に持っている

 1974年、法人化して広栄社となり、栄泉さんの長男・茂樹さんが社長に就きました。栄泉さんは引き続き、看板の文字や絵を担当。最盛期の1980年代後半、広栄社には従業員が約20人いたといいます。その後、看板事業の低迷を受け、書体販売に特化したコーエーサインワークスを2007年に設立。2013年には毛筆フォント専門メーカーとして昭和書体に衣替えしました。 

 太樹さんはさつま町で生まれ育ちました。自宅近くに広栄社の工場があったことから、学校帰りに仕事を手伝うこともあったそうです。「看板づくりは工作の延長のようなイメージで、楽しいものでした」と振り返ります。

右奥が24歳ごろの栄泉さん。手前で三輪車に乗っているのが太樹さんの父・坂口茂樹会長

 高校中退後「早く仕事を覚えて、家族の力になりたい」と考え、2002年から東京や神奈川の看板制作会社で修行しました。看板づくりには様々なスキルが必要だといいます。例えば、現場調査した上での見積書作成、デザイン、電飾看板などの電気工事、鉄骨の溶接、看板を立てるための穴掘り、生コン打設などです。全ての工程を学び、2008年に家業に戻ることにしました。

 「でも、看板屋の修行から戻ったら、実家がフォント屋になっていたんです」

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