「助けてくれ」と言われ家業へ 日本橋梁工業3代目が見直した社内体制
道路の橋をつなぐジョイントを製造する日本橋梁工業(東京都墨田区)は、2020年8月、3代目の菊地智美さん(47)が父・義弘さんから事業を引き継ぎました。女性が珍しい業界で一般事務からスタート。時には強い風当たりを受けながらも、経営者塾で人脈を広げ、ずさんだったという経理体制の見直しや社員育成に奔走するなど、後継ぎとしての経験を積み、覚悟を固めていきました。
道路の橋をつなぐジョイントを製造する日本橋梁工業(東京都墨田区)は、2020年8月、3代目の菊地智美さん(47)が父・義弘さんから事業を引き継ぎました。女性が珍しい業界で一般事務からスタート。時には強い風当たりを受けながらも、経営者塾で人脈を広げ、ずさんだったという経理体制の見直しや社員育成に奔走するなど、後継ぎとしての経験を積み、覚悟を固めていきました。
目次
「女性ということもあり、現場仕事ではできることとできないことがあります。社員にとって身近な存在になり、悩みを気軽に相談ができるように、下から支えられる社長になりたい」
菊地さんは3代目としての決意をこう語ります。
日本橋梁工業は1964年創業で従業員は10人。主な製品はジョイントで、高速道路上の橋で床版をつなぐ役割を果たします。同社は現在、首都高グループで高速道路の維持管理を行う首都高メンテナンス西東京株式会社と年間契約を結んでおり、1年間の施工件数は20件ほど。2021年の年商は5億円にのぼります。
菊地さんは3きょうだいの長女として生まれました。小さいころから2代目の父・義弘さんに、仕事現場に連れていかれ、「かっこいいな。いずれ私も同じ仕事をするのかな」とあこがれを抱いていたといいます。「小学6年生のときには、夏休みの宿題の自由研究で家業について紹介しました」
しかし、菊地さんは中学と高校で硬式テニスにのめり込み、高校卒業後はテニススクールのコーチとして働いていました。
勤めて1年が経つころ、同社で取締役を務める母から突然「うちの会社に来て、助けてくれ」と言われました。突然の連絡に驚いたものの、いずれは家業に携わりたいと思っていた菊地さんは二つ返事で了承。1996年に日本橋梁工業へ入社しました。
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そこで、母が「助けてくれ」と言った意味を知ることになります。
「当時は経理業務を第三者に任せていたために問題を抱えていました。ハンコを預けているため、会社の名前で勝手に融資の契約をされていたり、帳簿が二重になっていて裏金が作られていたりしていたのです。母が父に『経理は身内で管理したほうがいいのでは』とアドバイスをしたことから、私が呼び戻されたのです」
菊地さんはオフィスで働いた経験がなく、経理を含む一般事務からスタートしました。「そのときは家業を継ぐ、継がないというところまで考えが及びません。目の前の仕事をこなすことで精いっぱいでした」
菊地さんは入社当初の状況を「『社長の娘が何しに来た』みたいな雰囲気があり、風当たりは強かったです。仕事を教えてもらえなかったということもありましたね(笑)」と振り返ります。
ただ、工事などの技術面は周りから教えてもらわなければ身につかないものでした。
「もちろん、自分で最初に調べてわからないことがあれば職場の人に聞きます。早く父と同じようにならなければという思いで仕事をこなすうち、私だけができることって何だろうと考えるようになりました」
そんな中、2002年に父が心筋梗塞で倒れてしまいます。幸いにも容体は回復しましたが、菊地さんは「現実を突きつけられた感じでした」と言います。
「親はいつか死ぬ。いなくなってしまったら、うちの会社はどうなってしまうんだろう」
菊地さんは本格的に家業を継ぐことを意識し始めました。事務作業も覚え、どんどん新しいことを学ぼうと意欲を燃やします。
ある日、父に「現場へ連れていってほしい」と相談すると、「ダメだ」と言われます。理由は女性だから。現場作業は力仕事で向き不向きがあるので、他の社員を危険にさらすリスクがあると諭されたといいます。
「トップになるには父と同じように、現場で工事作業をして製品の特徴も覚え、経営も勉強しなければならない。社長になる道、事業を受け継ぐ道はこれしかないと思っていました」
しかし、父の言葉でこう思うようになりました。
「私ができないことについて、理解している従業員さんもいます。そういう人たちをサポートすべきだと考えました。私には何ができて、何が向いているのか。必ずしも父と同じようにしなければならないという考えは捨てたのです。例えば、父と比べてお金の管理や、従業員との円滑なコミュニケーションで適正な人材評価ができると考えました」
毎日現場には出られないものの、まずは仕事を覚えるため、問題ない機会があれば毎回現場を訪れて勉強しました。その他にも商品の検品をしたり、パソコンの導入を進めたり、自ら仕事を探して作り出しました。
ずさんな経理体制についても、菊池さんが経理部を一からまとめあげて一新しました。例えば、金融機関での勤務経験がある従業員に経理について教えてもらい、簿記など資格の勉強をすることで正しい知識を身につけたといいます。
業界全体の人材不足が懸念されているなかで、従業員ともコミュニケーションを積極的に図り、抱えている課題を見つけ精神的なケアをするようにしました。
経営者となった今では、溶接やフォークリフトなど資格に必要な費用を会社が負担したり、専門の心理カウンセラーに定期的に来てもらったりしています。
金融機関や仕入れ先などとのコミュニケーションも積極的に取り、社外との関係性を良好化することを目指しました。
事業承継をするにあたり、リスク分散を考える経営論から金融機関との付き合い方まで、経営者として学ぶことは多々あります。菊地さんは2007年、地元墨田区が主催する後継者育成塾「フロンティアすみだ塾」に1年間通いました。
フロンティアすみだ塾では月1回、経営学を学ぶほか、2日間にわたって経営シミュレーションゲームを行います。
例えば、ゲームでは「仕入れ・生産・販売・会計・決算」といった経営の流れを疑似体験し、経営者による意思決定を学びます。そのほか、企業の視察や交流を目的とした1泊2日の合宿で、1年を通して経営者のあるべき姿を染み込ませます。
「ビジネススクールで仲間ができたのが一番大きかったです。人とのつながりの大切さを学びました」
当時、菊地さんは人と話すのが苦手で、引きこもりがちだったといいます。しかし、すみだ塾の講師から「ビジネスでは自分に関係ある依頼しかこない。誘いを断ることは大きな機会損失だから、行動力は常に高く維持しなければならない」と言われてハッとしました。
「内気なところを変えたくて、従業員からより信頼される社長になりたくて塾に来たから、楽な方向ばかりに逃げてたらダメだと思いました。先生の言葉の通り、とにかく行動に移しました」
その後、声をかけられた講演会には必ず出席し、飲み会にも頻繁に顔をだすようになったと打ち明けます。
13~16年には、東京東信用金庫が主催する「ひがしん若手経営者の会ラパン」の2代目会長を務めました。45歳以下の若手経営者や後継者の育成や交流を目的とした団体の会長として、どのような交流会や講演会、または実地研修をすれば若手育成に貢献できるのかを運営メンバーと考え、意思決定の役割を担いました。
「今も交流会でできた付き合いに助けられている面があります。会長に就任するときも迷いはありましたが、手をあげてよかったです」
交流会から実際に取引が生まれたほか、全国にいる同業の経営者らと勉強会をすることで業界のトレンドがいち早く追えるようになったと話します。
勉強会が、国交省関係者の目に留まったことで行政とのコネクションもでき、国の動きをいち早く知ることができたと打ち明けます。
2020年8月、事業承継のタイミングは突然訪れました。
菊地さんは当時、家業を継ぐ準備として人脈作りや銀行との交渉、社員の育成に取り組んでいました。当時はまだ会社の経営理念や行動理念が定められておらず、フロンティアすみだ塾で講師を務めていた経営コンサルタントを招き、目標設定をしていました。
行動理念(写真参照)は当時の社員全員で決めたといいます。
日本橋梁工業では当時、人材不足を理由に工事部門を閉鎖する話が持ち上がっていました。工事をしつつ帰ってきたら書類作成にも追われ、従業員みんなが疲弊している状況だったのです。
父は「何か事故が起こると危ない」と考えて閉鎖を決定しましたが、工事部門の若手従業員2、3人から「工事がしたい」と言われ、菊地さんは父に直談判しました。
私が責任を取るからーー。そう話すと、「社長を継ぐこと」を推奨されたと菊地さんはいいます。
「父から『俺の言うことが聞けないんだから、もう社長はお前がやりなさい』とまじめな口調で言われました。事前に準備することが苦手な父らしいなとも思いました(笑)」
人材不足の中でも安全性を確保するという課題は、無理のない範囲で工事数を調整することで対応しています。
「まずは従業員の安全が一番で、会社としての利益は二の次に考えてもらっています。採用も経験が豊富な人を取ることで、安全性を担保しています。また、競合他社が工事の班を3〜4チーム抱えているのに対し、うちは一つしかありません。これも安全性を確保するためにベストな数と考えました」
実際に日本橋梁工業は8年以上無事故であることが評価され、首都高メンテナンス西東京から表彰を受けました。これは協力会社の中の無事故年数として最も最長になるといいます。
菊地さんは社長を継いでからも、大口の取引相手とこれまでと同様の付き合いを続け、関西への展開も手がけ始めました。それでも「会社規模を大きくしようとは思いません」といいます。
「取り扱っている製品はメンテナンスが必要なもので、そこに対応できるのはほぼ私たちだけといっても過言ではありません。だから、会社をうまく続けるようにしたいという認識の方が強いです」
「小さい会社なので売り上げがたくさんなくてもやっていけます。適正値を守り、求められる技術力を保ち続けるべく、私なりの方法で従業員を支えていければと思います」
入社後、女性が建設工事業界で社長になっていいのか、自分で勝手に悩んでいた時期もあったといいます。でも、社長として家業を引っ張る今は「その仕事に興味があれば性別は関係ない」と思っています。
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