「花ござ」の衰退を食い止める商品開発 松正4代目は裏方から表舞台へ
い草を原料とする織物・花ござは、蒸し暑い日本で古くから暮らしの道具として愛用され、かつては輸出品として隆盛を極めました。しかし近年は生活スタイルの変化でだんだんと需要は減っています。福岡県柳川市でい草製造業を営む松正4代目の松永正晴さん(45)は、主要取引先の倒産を機に商品開発や販路の拡大に着手。地域ブランド「福岡花ござ」で自社の成長と業界全体の底上げに挑みます。
い草を原料とする織物・花ござは、蒸し暑い日本で古くから暮らしの道具として愛用され、かつては輸出品として隆盛を極めました。しかし近年は生活スタイルの変化でだんだんと需要は減っています。福岡県柳川市でい草製造業を営む松正4代目の松永正晴さん(45)は、主要取引先の倒産を機に商品開発や販路の拡大に着手。地域ブランド「福岡花ござ」で自社の成長と業界全体の底上げに挑みます。
目次
どんこ舟の川下りで有名な柳川市にある松正は、い草を原料にした織物を製造しています。古くから農業のかたわら、い草を生産し、1947年に松永さんの曽祖父がい草製品の製造業として創業しました。
看板商品の「花ござ」は、い草に染色を施し、鮮やかな文様を付けた織物になります。敷物や畳のほか、靴のインソールなどとしても商品化されています。
従業員は約10人。およそ200の商品アイテムをそろえ、日本一の生産量を誇ります。
い草織物の製造は分業で成り立っており、松正も当初は織元でした。もっぱらメーカーからの受注で生産し、ロール状で納品していました。
変化があったのは松永さんが小学生の時です。先代の父が寺で使用されるお坊さん用の座布団をメーカーと共同開発して大ヒット。座布団の製造を担うようになったことで大きな工場が建ち、事業化していきました。
忙しくも楽しそうに働く両親の姿を見て育った松永さん。家業を選ぶことに迷いはなく、「両親のようにやりたいことをやって豊かな生活が送れるなら、自分もやりたいと思えた」と話します。
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継承を前提に東京の大学に進学し、2年ほど大手スーパーに勤務したのち、柳川へ戻ってきました。
20代で入社した当初、すぐには戦力にはなりませんでした。先代に織り機に油をさすよう指示されましたが、誤ったところにさして機械を止めてしまい、大目玉を食らったこともあります。
業を煮やした先代のツテで、織り機の製造所である浅越製作所(岡山市)に住み込みで3カ月間修業することになりました。
「父は会社から織り機を一台注文し、『息子に教えながら組み立てさせてくれないか』とお願いしたようです。できあがったものに対しては何も言いませんので、と」
い草には土がまぶされていたり、水分を含んでいたりするため、ござを製造するときは機械の損傷が激しくなります。機械に精通することは、ござ製造の生命線でした。
松永さんは「一番のノウハウをたたき込んでいただき、機械を見る目も養いました。あの3カ月が今も生きています」と振り返ります。
会社に戻ってからは先代と一緒に現場に同行。取引先の担当者が若いこともあり、積極的に商談に加わったそうです。
「何か新しい製品をお考えでしたら、いくらでもおっしゃってください」と、サンプル作りをどんどん引き受けたといいます。
新しい製品への挑戦は松永さんの財産にもなっていきます。
それから数年後の2010年、松永さんは4代目として事業を受け継ぎました。しかし、その2、3年後、売り上げが前年より数%落ちていることに気づき、翌年もその次の年も減少しました。
中国製品の台頭で日本産のい草製品の足踏みが進んでいたのです。シェアは中国9割、日本1割にまでなっていました。
「小学生の時、同級生の農家では、い草を扱っているところがほとんどでした。100人いれば半分は、い草に何らかの関わりがあったと思います。しかし私以外、周囲は誰も継いでいませんでした」
松永さんは業界の衰退に危機感を覚えました。苦境を脱するためにヒントを得たのは、修業時代を過ごし、花ござの生産でトップを走る岡山県でした。
「岡山で生き残っていた企業の大半は、(い草の)織りだけでなく、自分たちで製品を作り、販売まで手がけていました」
4代目はいつか製品づくりや販売に大きくかじを切る日がくると感じていましたが、まずは製造過程の整理に着手しました。反対を押し切って20台あった織り機を1台減らし、翌年にも1台減らしたのです。
老朽化していた設備を取り除いたことで効率が上がり、売り上げにつながりました。しかしその回復も一時のことでした。
織り機の整理で生産は安定したように見えましたが、危機感は止まりません。
「業界周辺はどこも伸びてなかったんです。耳に入るのは悪い話ばかり。唯一伸びていたのは、へりのない畳だけでした。業界全体が右肩下がりの中、このままではみんなで一緒に衰えてしまうと感じたのです」
自社だけが頑張っても市場を確保できないことには意味がない。松永さんは業界全体の展望を考え始めます。
他社で開発された、い草製の靴の中敷き「花ござインソール」を許可を受けて作り始めたのはこのころでした。
「い草製のため、通常のインソールに比べて通気性が高く消臭・抗菌作用もあります。直接触れるから足の裏は心地よいですよ。加えて靴を脱いだときに人の目に触れるから、注目も集めやすいという特色があります」
価格は安価で軽く、お土産にもできるため、2019年12月に柳川ブランド認定品に認定。英語表記も入れました。持ち運びしやすく世界中の人が利用できるため、「福岡花ござ」を名刺的な役割で広められればと考えたのです。
「柳川ブランドとして広めるぞ」と思い始めた矢先、大きな転機が訪れます。メインの取引先が倒産したのです。売り上げは落ち、手形が落とせないという危機的な状況に陥ります。
それを機に、松永さんは会社を知ってもらうだけでなく、市場を自ら作り花ござの良さを伝えなくてはという思いを強くしました。
一方、千年以上受け継がれている花ござ業界の歴史は古く、松正もこれまでは慣れ親しんだ人たちとの仕事に終始していました。
松永さんは付き合いが無かった取引先へのアプローチを始めました。「私は大先輩の皆様に大変お世話になりました。今度からは私より年下の皆さんとも仕事をしたいと思ったのです」
織元として黒衣役に徹していた松正は、表に出ようと決意します。そのころ出会ったのが、農業参入などのフードプランニングや事業創造などを手がけるフードボックス(東京都)の中村圭佑さんでした。
「もともと農業関係の仲間が多く、ある結婚式で中村さんとお目にかかりました。福岡県出身の中村さんが独立したてのころで、伝統工芸にもご興味があるということでした」
それまではグーグルなどの検索エンジンで「松正」と社名を打ち込んでも、上位表示されない状態でした。しかし、中村さんのすすめで松正のホームページを立ち上げることになったのです。
「ホームページの作成会社に過去の活用例を伺って参考にし、その中から当社に向いているものをピックアップしました」
さらに消費者向けのオンラインショップも立ち上げます。フェイスブックやインスタグラムも始めて、クラウドファンディングにも取り組みました。
「フェイスブックは苦手で、人前で話すのも得意ではなかったんです。でも中村さんからは『変えようとしているんでしょ? それじゃ、世間へ出てください』と諭されました」
花ござへの思いがあるのなら、誰かに伝えなくてはいけない。その一言に、松永さんの心は動いたのです。
花ござの販売先も、ホテルやウェディング会社、観光業など、これまで取引がなかったところに乗り込んでいきました。
新たに製品を作る際には業界内だけではなく、異業種を含めて組んだことがないスタッフと組むようにしています。新しい発想に刺激を受けることが多くあるそうです。
テーブルコーディネーターの光田愛さんがデザインした、ワインボトルに着物を着せた「着物ボトルカバー」には、松正の「ミニ花ござ畳」をオリジナルで製作し、組み合わせました。
子ども用の虹色の敷物「にじのゴザ」は、ウェディング会社から出産祝いの商品として依頼されたものです。ホームページからの問い合わせがきっかけでした。当初は畳でのオーダーでしたが実現が難しく、ござを活用して実現にこぎつけました。
「そのままの希望はかなわなくても『こうするならできます』とは言えます。今までにない製品を作ることで、自分の引き出しがどんどん増えています」
大手取引先の倒産をきっかけに始まった、ホームページ開設などの3カ年計画は今期が3年目。売り上げは前年比で10%は伸びる予定です。
誰も作ってこなかったい草製品をきっかけに新たなアイデアが生まれ、従来の取引先との仕事も増える相乗効果が生まれています。
一般に歴史ある企業の場合、新しい挑戦は思うように進まないことがままあります。特に現場の理解が大切です。
松永さんはこれまでの守備範囲と違うことであっても「できないといえるのは物事に精通している証しですから、素晴らしいことです。でも現場では、できないと思えることの20個のうち1個から変えてみようと話しています」と言います。
「福岡花ござ」の認知度を高める取り組みの一環として、松永さんは22年度から福岡県い草製品商工業協同組合の副理事と、福岡花ござ部会長を務めることになりました。部会に所属するのは企業と個人事業主などをあわせて23会員です。
まずは「福岡花ござ」の地域団体商標登録を目指して出願しています。商標をとった後、どう運営していくかに松永さんの手腕が問われます。
「まずは地元での認知度から向上させていきたい。やれることを一つずつ手がけたいと思っています」。目標は全国区となった今治タオル(愛媛県)です。
業界の認知度をあげながら、会社の売り上げも伸ばしていく。松永さんには地域のリーダーとして、しばらくハイブリッドでの活躍が期待されます。
松永さんは仲間を増やして仕事をするのは一つの形といいます。「い草は平成に入るまで100年近く、この地域で一番の売り上げを誇る作物でした。私はい草で育ててもらったから、やはりい草で終えたいです」
いつかは、世界中の人たちに「福岡花ござ」を使ってもらえる日を信じています。
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