目次

  1. 「よろず屋」として親しまれ
  2. 「妻の家業で商売を学びたい」
  3. 地域に溶け込むまでの苦労
  4. 化粧品部門の売り上げを倍に
  5. 商圏縮小でECサイトを開設
  6. 2カ月売れなかったECサイト
  7. オリーブオイルの販売も開始
  8. 旧家の土蔵で商品を保管
  9. 娘夫婦も事業を担う

 洋野町大野地区は、江戸時代に六つの鉄山を抱え、鉄の産地として栄えていました。西大野商店の創業者・晴山吉三郎は、八戸南部藩の御用商人として地区にあった鉄山を経営していました。大豆栽培も主要な産業で、西大野商店ではみそやしょうゆの醸造・販売のほか、酒の醸造も行っていました。

 昭和に入ってからは、食料品や酒、雑貨、燃料などの小売りを手がける「よろず屋」として、地区の人々に親しまれてきました。

大野地区の人に親しまれている西大野商店

 昭和50年代以降はスーパー「サンストアー」の運営も開始。アパートや事業用店舗などの不動産賃貸業も手がけ、経営を多角化してきました。現在、「西大野商店」が屋号の個人事業のほか、一族が経営する三つの法人がグループをつくっています。晴山家の長男が不動産業を行い、小売り部門を布施さん夫婦が継承しています。

  • 西大野商店(個人事業)=小売業
  • 西大野産業=不動産業
  • 晴山吉三郎商店=ガス料金集金業など
  • フェアリーチェ=小売業(ECサイト運営)

 晴山家の長女として生まれた布施さんは、幼いころから小売業に興味があり、学校が終わってからお酒や雑貨の配達などを手伝う日々でした。ただ、代表者はかおりさんの実弟(54)が継ぐことが「昔からの暗黙の了解」だったそうで、東京の大学を卒業した後は1人の従業員として家業に入りました。

 夫の雅彦さんとは大学時代に交際を開始。1989年に結婚し、雅彦さんは新卒入社した会社から西大野商店に転職しました。

 「昔から商売にも地方に暮らすことにも興味があったので、自然な流れで(西大野商店に)入りました。妻の家業を助けながら、商売を学びたいと思いました」(雅彦さん)

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