洋野町大野地区は、江戸時代に六つの鉄山を抱え、鉄の産地として栄えていました。西大野商店の創業者・晴山吉三郎は、八戸南部藩の御用商人として地区にあった鉄山を経営していました。大豆栽培も主要な産業で、西大野商店ではみそやしょうゆの醸造・販売のほか、酒の醸造も行っていました。
昭和50年代以降はスーパー「サンストアー」の運営も開始。アパートや事業用店舗などの不動産賃貸業も手がけ、経営を多角化してきました。現在、「西大野商店」が屋号の個人事業のほか、一族が経営する三つの法人がグループをつくっています。晴山家の長男が不動産業を行い、小売り部門を布施さん夫婦が継承しています。
晴山家の長女として生まれた布施さんは、幼いころから小売業に興味があり、学校が終わってからお酒や雑貨の配達などを手伝う日々でした。ただ、代表者はかおりさんの実弟(54)が継ぐことが「昔からの暗黙の了解」だったそうで、東京の大学を卒業した後は1人の従業員として家業に入りました。
かおりさんの父弘則さん(83)は「俺の背中を見て仕事を覚えろ、というタイプ」(かおりさん)。雅彦さんは見よう見まねで伝票整理や経理などの実務を学び、店が手がけていたLPガス販売業に携わるため、国家資格の「高圧ガス販売主任者」も取得しました。
地域に溶け込むまでの苦労
千葉県出身の雅彦さんは地元の方言を覚えるのに苦労したそうです。店に入って1年が過ぎた冬、電話でビールの配達を頼んだ客の言葉が聞き取れず、常温で持参したところ、「冷えたのを持ってこいと言っただろう」と怒られたことも。客の話をほぼ理解できるようになるまで、3年くらいかかったそうです。
「地元の由緒ある旧家に入った『婿さん』みたいな立場なので、何をやっても目立ちます。『出る杭は打たれないように、迷惑をかけないようにしよう』と、言動には気をつけていました」
雅彦さんは青年会などの会合に積極的に顔を出し、「よそ者」の自分に興味を持ってくれた人とまず懇意になりました。その上、大勢が集まる場で子どものころの話題を振ってその人の幼なじみらを話に巻き込み、さらに親密になる人を増やす方法で、徐々にコミュニティーに溶け込みました。
方言も覚えて人脈が広がり、店の接客も円滑にできるようになると、雅彦さんは次第に弘則さんから販売や配達などを任せてもらえるようになりました。
化粧品部門の売り上げを倍に
そのころ、かおりさんはグループ会社「サンストアー」の化粧品部門で働いていました。
大野地区がある岩手県北部にもドラッグストアなどが進出。化粧品の売り上げが徐々に減って悩んでいたとき、「ワクワク系マーケティング」で知られる経営コンサルタントの小阪裕司氏の著書を読み、影響を受けました。
小阪氏のセミナーを聞くなどして、独自のマーケティング理論を研究。その結果、店で扱う化粧品の品目を4分の1ほどに減らし、大手化粧品メーカーの高単価のブランドを中心に扱う高級路線にシフトしました。
販売スペースもカフェのようにリニューアルし、客が座って長時間滞在できるようにしました。かおりさんがカウンセリングして、客の肌や年齢に合った化粧品をじっくり提案する販売方法を採り入れたのです。
客単価は大きく上がり、口コミで遠方から訪れる客が増え、売り上げは前年から倍増。販売元の化粧品メーカーにも驚かれたそうです。
商圏縮小でECサイトを開設
しかし、人口減少に伴う商圏の縮小には手を打たなければいけない状況でした。20年の国勢調査によると、洋野町の人口は1万5091人で、00年の2万465人から26%減少しています。
商圏が縮む地元でどんな事業なら成長できるのか――。かおりさんが思いついたのが、ECサイトの運営でした。サンストアーの化粧品売り場では、著名なデザイナーの俣野温子さんが手がけたハンカチなどの女性向け雑貨も扱っていたのですが、店では売れなくて悩んでいました。
「ある時、東京であった俣野さんの展示会に行った帰りに『どうしたら売れるかな』と考えながら渋谷のスクランブル交差点を歩いていたら、ひらめいたんです。『これだけ人がいるんだから、(大野地区で)直接販売するんじゃなく、全国に向けて売ればいいんだ』って」(かおりさん)
2カ月売れなかったECサイト
雅彦さんも、西大野商店での仕事の後にECサイトの運営を手伝うことになります。「妻の家業を支えるのはやりがいがある一方で『いつかは自分で起業してみたい』という思いもわいてきたからです」(雅彦さん)
ただ、サイト運営は2人とも初心者。本業や子育て、家事の後、主に夜に独学で勉強しながらサイト運営をしていました。ただ、なかなか売り上げにはつながらず、実際にハンカチが売れたのはサイト開設から2カ月後でした。
「全然売れないので、毎日何回も確認していました。ようやく売れた時はやはりインターネットなら誰かが見つけて買ってくれるんだと、手応えを感じました」(雅彦さん)
2人とも睡眠時間を削りながら運営を続け、サイトのデザインを改善するなど工夫し始めると徐々に売れ始め、開設から約1年後には月の売上高が30万円を突破します。
2年目には楽天への出店も認められ、ユーザーが検索した際に上位表示されるようにするなどの改善を重ね、開設から5年後くらいには売上高が100万円を超えるようになりました。
オリーブオイルの販売も開始
14年からは、扱う商品も雑貨だけでなくオリーブオイルなどの食材にも広げ始めました。
洋野町出身でイタリア在住の画家の個展に夫婦で行ったのをきっかけに、その画家の知人でイタリアのオリーブオイル製造販売会社「ヴァル・パラディーゾ」(Val Paradiso)の代理人と出会い、「日本への輸出を手伝ってほしい」と相談されたからです。
雅彦さんは商談の時、オリーブの実の一番搾り「エクストラバージンオイル」を試しに飲むよう勧められ、驚いたそうです。
「油を飲むのかと驚きましたが、これがおいしくてさらにびっくりしました。イタリアでは健康に良いとされていると聞いて、直感的に日本でも売れると思いました。僕たち夫婦は当時50代。高齢化社会に入る日本では健康を意識した商売が伸びると考えていたので、これからはオリーブオイルでいこう、となりました」(雅彦さん)
旧家の土蔵で商品を保管
エクストラバージンオイルが一部で注目され始めていたこともあり、全国各地から注文が入りました。消費者だけでなく小売事業者など大口の取引も増え、料理が得意だったかおりさんは販売促進のためにイタリア料理の料理教室を開く機会が増えました。
売り上げが月に300万円台になったことから、17年にはECサイト事業を担う法人「フェアリーチェ」を青森県八戸市に設立、雅彦さんが代表に就任しました。
かおりさんはオリーブオイルの勉強も始め、15年には「オリーブオイルソムリエ」の資格も取得。2人の地道な啓発活動が評価され、19年にはヴァル・パラディーゾ社から日本の代理店として認定されたのです。
フェアリーチェではオリーブオイルのほかにイタリアのワインも輸入して販売していますが、これらの保管には西大野商店の敷地内にある土蔵を活用しています。1843年に建てられた記録がある古い蔵で、「夏は涼しく冬は暖かい。電気代がかからない“天然のワインセラー”があるのは、田舎の旧家ならではのメリットです」(雅彦さん)。
倉庫への保管料や電気代がかからないこともあり、フェアリーチェでは比較的手頃な値段でオイルやワインなどを販売できているそうです。
21年度のフェアリーチェの売上高は約5千万円に達しました。
娘夫婦も事業を担う
フェアリーチェの実務は、長女の麗香さん(27)と夫でイタリア人のマルコ・ロヴェッリさん(30)も手伝っています。マルコさんは日本語を学ぶために来日していた際に麗香さんと出会い、21年に結婚しました。
麗香さんはフェアリーチェのサイトの作成のほかに、若者向けのアクセサリーなど新商品の開発も担当。イタリア料理のシェフでもあるマルコさんは、かおりさんとともにオリーブオイル販売促進のための料理教室を担っています。
「僕たち夫婦もまだ当分経営を続けますが、いずれはフェアリーチェは若い世代に任せたいと思っています。インターネット世代の彼らの創意工夫で、大きく成長させてもらいたいですね」(雅彦さん)
一方で、240年以上の歴史がある商家の歴史も絶やすつもりはありません。19年、スーパー「サンストアー」の商号を初代の創業者名を冠した「晴山吉三郎商店」に変更しました。老舗の看板を復活させ、無くてはならない存在として、これからも大野地区の生活と文化を守っていきたいという思いを込めました。
小売業を続けるとともに、オイルやワインの貯蔵に使っている土蔵で江戸時代に造っていたお酒「国光正宗」を復刻して販売するなど、大野地区の観光の目玉になるような仕掛けを考えています。
「こんな田舎でも、挑戦すれば色々なことができるということを実践していきたいです」