目次

  1. 交通事故を機に妻の家業へ
  2. 宿泊客の減少に危機感
  3. 観光地全体が盛り上がらないと
  4. 鳴子峡のライトアップを開催
  5. コロナ禍で部屋の洋式化を決断
  6. 「今だからこそできることを」
  7. 空き家活用へ地域会社を設立
  8. 泉質だけではない魅力で差別化を

 東多賀の湯は1988年、保険代理業だった遊佐さんの義父が前の運営元から経営を引き継ぎました。 

 古くから湯治宿として親しまれ、長期滞在の宿泊客が多いそうです。農業も営み、旅館で使う米や野菜を作っています。客室は七つあり、年間約2300人が宿泊しています。

「東多賀の湯」の温泉

 山形県出身の遊佐さんは高校卒業後に上京。印刷機や食品製造の機械などの運送や設置を専門に行う会社に就職し、肉体労働に励みました。

 2010年、2歳年上の妻が大学を卒業したのを機に結婚しました。「実家が旅館を営んでいるのは聞いていたので、結婚したらいつかは自分が継ぐのかなとは思っていました」

 しかし、翌11年冬、遊佐さんは交通事故で足に大けがを負い、その後2年ほど治療とリハビリに費やしました。

 「肉体労働を続けるのは難しいと思い、妻の故郷に行くことを決めました」。遊佐さんは13年、妻の実家が営む「東多賀の湯」に入りました。

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