経営危機を2度乗り越えて スリーハイ2代目が広げたヒーターの可能性
横浜市のスリーハイは産業用電気ヒーターの製造・販売を行う町工場です。2代目社長の男澤誠さん(53)は、2度の経営危機に直面するも、主力製品の絞り込みと強化、検索エンジン最適化(SEO)などのネット戦略でV字回復を遂げ、地域との交流を深めるなど開かれた町工場を目指しています。協業も深めてヒーターの新ブランドも立ち上げました。
横浜市のスリーハイは産業用電気ヒーターの製造・販売を行う町工場です。2代目社長の男澤誠さん(53)は、2度の経営危機に直面するも、主力製品の絞り込みと強化、検索エンジン最適化(SEO)などのネット戦略でV字回復を遂げ、地域との交流を深めるなど開かれた町工場を目指しています。協業も深めてヒーターの新ブランドも立ち上げました。
目次
スリーハイは男澤さんの父が1986年に創業。現在は従業員45人と、ヒーターの製造・販売を行っています。
代表的な製品は「シリコンラバーヒーター」です。厚さ1.5ミリのシート状シリコンゴムに発熱線を挟んだヒーターで、200度で連続して長期間使えることから、様々な分野で活躍しています。工場では薬品タンクやドラム缶の保温に、寒冷地ではモノレールのレールや配管の凍結防止に使われています。
「イメージしやすいのはホテルのビュッフェ台です。料理保温用の銀トレーに敷いて使用します。『カメラレンズの曇り防止用ヒーター』もあります。薄いシリコンゴム製のため、形も大きさも自由自在です」
製品は1点から注文可能。営業担当が顧客の要望を聞き、職人が手作りで仕上げます。取引先は大手鉄道会社から建設会社、食品メーカーまで様々。その数は国内外7千社まで膨らみました。
しかし、男澤さんは「僕はものづくりがあまり得意ではないんです。子どもの頃は図工も苦手でした」と笑います。
理数系が得意だった男澤さんは大学で工学部に進学。先代の父がスリーハイを創業したのもその頃でした。
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当初はモーターの商社でした。「父はもともと小型モーターの営業マン。そのノウハウを生かして独立しました」
しかし、前職でトップセールスマンだった父も、会社の後ろ盾をなくしたことで取引先が離れ、独立直後から窮地に立たされたといいます。
当時大学3年生だった男澤さんは父から家族会議でこう告げられました。
「事業とは別にタクシーかバスの運転手をしないと食べていけない。大学の学費も払えるかどうか怪しい」
男澤さんも家にバイト代を入れ、家計を支えるようになりました。
「父がヒーターに出会ったのは開業から約2、3年後です。製造会社の方と知り合って取り扱いを始め、商売が軌道に乗りはじめました」
しかし、創業時の苦労を知る男澤さんは卒業後、大手IT企業にSEとして入社。生涯サラリーマンとして働く覚悟でした。
それから同社は小型モーターと産業用ヒーターを展開。4、5人で製造していました。
先代が病に倒れ、入退院を余儀なくされたのは、そんな最中でした。男澤さんが見舞いに行くと「家業を継がないか」と誘われるようになります。
「この時に初めて事業内容を知りました。でも『ものづくりが不得意な自分に社長は務まらない』と断り続けました」
男澤さんが断った理由は、これだけではありません。
「従業員が毎日業務報告で父の病室を訪ね、父は具合が悪いのに事細かに指示を出し、看護師さんが面会時刻の終わりを告げてもやめませんでした。その姿を見て『僕には無理だ』と思ったんです」
以後2年にわたり、先代の申し出を断り続けました。しかし、一転して家業に入る決意を固めたのも、先代の言葉がきっかけでした。
「父が『自分は従業員だけでなく、彼らの家族も守らねばならない』と言ったんです。この言葉を聞いて『ものづくりが不得意でも、従業員を守るために何かできるんじゃないか』と思いました」
2001年、男澤さんはスリーハイに入社。しかし、その矢先に売り上げの約80%を占める主要取引先が倒産しました。
当時、男澤さんは結婚したばかり。クレジットカードで何百万円も借金して食いつなぎました。率直に「入社を後悔した」といいます。
「この経験から大口取引先に依存しないことを学びました。例えば売り上げ1千万円でも、『1社から1千万円』と『千社から1万円』ではリスクが大きく異なります。小口の仕事をもっと請けようと方針転換しました」
まずは顧客のウォンツ(ニーズを満たす商品への欲求)に訴えかけることを考えました。これまでの製品をイラスト化し、カタログやウェブで公開。具体例を「見える化」することで「うちの現場にもヒーターが必要な場面があったな」と気づいてもらうのが狙いでした。
「イラストを見たお客様から問い合わせが入るようになり、これまでわずか20種類ほどだったヒーターのラインアップが徐々に増えていきました」
売り上げが減少傾向だった小型モーター事業からは撤退。ヒーター1本に絞り、事業の立て直しを図りました。
地道な努力が功を奏し、倒産危機を脱したのもつかの間、09年にはリーマン・ショックの影響で2度目の危機に襲われました。「持ち直した売り上げも徐々に減り、どん底まで落ちました」
同社は人件費を抑えようとワークシェアリングを実施しましたが、逆に雇用不安につながり、離職を招きました。「きちんと従業員と向き合えていなかった自分に気づき、落ち込みました」
父から「社長になりなさい」と言われたのは、このタイミングでした。
「なぜ今なのか、当時はさっぱり理解できませんでした。おそらく業績が良い状況下でバトンタッチすると、僕が自分の手柄と勘違いしたり、売り上げの増減に動揺したりするかもしれないと考えたのでしょう」
09年、男澤さんは2代目社長に就任しました。
男澤さんはSEの経験を生かし、ホームページの刷新に着手しました。
「入社直後から社内ネットワークの整備や受発注プログラムの構築を進めていました。社長に就任したことで、新規顧客を増やすためにホームページを大きくアップデートしました」
特に注力したのは検索エンジン最適化(SEO)でした。ここで同社の強みでもある「オーダーメイドのヒーターを1点から作れること」が役立ちました。
「膨大な製作事例をホームページで公開し、(グーグルやヤフーなどの)検索エンジンで上位表示するようSEOを進めました」
「商品を探しているお客様は、『ビュッフェ 温める』『カメラレンズ 曇らない』というように、まず自身の『困りごと』で検索する傾向があります。ホームページで悩みを解決してくれそうな会社と思っていただければ、問い合わせにつながると考えました」
狙いは的中し、ホームページからの問い合わせ数が急増。09年以降、年間500社ずつ新規顧客が増えました。
「創業当初から下請けとして社名を出さずにものづくりをしていました。でも、きっと下請けだから01年にピンチに見舞われた。ウェブを活用し、社名や製品を世の中にアピールすれば、うちのヒーターを必要とするお客様が増えるのではないかと思いました」
13年には地域の子どもたちを対象とした工場見学「まち探検」プログラムをスタートしました。
「まち探検」は地域の小学生を対象に、年1、2回開催。毎回約100人が同社と近隣の町工場を巡り、職人たちと交流します。
始めた背景には、同社が位置する東山田準工業地域ならではの地域性がありました。
「このエリアは80社以上の企業と住宅地が混在しています。事業を続けていくには、住民の方々とお互いの顔が見える関係性を作らなければならないと感じていました」
製造業の現場では、トラックの往来などによる騒音が日常的に発生します。男澤さんはこの取り組みを「地域住民の理解を得て、共生するための第一歩」と考えました。
活動を経て「普段はシャッターが閉まっている工場が開いていて、しかも子どもたちがいる」と近隣の大人たちも興味を持ってくれたそうです。
「まち探検」は子どもたちにも好評で、ほぼ毎年開催しています(21年は新型コロナウイルスの影響で中止)。「スタート当初は当社のみでしたが、徐々に共感の輪が広がり、参加企業は13社に増えました」
男澤さんは16年には、同エリア内に町工場カフェ「DEN」をオープンしました。DENは同社のショールームと地域のコミュニティーハブという二つの役割を担っています。
「住民の方々がサードプレースとして使えるカフェを開業しました。店内に当社製品を設置することで、地域に開かれた町工場として親しみを感じていただけるかなと思ったのです」
しかし、従業員からは困惑の声もありました。「町工場の社長が突然『喫茶店をやる』と言い出しましたからね(笑)。従業員は『それなら工場を拡大して売り上げ増を狙うほうが良い』と考えていたのかもしれません」
男澤さんは従業員の理解を深めるべく、DENを福利厚生に取り入れました。
「社員には食事を半額で提供し、コーヒーやお茶も飲み放題です。さらにカフェ内での作業も許可すると、社員も前向きに捉えてくれるようになりました。今では社内コミュニケーションの場としても積極的に利用されています」
スリーハイは18年から留学生のインターンシップを受け入れ、海外展開を視野に入れてきました。22年にはタイの日系企業向け展示会に初出展しています。
「暑い国でもヒーターは重宝されます。主な用途は食品の熱処理や油の溶解です。海外ではいまだに直火で温めている工場も少なくないですが、温度コントロールが難しいうえに危険なため、電気ヒーターを必要とする企業がたくさんありました」
現地では「この商品は環境に配慮しているか」と尋ねる顧客が多かったそうです。「従業員も海外の環境意識の高さを目の当たりにしたと言っていました」
男澤さんが22年4月に立ち上げた新ブランド「&FIBERS」も環境を意識した製品です。銀の繊維をニット状に編み込んだ布製ヒーティングシステムで、布地の糸一本一本が発熱し、全体が温まります。
これまで数々の大企業や繊維会社が「発熱する布」の開発に挑んできましたが実現しませんでした。その理由は、布地に電気を通す方法が確立できなかったためといいます。
この課題を乗り越え、「&FIBERS」が商品化に至った背景には電気設備会社「三機コンシス」(東京都江戸川区)との協業がありました。
「三機コンシスは繊維とは無縁の企業ですが、だからこそ常識にとらわれない考え方ができた。電気や電子を突き詰めてきた技術力を生かし、発熱する布を生み出しました」
「&FIBERS」が従来品と大きく異なるのは、修復すれば繰り返し使えることです。布地に穴が開いても縫えば再度通電し、温かさがよみがえります。リリース後、乗り物のシートや寝具ベッドを扱う会社など、あらゆる業界から問い合わせがありました。
「(代表的製品の)シリコンラバーヒーターの技術はいまだに高い人気を誇ります。しかし、私が引退する頃までそれが続く確証はありません。&FIBERSは、これからの50年間に必要とされる無限の可能性を秘めたヒーターです」
スリーハイは時代のニーズに合わせた新商品を作り続け、次の50年へと歩みを進めます。
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