消防車づくりで抱えた「宿題」 吉谷機械製作所4代目は効率化に着手
鳥取市の吉谷機械製作所は1927年に創業し、現在は消防車製造を主力事業とする町工場です。創業者のひ孫で4代目の吉谷勇一郎さん(43)は、原価高騰と需要減少という「二重苦」に悩んでいましたが、2019年の社長就任をきっかけに、専門家を招いて製造工程の抜本的な効率化に着手しました。
鳥取市の吉谷機械製作所は1927年に創業し、現在は消防車製造を主力事業とする町工場です。創業者のひ孫で4代目の吉谷勇一郎さん(43)は、原価高騰と需要減少という「二重苦」に悩んでいましたが、2019年の社長就任をきっかけに、専門家を招いて製造工程の抜本的な効率化に着手しました。
吉谷機械製作所は、消防車の設計から製造まで手がける町工場です。ほかにも、消防ポンプなど消防に関するものづくりを幅広く担ってきました。
主要顧客は消防署を管轄する各自治体の役所です。売り上げは年間17億円規模を誇り、従業員数は約80人にのぼります。
売り上げの8割を占める消防車事業では、ポンプ車、工作車、水槽車など様々な種類を手がけており、年間約80台を製造しています。とりわけポンプ車市場では、吉谷機械製作所が全国4強の1社として全国シェアの1割を保持しています。
吉谷さんは「ほとんどの案件を自治体の入札で獲得しています。一定の基準を満たした会社であれば誰でも参加できるため、全国の入札で勝ち抜くことで現在の市場シェアを築きました。利幅が限られていますが、お客様の要望に応える柔軟性が大切です。コストとニーズのはざまで試行錯誤してきました」と語ります。
消防車事業の難しさは、法的基準の順守と顧客価値の最大化という二つの課題を同時に追求しなければならない点にあります。
消防車の規格は消防法で定められている部分が多いものの、自治体ごとに価値観や重視するポイントが異なるため、入札ごとに細部の調整が必要です。
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また、案件の受注後は使い勝手を現場の消防士のニーズに合わせるため、収納のレイアウトやメンテナンスのやりやすさなど、顧客とのすりあわせが欠かせません。結果として消防車は「ほぼ一点物」としてオーダーメイドで製造されるのが一般的です。
吉谷さんによると、消防車事業の採算性は年々厳しくなっています。理由の一つが要求水準のハイスペック化です。入札で求められる消防車の要件では、デジタル機器やソフトウェアの搭載が追加されたほか、環境配慮のため排ガス規制が強化されています。
吉谷さんは「消防車のハイスペック化で製造原価が上がっていますが、競争入札は年々シビアになっています」と言います。
もう一つの理由は消防行政の広域化です。消防車の調達を担当する消防本部は各自治体の中で統合が進みました。各消防本部内の事務負担は増加しましたが、年間に処理できる量は限られています。
そのため、消防車の更新計画も長期化傾向にあり、数年単位で見ると更新台数は減少しました。つまり消防車市場が縮小しているということになります。
原価高騰と需要減少という「二重苦」に見舞われている消防車市場ですが、吉谷機械製作所は技術力に対する高い評価を軸に、生き残りを図ってきました。
特に消防車の軽量化は高い技術力が表れるポイントの一つです。同社では、ポンプやタンクなど金属パーツの素材を変更して大幅な軽量化を実現しました。具体的には、ポンプをオールアルミ化したり、タンクをプラスチック化したりといった変更です。
吉谷さんは「規制の影響で排ガスの処理装置を装着するため車台が重量化しているのに加え、ユーザーが求める装備の積載量も増えています。機動力を落とさないため、メーカーは軽量化に力を入れています。軽量化を進めるうえで、素材変更による悪影響が生じないように精査してきました」
吉谷さんが吉谷機械製作所に入社したのは大学卒業直後の2003年でした。
子どものころは家業についてあまり知らされずに育ったといいます。それでも消防署の前を通ったときに「あれはうちで作った消防車だよ」と聞かされると誇らしく感じました。
「継いでほしいと言われたことはありませんでしたが、高校生ぐらいのときから自然な流れで後継ぎとしての自覚を持つようになりました。いつか継ぐなら早く戻ったほうがいいと思い、新卒で家業に入社しました」
入社した吉谷さんはすぐに地元の税理士法人に出向しました。当時社長だった吉谷さんの父親の指示で、数字に基づいた経営管理を強化するという狙いがありました。
「初代と2代目が技術力の基礎を確立し、3代目の父は営業力を強化してきました。そのため、数字の大切さを強く感じていたようです」
出向先では税理士のアシスタントとして、オンザジョブトレーニング(OJT)を受けました。社長との面談や帳簿の点検など、数多くの企業の数字を目の当たりにして、会社経営についての視野を広げていきました。
出向は2年で終わり、2005年、吉谷さんは吉谷機械製作所の経理担当として勤務を始めました。10年には営業本部長、16年には副社長にそれぞれ就任します。
吉谷さんは社長のサポート役として、現場と経営層の「橋渡し役」を務めてきました。「損益計画や生産キャパシティーなどの側面で、社内に負荷をかける選択に迫られるケースでは、営業担当者からの相談を踏まえながら経営者として判断していました」
吉谷さんは19年、代表取締役社長に就任します。入社から社長就任までの十数年について次のように振り返ります。
「社歴が浅いうちから経営的観点で意見を求められることにプレッシャーを感じました。判断に迷うこともしばしばありましたが、何でも相談に乗ってくれる父に助けられました」
一方、技術畑ではない吉谷さんは力不足に悔しさを感じる場面がありました。
「作業の手戻りや外注費の高止まりなどに非効率性を感じて、改善の可能性を社員に尋ねたことがあります。しかし、専門知識を交えて改善ができない理由を説明されると、エンジニアではない私は納得するしかありませんでした」
「ただ、事業の採算性が危うくなる流れのなかで、効率化は避けて通れない道と思っていました。そのため、過去の常識にとらわれない抜本的な効率化を、社長就任後の『宿題』として温めていました」
社長に就任した吉谷さんは抜本的な効率化に向けて、中小企業基盤整備機構の「ハンズオン支援」という専門家派遣事業を利用しました。「複雑に絡み合った製造現場の課題を客観的な視点からひもとくには、専門家の協力が欠かせないと判断しました」
派遣された専門家は自動車メーカーの出身で、製造現場の業務改善に精通した人物でした。
19年、抜本的な効率化プロジェクトがスタートしました。吉谷さんは「職人を動かすという点だけ見ても、やはりベテランの言葉には説得力がありました」と振り返ります。
改革の大きなテーマとなったのが、作業フローの合理化です。繁忙期の長時間労働や、キャパシティーオーバーによる外注費の高止まりなど、様々なコスト要因が利益を圧迫していたのです。10年前に比べると、製造コストが約20%膨らんでいました。
作業フローが合理化されれば、作業時間の短縮につながるため、長時間労働や外注費の高止まりが解消されるはず。そんな狙いがありました。
※後編では、吉谷さんが専門家と進めた工場内のレイアウト変更や生産方式の刷新に加え、キッチンカーの製造など新規事業の舞台裏に迫ります。
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